今は現場を見下ろすしかない
立体駐車場の爆発を伴った車両の事故は、運転手による自殺と看做された。
ブレーキ痕もなく、大型スーパーに接続された立体駐車場の三階部分から車が飛び出して下に落ちて爆発したのである。
これでは自殺以外は考えられない状況だ。
水野は車が落ちたと思われる所から下の現場を見下ろしていた。
車止めまでを乗り越えて、正面から車は地面にダイブするように落ちたのだ。
ひしゃげて真っ黒に煤ける車から、遺体を取り出す作業をした鑑識は一苦労だったろう。
眼下ではブルーシートに運転席から取り出された遺体は置かれ、車と遺体を鑑識がそれぞれ取り囲んで動いている姿は、青い蟻が黒砂糖を取り巻いているようでもある。
「無線聞いた?被害者は男性だろうって。」
水野の隣に現れた佐藤が呟くように囁いた。
水野が首を振ると、佐藤は自分が聞いたばかりの無全の内容を簡単に説明しはじめた。
完全に消し炭状態の遺体であったが、骨盤の形から男性だと看做されたというのである。
腕の骨一本から身長を算出した鑑識の話では、車内の遺体の身長は一八〇センチはあるということだ。
遺体が意味している事を水野は考えて、自分は確信しているからこそ無線を聞くまいとイヤホンを外していたのだと自分に認めた。
水野は初めて刑事で現場に立つことに脅えてしまっていた。
「私たちはここにいていいのかな?」
これは水野ではなく佐藤から発せられた言葉だった。
水野は佐藤を見返し、佐藤も自分と同じ思いだと知り、知った事で自分が今脅えている事実から離れているだろう希望を口にした。
「し、仕方ないじゃん。あたしらに他に出来る事はないんだし。でもさ、淳平も馬鹿だよ。クロを連れて姿を晦ますなんてさ。クロが死んだらあいつはどうするんだよ。」
敢えて消えた山口の行方不明を水野は強調した。
あの車が淳平と同じ車種だろうが、あのブルーシートに横たわる遺体が彼の物であるはずはないのだ。
そう思い込みたいのだ。
「美智花、急いでくれ。とにかく淳を探してくれ。そしてあいつを止めるんだ。あの思い込みだけの馬鹿を見つけて止めてくれ。」
頭の奥で昨日の百目鬼の懇願の声が頭の奥で響き、自然と涙が零れ落ちたが、水野は手の甲で簡単に拭い去り、顎をきゅっと上げた。
佐藤は水野のそのしぐさを目にして、親友が自分と同じ思い出、さらには自分と同じことを思い出しているのだと確信した。
確信して、佐藤は本当に強いのが、自分よりも水野の方のような気がしていた。
佐藤は傷つきたくないから何にも起きていない顔をしてごまかすが、水野は全部を受け入れた上で、泣いて笑って怒ってから前に進むのだ。
「みっちゃんは強くていいね。」
「どうした?あんたこそ強くて羨ましいよ。あたしは冷静でいなきゃいけない時に冷静でいられないからね。泣くよりも動いて考える方が先でしょう。動いていれば、誰かを助けることは出来るじゃん?泣いたら動けないじゃない。」
「私は冷静なふりをしているだけだよ。冷静なふりに見ないふり。葉山さんがクロ一筋でも傷ついていないふり。でもさ、どうして好きなのか自分でもわからない。」
佐藤の左肩に軽くトンっと衝撃を受けた。
水野が自分の右肩を打ちつけたのだ。
葉山と山口が現場でよくやっている動作だと、彼女はクスリと自然に笑い声が出た。
「御免。情けないね。」
「情けないよ。鬼畜と名高い葉山を自宅に引き込んでおいてまだヴァージンとはね。何をやっているの。兄さんの教えを忘れたか。襲ってしまえ、よ。」
佐藤は自分の右肩を水野の左肩にぶつけた。
「あんたこそ、兄さんを襲っていないくせに。」
「襲ったよ。キスしたじゃん。」
「キスで逃げた癖に。」
「あれは魔物だよ。喰う、どころじゃない。飲み込まれるだね。あたしはもうちょっと対等がいいかなって自分を強く鍛えることにしたの。飲み込まれて人生まで持ってかれたら自分じゃないからね。」
「はは。昨日は驚くほどボロボロだったじゃない。千載一遇のチャンスだろうに。まぁ、驚いたけどね。あの兄さんがクロよりも淳平の方を心配して取り乱していた所には。あいつを早く見つけてくれってね、私達に頭を下げるなんてね。」
最後の言葉には佐藤は自分で言いながら涙が出そうだった。
水野など既に泣いている。
佐藤達は百目鬼の取り乱し方で、全てが終わったような気になったのだ。
玄人は二度と目覚めない。
山口も二度と戻ってこないだろう。
そして、彼女達が憧れる目の前の強い男は、ただの男に成り下がるだろう、と。
「変わらないのはかわさんだけだね。」
ぽつりと感慨深げに口にした佐藤の言葉に、泣いていた水野が反応した。
「そうだよ。あのかわちゃんが変わっていないって変だ。クロも淳平も行方不明なら、兄さんよりも先に潰れちゃうはずじゃん。かわさんを問い詰めよう!」
水野はくるっと踵を返すと、一目散に下の被害現場へと走り出して行ってしまった。




