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疑うらくは是、命が九天より落つるかと(馬終話)  作者: 蔵前
九 下山した高僧たちは生臭に戻る
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高僧は己が構想を弟子に求める

 俺の目の前には水割りの小さなグラス。

 それを俺に差し出したのは、大僧正に一番近いと謳われる山の高僧。

 この行為は、自分を滅して、他人の幸福を願う僧侶の鏡とも言えるだろう。


 人前で山の高僧がただの生臭だと吹聴する行為だろうが、彼は俺を慰めるためだけに、敢えて水割りなんぞを販売員から購入したのだ。


 思い込もうとしても無理だな、この生臭め。


「有難いですが水割りですか?昼間から?」


 彼は俺に応える前に再び俺の目の前に体を乗り出し、今度は自分用のグラスとウィスキーの小ボトルまでも両手に持ってほくほく顔で座り直した。

 俺は彼が自分が飲みたいだけだと了解し、そんな彼の行動に苛立ちを抱えるどころか、なぜか自分の気持ちが落ち着かされていた。


 パニックに陥った人間がいつもと同じ行動をしようとするのはそう言う事か。

 俺は照陽テルテルがいつも通りの行動しかしないことで、この緊急事態という状態でささくれた気持ちが落ち着いたのかと理解した。

 理解した事で、俺を思いやってくれた相手への労わりの心が、珍しいほどに俺に生まれていた。


「昨夜もずいぶん飲まれていたでしょうに。迎い酒は体に良くありませんよ。」


「ふふん。呑ます方は酔わないものさ。君だって常勝じょうしょう和尚と飲み明かしていたはずなのに、全く酒の匂いがしない。」


「俺が必要ないぐらいお見通しじゃないですか。いつから?」


 俺はしばし玄人を忘れて、テルテルに聞き返していた。

 彼は自分の水割りを煽ると、皮肉そうに顔を歪めて話し出した。


「最初から。あれは徳然とくぜんさんの弟子でしょうが。君が山にいた時も私と彼が犬猿の仲だと聞いたことくらいあるでしょう。」


「そうだったのですか?徳然和尚は真っ当すぎてかげろうみたいな存在感で、私は彼があなたと敵対していたとは思いもしませんでしたよ。まさに悪徳の華ですね。」


「うるさいよ。君こそ生臭のくせに。まぁいい。私は私で好き勝手に振るまってきたのだけどね、徳然さんはそれが許せない。色々と叱責をもらったよ。自分と違う価値観に触れるのはそれはそれで楽しいものなのだがね、周囲の私の自称取り巻きはそれが許せない。力って、結局金だろう?どんな世界でもね、組織は金を必要として、金を運ぶ人間が重用されるのさ。君と私が良い例だろう。ろくでなしで重鎮だ。そして、金を持ってこない人間は、どんなに真っ当でも、真っ当だからこそ排除される。私や君のようなろくでなしなら喜ぶと思ってね。けれど、心の綺麗な真っ当な僧やその弟子が、横領などと阿漕なことに手を染めたりはなかっただろう?するわけがないはずだ。」


 ふふんとテルテルは高僧がするむかつく笑いを俺に見せ、俺はそれに対して同じむかつく笑いでふふんと返した。


「モチロンですとも。」


 横領事件など存在しなかった。

 金の流れの手続きの猥雑さが、ちょっとした誤解と混乱を招いただけということだ。

 そう。

 俺は面倒臭いからそれで纏めた。


 反省すればよし、また同じ様な事をすれば後が無いって事は若造に伝えた。

 テルテルが犯人探しよりも俺の山の立場を強調していた教えを忠実に、俺は猥雑な事務手続きを簡略化し監査しやすい方法を編み出して会計所に物申し、そして実行犯には二度と同じ手を使えない事を教え込んだ。


 これならば大丈夫だろう。

 俺が編み出した監査方法でも見つからない横領が起きれば、新しい手を思いついたのだと俺は楽しいし、あの純朴なだけの奴を見直すかもしれない。


 猥雑な手続きを逆手に取って、両替詐欺、あるいは釣銭詐欺を成立させるとはと、横領を発見した俺は常勝の頭の良さに拍手喝采をあげていたのだ。

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