楊からの報
とりあえず荷物を取りまとめ、俺は山を下りる羽目になった。
横領事件を昨夜の内に片付けていた自分の先見の明と頭脳に感謝をしつつ、俺は新幹線の車内でうだうだと気ばかりを焦らせていた。
「落ち着きなさい。玄人君の命には別状が無いのでしょう。」
俺は同行者をぎろりと睨んだ。
「命に別状が無くとも、目覚めなければ同じでしょうが。」
「医者はなんと?」
俺は俺の携帯ではなく、朝一番に山の事務局宛に掛かってきた楊の電話を思い出した。
事務局を通したことで、俺を山から確実に下ろそうという魂胆だ。
警察から身内の緊急入院を告げられれば、常識的に考えて俺を解放せざるを得ないだろうと楊は考えたのであろう。
しかし、そこまで冷静に考え動いていた男の第一声が、俺を脱力させるだけの間抜け具合とはどういうことだ。
「すまない。俺のひいじいちゃんがちびを眠り姫にしてしまった。」
世界は狂っている。
眠い眠いと訴える玄人を事件現場のソファで寝かせていて、気がついたら殆んど呼吸もしていないこん睡状態に陥っていたというのである。
楊がどうして彼の妖怪爺のせいだと断言したのかは、眠る玄人がその場にあるはずのない高級チョコレートを一粒手にぎゅっと握っていたからだ。
そのような馬鹿な舞台演出をするのは楊の曽祖父の長谷しかいないと、楊は玄人の症状にも長谷の脳みそにも意味がわからないと途方にくれているのである。
「ほんっとにごめん。どうしてなのかわかんない。俺が奴に真意を尋ねるにも、ドアが閉まっているのか、どうしても奴の場所に行き着けないんだ。」
俺は理解できなくなった話を親友にやめさせて、俺が理解できそうな話を彼に要求する事にした。
「井筒とやらの死体はどうした?」
「あぁ。部下の一人が自首してきた。別れさせ屋の井筒の会社は口にできない行為を繰り返してもいたからね、警察で秘密裏に動いて尋問もしていたんだってさ。教えてよってやつ。部下の自白によるとお前の物件の事件どころか佐藤ちゃんのパパの管轄で時々起こる暴行事件もそいつらの仕業だった。それでさ、なんかその部下ね、自殺した姉をレイプしたのが井筒だって入院中に知ったそうでさ。山口が井筒と一緒に捕獲していた女が元井郁子。コイツが金持ち坊ちゃんの元井と結婚したくて奴の婚約者を数年前に襲わせていたの。酷いよね。弟に死んだ姉の親友の振りして近付いて、井筒の仕事仲間にしてしまうなんてさ。そいつが吐いた場所が元々の井筒の死体のあった現場だからさ、一件落着。」
「それで、どうして井筒だけわざわざ見ず知らずの探偵の家に捨てたんだ。」
電話の向こうは暫し無言が続き、堪え性のない俺が口を開きかけたその時、楊が疲れきった声で俺に伝えたのである。
「死体を移動させて捨てたのが俺のじいちゃん。遺体を元の現場に置きなおしたりで大変だったよ。そんで、髙が言うには、俺達を集めてちびを誘拐する目的だったのだろうって。ちびが前に言っていただろ、俺の家の隣に生えているダイダイの木は神木だって。結界があるってことなんだよ。俺の家の周囲には。」
また俺が理解できない話に流れそうなので、俺は再び自分が理解できる内容を楊に要求することにした。
「クロの容態はどうなっている。」
「だから眠り姫だって。原因不明の意識不明。チクショウ。」
俺はそれで東京に戻る事に決めたのだ。
「和尚?」
「すいません。詳しいことは向こうはわからないようで。ですが、あれが意識不明で病院に横たわっていることは事実です。」
俺の隣に座る高僧は、ふうっと溜息を出して俺に何かを言う素振りを見せたが、通路の売り子に気がつくと俺の前に身を乗り出して買い物を始めた。
俺は同行者で高僧のこの親父が、俺の緊急に乗って自分も関東に帰りたかっただけだと理解した。
通常時であればそのろくでなさに俺が惚れるのであろうが、今回はこの無神経さが神経に障った。
「高僧がそんな格好で。俺がやりますよ。」
「平気。ほら、落ち着いてよ。大丈夫だろう。君が病室に着いた途端に目覚めるだろうさ。さぁ、これでも飲んで落ち着いて。酔って眠れば東京なんてすぐだ。」
琥珀色の液体の入ったグラスが俺の目の前に置かれたことで、俺は彼が高僧だったのだと認めるしかなかった。




