恋する乙女は考えるから乙女のままである
「あたしたちにかわさんは我儘しているって本当?」
水野の突然の質問に葉山は目を丸くしただけだが、佐藤はぽつりと答えた。
「私達が私達でいるように煽っている。」
「何それ?」
水野の重ねた質問に、佐藤はなぜかいきり立った喧嘩腰の口調で応えた。
「高校時代の私達のままでいる事を望んでいるってことよ。あのロリコン。さぁ、車に乗って。父さんに聞いてここに来るまで榛名の事件ファイルを読んでいましたけどね、松崎のことが一つも書いていないのはおかしいでしょう。」
「松崎の鼻薬が効いていたってことじゃないの?」
「かもね。ぜんっぜん書いてないのはおかしいから、松崎に尋ねに行かない?」
水野は佐藤の作った無表情の顔を見返した。
高校時代に警察を目指すように唆した楊が、彼女達の様子を見に来る度に佐藤が見せていた表情だと気付き、当時の水野は自分と同じ恋心を隠すためなのだと考えていたと思い返した。
例えばあの夕方。
下校途中に髙が運転する黒セダンが、すれ違うどころかすっと彼女達の前に止まった。
純粋に水野と佐藤の歩く歩道の脇に車は止まっただけだが、水野には通せんぼされたかのように感じた。
楊の支給車を目にした時は、水野の足は絶対に一歩も前に動こうとしなくなるのだ。
それから水野が見守る中で水野が期待した様にして、助手席の窓が開き、助手席から顔を出した楊がいつもと同じ気さくな声をあげた。
「さっちゃん、みっちゃん。悪さはしていないだろうね。悪さがバレたら警察に入れないのよ。大丈夫?」
「するわけないじゃん!」
水野は鞄を振り回していつものように楊に怒鳴り返す。
久しぶりに会えたという嬉しさも込めて。
すると彼もいつものように水野の元気ぶりに驚いたという風に、目を大きく見開いて目玉をぐるっとまわして見せ、それから必ず誰もがとろける笑顔を浮かべるのだ。
「よかった。この間ここらで冤罪っぽい万引きがあったじゃん。君達が悪の道に転んでいたらどうしようって俺は心配で心配でさぁ。」
「ふざけんな!万引きなんか人にさせるか!変な心配せずに仕事しろよ!」
笑い転げる楊を思いっきり罵倒して、彼が乗る車が去った後に水野が隣の相棒に振り返ると、無表情な顔をした佐藤が鼻を鳴らすのもいつもの事だ。
「おう、どうした?さっちゃん。」
「この間の万引き、いじめられて仕方なくだったんだってさ。父さんが言うにはね。それでも退学でしょう。友達が退学して寂しいだろうから、私達が慰めに行こうか。」
「あー。」
「どうした水野?」
「何?みっちゃん。」
水野は自分を覗き込んできた葉山と佐藤を見比べた。
これは葉山がいない時に親友に尋ねるべきだろうとすぐに思いつき、彼女は「何でもない」と答えて顔に作り笑いを浮かべた。
しかし、親友は心友なのである。
「もしかして、今更気付いた?」
「何?佐藤ちゃん。」
「高校時代にね、警察が手を出せない未成年の犯罪行為がある度に、かわさんと髙さんが私達に一々教えに来てたのよ。口では悪さするなって言っておいて、あの嘘吐き親父ども。でもみっちゃんが気付いて無かったとは知らなかった。いっつもノリノリで大暴れしていたじゃないの。」
「いや、暴れんのは好きだし。」
「うっそ。水野って鈍感だったんだ。兄さんが純な奴って言うだけあるよ。」
「兄さん!あたしとキスした事バラしたの!」
「あ、みっちゃん。キスはしたんだ。」
「うっそ!水野大人にされちゃってた?だからアンニュイ?」
水野は葉山の横腹に拳を入れ、恥ずかしさといたたまれなさに別の話題に転ずることを願った。
百目鬼に想いを遂げようと無理矢理に箱根へ温泉旅行に繰り出したが、確実に経験値の高い彼の手管に恐れをなした水野は襲うどころか逃げ出して、逃げ出した自分をごまかすために温泉卓球大会を始めてしまっただけで終わったのである。
卓球に付き合わされた佐藤が、水野に呆れ顔をしっかりとみせていた、という大失敗な旅の思い出だ。
しかし水野はそこまで思い出したことで、自分の顔が火照ってしまった事に気が付いた。
顔どころか体も、だ。
水野の腰が抜けるほどの笑顔を湛えた男が、物凄くいい声、背筋の腰辺りが痺れるような声!で含み笑いしながら、水野の耳元に囁いてきたあれまでも思い出したのだ。
お前は本当に可愛いな。
「うひゃあ!」
「水野、お前って可愛い奴だな。」
「お前が言うな!」
水野は再び葉山に拳を振り上げたが、葉山は今度は殴られる気はないようで、軽く水野の拳をかわした。
「おい!照れ隠しにぐーで殴ることないだろ。ぐーは。」
「う、うるさいな。いいからさ。松崎んトコに早く行こうよ。」
「でないと水野は卓球を始めちゃう?」
水野は高級スーツを着ている男の膝を、思いっきり爪先で蹴りあげた。




