我思う、ゆえに彼アリ
水野と佐藤が葉山を迎えに相模原第一病院に到着した時、彼女達は目の前で立つ男の真実の姿が見えてしまった。
切なそうな顔で、恐らく想い人が眠っている病室の窓を、静かに見上げる若い男。
軽薄そうな雰囲気など何もない、実直で誠実そうな男の顔だ。
水野は彼に声をかけるのを憚り、一瞬足が止まってしまった。
「葉山さん。帰りますよ。」
水野は驚いた。
恋する男が他の人間への思慕を見せている姿を前にして、いつもと同じ声音で声をかけられる親友に。
三月の朝の五時ではまだ朝日は遠く、暗闇の中で親友の顔は見えないが、水野は経験上佐藤が何てことない普通の表情を顔に浮かべているのだと感じていた。
佐藤は水野が知っている限り、初恋の相手にだっても、そんな何てことのない顔で普通に受け答えをしていたのだ。
水野はその事について佐藤は大人だと考えている。
同じ男への同じ時期の初恋で、同じく失恋した同士であるが、彼女達はお互いにそのことを語り合ってはいないがお互いが失恋した事実を知っている事を知っている。
この知っている事を知っているだろうと知りながら知らない振りをするという振る舞いは、女だからこそなのか大人になってしまった証であるのか、水野はとにかく騒いでいられた高校時代が失われたように寂しく感じてしまうのだ。
知りたくはなかった失恋の苦い味。
彼は誰にでも優しく、誰にでも同じ振る舞いをする。
気安いおちゃらけた振る舞いに自分は彼の懐に入った気がするが、その振る舞いが誰にでも一緒だと思い知らされて、舞い上がったところからその他大勢に一気に落とされる。
思い上がっていた自尊心までも、地面に叩きつけられて粉々になるのだ。
なんて残酷な男だろう。
「あたしはまだ好きなのかな。」
「え!どうした!水野!」
目の前の男が、はすっぱな男に戻っていた。
佐藤から聞いていたとおりに、玄人のために場違いに高級なカジュアルスーツをパリッと羽織っているこの男は、水野達に内心を見せないでおどける男だ。
楊の一面に似ている、と水野は一瞬思ってしまった。
だから、佐藤が葉山に惚れたのだろうか。
だから、葉山が佐藤を受けいれようとした時に、佐藤こそがそれに抵抗したのだろうか。
葉山がキャリアで出世するだろう男だからではなく、葉山に楊を重ねていたから佐藤は葉山を一時は諦めようとしたのか?
では、自分は?と、水野は自分自身に突き付けられた。
自分は百目鬼に楊の影を探していないか?と。
「お~い、大丈夫か?俺の時々相棒。」
水野は葉山を見返した。
真っ直ぐに。
すると、葉山はお道化るどころか、本気で人を思いやるような繊細な表情、玄人に見せるだけだった顔付を水野にして見せたのである。
玄人の酷い言葉が水野の頭にポッと浮かんだ。
「かわちゃんは非常識の仮面を被った常識人です。」
「うわ!」
水野は慌てて自分の口元を押さえた。
葉山は百目鬼ではなく、楊の方を見本にしていたの?
そんな言葉を口から飛び出させてはいけないと、水野にだってわかるのだ。
だが、これが真実なのだと水野は思った。
葉山は玄人を恋慕するがゆえに、楊のように振舞うようになったのだと。
だって、玄人は楊に養父と同じくらいに懐いており、楊は玄人に対しては特別扱いではないか、と。
それから、特別って言葉が浮かんだことで、水野の思考はまた自分の失恋に戻ってしまった。
結局、彼の特別どころか、彼の信頼できる部下にもなれない、自分だ、と。
「みっちゃん達にも特別です。」
以前に水野が玄人の前で同じようなセリフを口にして、思わず口が滑った失態に慌てた時、玄人は水野を慰めるどころか、意味が分からないという眉根を潜めた顔で即答してきた言葉が水野の頭の中で響いた。
今の自分の落ち込みを払うぐらいに、大きく。
そして、水野が玄人に言い返したその時の事も、彼女はぱっと思い出した。
「え、違うよ。あたしとクロは違うって。あたしには膝枕とか言わないし、あんたみたいにヌイグルミ状態で引きずったりはしないじゃん。」
「そんな事したらセクハラじゃないですか。一応上司と部下だし。」
「そうだけどさ。クロにはかわさんは我侭してるじゃん。」
「同じですって。みっちゃんとさっちゃんにも我侭しているじゃないですか。」
「水野、ぼーとしてどうした?眠いか?」
揶揄うよりも気遣う声で水野の顔を覗き込んだ男によって水野は今に引き戻され、彼女は引き戻されたまま自分の物思いの中の疑問を彼に吐露していた。
「ねぇ、葉山。かわさんってあたしらに我侭している?前にクロがあたしらにも我侭しているって言っていてさ。」




