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疑うらくは是、命が九天より落つるかと(馬終話)  作者: 蔵前
五 ここは僕にとっての最初の仕事場
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誘拐は、うん、怖かった、よ?

「それでさ。その間抜けの化け物は置いておいて、ちびはこの死体に起きた事がわかるか?お前が二度と見たくもない人間だったとしてもね。」


 しゃがんだまま真面目な顔で僕を見上げる楊は、おそらく誠司が前に出ていた。

 彼は多分、誠司であった前世で彼が殺した長谷の妻子の事を思い出したのだろう。

 髙も僕に真実を促すためか、僕の右手がぎゅっと彼の脇に締め付けられた。


 僕達と青天目あおてんもくの間を障害物のように横たわっている遺体を、僕は嫌々ながらだったが見下ろした。

 顔を僕側にむけて仰臥している死体は、僕を誘拐しようとしたあの日の奴だ。

 僕をワンボックスカーに押し込めた当人であり、嫌らしく僕の顔を触り、あまつさえ唇を奪おうとさえした、まさにあいつである。


 嫌がる僕は押さえつけられ、胸元が露になるほど服を破かれたのだった。

 畜生、あのブラウスはお気に入りだったのに。


「こんなやつ!捜査なんかもしないで、山奥に捨て直せばいいでしょう!」


 楊は目頭を押さえて、僕を少し叱るような声音を出した。


「ち~び。」

「だって。」


「お前は本気で怖くは無かっただろう?」


 いや、怖かった。

 だって、こんな展開だったのだもの。


 僕は破られたブラウスをさらにぼろ布にされないようにと、両手で自分を抱くようにして自動車の後部座席に丸まっていた。

 アルマジロでもない僕なのだから、こんな格好こそ相手にとっては襲ってくださいの無防備この上ないのは知っているが、その時の僕にはこれが精いっぱいの防御だった。


「かわいいねえ。ああ、キッスしたいよ。」


「キスなんていいから、とにかく全部脱がしちゃいなさいよ。全裸写真を撮っちゃえばおとなしくなるでしょう。」


 ぼろ雑巾にされている僕の姿に嬌声を上げて喜んでいるのは、彼の部下らしき男三人と女一人のうち、女の方であったのが未だに解せない。


「ハハ。そうだけど、嫌がる姿が本当に可愛いくってさぁ。ほら、ほら、言うことを聞きなさいよ。俺にやられたからって離婚されたらさあ、俺の愛人にしてやるよ。暴れるなって、そのきれいな顔を潰されたくないだろう?」


 僕のオコジョ達は彼らの車を既にエンストさせていたが、そのセリフに、彼らにはそんな事は全く問題が無かったと、僕は絶望の中に理解したのである。

 彼らは僕を犯して、ただそれだけが目的だから、車が動かせなくて逃げられなくとも何の問題もなかったのだ、と。

 僕の名誉だけ汚せればいい。

 こんな目に合った僕は警察に駆け込めないだろう、と。


「お願い!やめて!」


 僕は大声で叫んでいた。

 けれどこんなのは、普段の僕の叫びではない。

 僕の前に、いま僕がされんとしている事を実行された女性の叫びだ。

 彼女は彼らに乱暴され、愛する婚約者の前から立ち去るしかなかった。


 いま、僕が感じている恐怖も、体も頭も動かなくなるほどの絶望も、僕の前の被害者だった彼女のものであり、彼女の意識に支配されてしまった僕は、自分のオコジョを更に使える筈だったことさえも失念してしまったのである。


 そこで、暴漢に襲われた絶望の女性が出来る事を、僕はするしかなかったのだ。

 僕は、ただただ、大声で叫び声をあげていた。


「いやあああああああああああ。」


 ガシャン。


 叫び声に呼応したかのようにワンボックスカーの運転席の窓ガラスが物凄い音をたてて割れ、一瞬で運転席の男は車外へと、その狭い窓から引きずり出された。


 どぐわん。


「ぐわぅ!」


 引き摺り出された男が、引きずり出した男によって車の側面にぶつけられたのだろう。

 鈍い悲鳴が起きただけでなく、衝撃で車がぐらりと揺れ、車内は慄然と凍りついた。

 今度は運転席のドアが開き、突き出された血まみれの、恐らくどころか確実に車外で痛めつけられた男の血だろう、その赤く染まった手が後部ハッチの解除をした。


 カチリ。


 後部ハッチが持ち上がると、そこに立つは僕の完璧なる庇護者だ。

 彼はのっそりと荷台に上がるや、素晴らしい笑顔のまま、僕を押さえつける男の頬を拳で殴った。


 事態を理解できずに僕を下にしての四つん這い姿のまま、ハッチから現れた闖入者を見上げた傾けた顔に、上から下へと潰すが如き重い拳が入ったのである。


 男はゴムボールみたいに顔に拳をめり込まされ、そのまま僕の上から排除され、荷台の僕の脇に落とされて昏倒したのである。

 実は昏倒したほうが先か?

 僕は口から歯の欠片とどろりとした血を一緒に流している男を見下げながら、頼りがいのある大事な人に尋ねていた。


「良純さんは痕を残さないように暴力を行うのが信条だったのでは?」


「馬鹿。こういう馬鹿は毎日鏡を覗いては、自分の馬鹿な行動を一生後悔するべきなのさ。」


 そうして僕が目の前の恐ろしい禅僧に惚れ直していたが、車外では、実は僕が本当に止めるべきだった山口が、側面のスライドドアから次々と車内の暴漢を外に引きずり出してはそこで仲間の男達を虫の息にせんと奮起していた。

 僕は気が付かなかったが、彼は恐ろしい事に女にまでも怒りの鉄拳を見舞っていたのである。


 山口がやり過ぎたのは、僕達が彼の存在を忘れてしまっていたからだろう。

 山口の謹慎も減俸も僕達の責任だ。

 おまけに山口は、良純和尚の暴力の分も自分が被ったのである。


 僕的には、元公安の経験値に基づいた暴力を加えた淳平の行状よりも、良純和尚の一撃の方が片顎粉砕という後遺症が残る暴力だった分、申し開きができなかった気がする。


 だからか、良純和尚は淳平に車を買い与えたのだ。

 それは昨年に発売したばかりの新型の国産スポーツカーであり、傷の無い新車のボディは玩具のような水色である。


「これでいつでもウチに帰って来いよ。」


 良純和尚に鍵を手渡されて車の前に立つ山口の顔は、それはもう、歯医者に連れて行かれる前に親に騙されている幼稚園児の笑顔だった。

 僕が「馬鹿なほど可愛い」を実感して淳平を想う気持ちが増したのと、この恐ろしい和尚を尊敬する気持ちが一層深まったのは言うまでもない。

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