匠な部屋の紹介です
宮辺は髙の吐いたセリフによって目が点になっている。
僕だって混乱だ。
髙が知りたかったのは、僕とのキスなのか、宮辺の嗅覚なのか?
だが、答を得た髙には、目が点の宮辺も悩む僕だってどうでも良いらしく、僕を腕にブラ下げたまま、髙は現場となった探偵事務所のドアを開けたのだ。
一歩踏み出したそこは、敗残者の屍が転がっていることを除けば、一昨年良純和尚が売り払った物件だった。
髙が楊の立つ所まで移動したので、僕は髙と楊に挟まれる形で死体と青天目の目の前に立つ事となったのだが、汚い死体など見たくなかったからか、室内ばかりを懐かしく見回していた。
僕が初めて連れて来られた時は、良純和尚によって全てが取り払われてスケルトン状態の空間でしかなかった。
ここは彼が一から作り上げた空間なのである。
古ぼけた木の天井に設置された、無駄なプロペラがついた照明器具。
床はリノリウムだ。
ビニール床でもいいのだろうが、彼はできるだけ天然素材に拘る。
そこで、艶のないビニールに見える殆んど黒色のリノリウムを選んで張って無機質さを強調させ、壁はグレーっぽい色でコンクリートの打ちっ放しに見えるが、換気の処置を施してから断熱材を張り、そこを漆喰で仕上げたという手の込みようだ。
見た目は昭和初期だが、この空間は平成の最高の処置が施されているので、事務所としては勿論、住居に使うにも居心地が良いはずだ。
二つのドアはトイレとバスルームだ。
奥の方のバスルームへのドアを開けると、個室へ続くドアが右手奥に見え、正面にはバスルームのガラスの引き戸がある。
個室ドアの前には新たに設置した大きな窓のある明るい空間が広がる。
大きな窓で空気の流れのよいそこは、洗面台とリネン棚を設置された脱衣所となるスペースと洗濯機を置くどころか洗濯物を干すスペースまであるのだ。
その気になればごろ寝布団を敷いて日向ぼっこに転がって眠れるくらいだ。
そしてそこの床は普通のフローリングであり、壁には白い壁紙が貼られているという普通の、まぁ普通よりはオシャレな感じの様相である。
個室の方の設えもそうだ。
良純和尚が言うには、プライベート空間は、他人の趣味がないあっさりした普通のものであるべきだとの事だ。
普通だから自分風に飾ることが出来、普通だからリラックスできるだろうと。
だが彼が設置した風呂場は普通じゃない。
グレーでシンプルながら壁には手すりがついていて、陶器の風呂桶は横に長く深過ぎないタイプで、床はすぐに乾き滑り止めが施された最新のものだ。
実は僕の家の風呂場もトイレにも手すりがあり、風呂場もそのような誂えだ。
最初は彼の養父であった俊明和尚の介護のためかと思っていたが、彼の物件のリフォームされた風呂場はすべてその仕様だ。
彼は内装を考える時には当時の介護の事を考えるのだろうか。
しかしながら怪我と病気ばかりの僕は、横になれる風呂桶や手すりの有難さをかなり実感しているので、彼もその観点から必ずその仕様にするのだろうと考える。
彼は無駄なものが嫌いで有用なものが大好きな男だ。
とにかく、この部屋の内装が仕上がった時は、当時鬱であった僕でさえ住みたいと望んだものだと思い出す。
良純和尚が競売で手にいれたこの部屋は、すべてを失った男がリンチを受けて放置された後、腐乱死体となって発見されたという事故物件だと聞いている。
それがこの変わりようだ。
彼が手に入れた物件はすべからく過去の汚濁など拭い去られ、素晴らしい処置を施されて、誰もが欲しがる最高級品となって生まれ変わって輝くのである。
今の僕のように。
「ここは良純さんがリフォームしたところです。」
「え?そうなの?ちび。」
「はい。敢えて昔の探偵ドラマの雰囲気を作るって言っていた所です。そういう内装にすれば、外の繁華街の雰囲気と相まって、そういうのが好きな馬鹿な客を騙せて言い値で買わせられるって。」
「こら、その馬鹿な持ち主の前で真実を知らせたら駄目でしょう。」
僕は思わず口を左手で押さえた。
髙の誘惑を受けた僕は、何時もの僕ではないようだ。
「いつもながらのお馬鹿で安心だけどね。」
ぽんっと楊の手が頭に乗った。
嘘!いつも通りなの!
僕の右手の髙は、何時ものように体を震わせて笑っていた。
チクショウ。
しかし、目の前の物件所有者は懐の広い人なのか、僕を見下ろしてにっこりと、それはもう素晴らしい笑顔で微笑んだのだ。
「あぁ、これは俺が買った物件ではなくて、パトロンに車と一緒に渡されたものですからかまいませんよ。それどころか、あの化け物が騙されたと知って嬉しいくらいだ。」
僕の失言を物ともしない、この探偵事務所の所長であり唯一の社員で通報者は、見た目ほど朴訥でも純朴な人でもなかったようだ。
「それで、クロちゃん。俺が死人じゃないって?俺はここを抉るように刺されて殺されたんだよ。」
青天目さんは自分の部屋の死体よりも、当たり前だが自分の身の上のほうが大事であったらしい。