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何でもすると僕は言った


疑うらくは是、命が九天より落つるかと


タイトルは李白の詩をもじったものです。


正)疑うらくは是、銀河の九天より落つるかと

約:銀河がまるで空から落ちて来たかと思われるほど


 僕の家の庭にはボケが六本も植わっている。

 最初に別宅としてこの家を所持していた新婚夫婦が木を二本植えた事が発端だ。


 子供が生まれたら子供達の木も植えようと笑いあった仲睦まじい夫婦であったが、彼らに子供が授かることはなかった。


 中年となり完全に子供を持てない事を思い病んだ妻は、大きな寺の代々の住職を勤める家系の夫に申し訳ないとその生涯を自分で終わらせ、妻を失った夫は寺も檀家も全て捨て、隠居したら妻と住む予定だったこの家に一人移り住んだのだと聞く。


 全てを捨てた坊主が住むこの家の庭に再びボケの苗木が植えられたのは、その坊主が亡くなる四年前となる。


 死病に冒された彼は、自分の死を目前にして養子を迎えたのだ。

 家族というものを生まれて初めて与えられたその養子は、死んだ養父の思いを全て受け取り、同じように養子を取り、彼が養父にして貰ったように僕の木を植えた。


 これで四本。


 後の二本は僕の養父の養父とは関係ない。

 一本は僕の恋人が僕達の家族になりたいと望んだから植えられた。

 もう一本は、僕の養父の親友が勝手に庭に植えたもの。

 六本の木は多過ぎるが、追加の二本は僕の木を守るように植えられているのだから、それは僕にも養父にも大事な木なのである。


 それなのに、僕の木を守るはずの木の一本が抜かれてしまったのだ。


 僕が眠っている、否、まどろんでいるすぐそばで、二人の男達の静かな声が届き、僕は彼らの声を全神経を集中するかのようにして耳をそばだてていた。

 彼らは庭にいて、一人は庭の木を勝手に抜いたことを咎められ、一人はその行為を咎めているだけだが、僕は咎められている男の絶望が怖くて、いつものように外にいる男達の元へと行く事など出来なかったのである。


 言い訳をすれば、数日間固形物が食べられなかった体は衰え、僕には立ち上がる気力も体力もなかったのだ。

 しかし、それでも彼らを呼ぶ声ぐらいは出せたはずだ。

 彼は僕の寿命が尽きると思い込んだ。


 語弊があるな。


 完全に寿命が切れている僕が、動いていられる猶予時間も失ってしまったと思い込んで駆けつけたのだ。


 僕の病気は手足口病と診断された。

 乳幼児特有の病気であるこのウィルスは感染力が高く、成人が羅漢すれば乳幼児よりも症状が重くなるという事実もあるが、知らなかったとしても彼の僕に対する杞憂を笑い飛ばす事はできないであろう。

 終末期に入った僕の体は既に抵抗力を失い、赤ん坊並みの免疫力しか持っていないのだ。


「いや、だってさ、俺の木があったら邪魔だろう。俺はいないのに俺の木があったら邪魔だろう?お前達の約束の木なんだろう。死んだら骨の欠片を埋めるって重い約束のさ。」


 僕は漏れ聞こえた彼の言葉に耳を塞いだ。

 彼は自分を消そうとしている?

 その決意のもとに、消えるだろう自分のよすがまでもを消そうとしているの?

 彼を絶望に導く前世の人殺しの記憶など、現世の彼には関係が無いだろうに。


「あぁ、どうしたらいい?どうしたら、そんな馬鹿な思い込みから彼自身を救えるの?」


 するとそっと僕の額に手を当てる男がいた。


「まだ熱があるんだから、君は心配せずにお眠り。」


 外にいる自分に絶望している男と、似ているようで違う男の声。

 彼は僕の額に当てた手を、そのままゆっくりと僕の瞼の上まで動かした。

 僕は暖かくも冷たくもない掌の動きに合わせて目をつむる。

 彼は僕に見つめられたくなかっただろうし、僕は外にいる大事な彼の絶望を夢の中の出来事だと誤魔化したくもあったのだから問題ない。


 僕は僕を安心させようとする彼の手に自分を委ねようと意識を傾けたが、だからこそか、僕は彼に頼りたくなってしまったのである。

 あんなにもこの男に一線を引くべきだと自分を律していたのに、だ。


「どうしたらいいの?」


 僕の言葉に瞼の上の彼の手は優しく添えられたまま微動だにしなかったが、僕にはありありとこの唾棄すべき男が双眸を輝かせたであろうことは想像できた。

 でも、いつもの「しまった。」という気持ちはない。

 僕には外にいる思い詰めた男が大事なのだ。


「何でもする?」


 悪魔は囁く。

 きっと、僕の大事な彼と同じ顔で、あの彼が僕には決して見せない表情で。

 僕はあの彼がその表情を僕に見せた事を想像して、そして、何も考えずに挨拶を返すように「何でもする。」と返していた。

 瞼の上にある悪魔の手の甲に、恋人にするように自らの右手を乗せて。


「それじゃあ、今はお眠り。」

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