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不運だった少女 ep.和屋楽 from 『人を殺さば』


 ――――そこには、濃密な『死』が充満していた。


 熱い。

 視界の端に、炎が揺らめている。崩れた機体の隙間から入り込む風が熱気を煽り、私の肌を焦がしている。

 痛い。

 神経が激痛に侵され、身体が思うように動かない。黒煙が喉を焼き、呻き声を上げることさえできない。

 怖い。

 熱いのが怖い。痛いのが怖い。動けないのが怖い。喋れないのが怖い。だれか、だれか、だれか……!


 辛うじて動く眼球を、右に向ける。私の隣に座っていた、「到着するまで寝る」と言っていたお父さんが、そこにいる。左の頬に機体の破片が深々と刺さり、顔の一部を抉り取っている。就寝用のアイマスクが肉の内部に入り込み、吸い切れなくなった血液を滴らせている。

 左斜め前を見る。「退屈だ」と駄々をこねる妹をあやしていたお母さんが、背を丸めた状態で残骸の下敷きになっている。背面が真っ黒に焦げ、ほとんど炭のようになっている。そのお母さんの身体に(くる)まれている妹は首が捻じれ、皮を突き破った骨が露出している。見開かれた眼が、私をじっと見つめている。


 先程まで聞こえていた誰かしらの呻き声も、いつの間にかなくなっている。残ったのは、勢いを失いつつある炎が最後までその役割を果たそうと、手近にあるもの全てを焼き焦がしていく音だけだ。

 鉄くさい(にお)いが、鼻を通って口いっぱいに広がる。誤って口の中を噛んでしまった時のあの嫌な味わいに、とてもよく似た不快感。今更ながら、これが血の味なのだと理解することができた。


 『地獄』とはきっと、こういうものだ。

 そこにも、あそこにも。どこに目を向けても『死』がある。

 ほんの数分前までは、平穏無事な『生』だったはずのものが、無残な『死』となってあちらこちらに転がっている。

 少なくとも私には――瞬く間に何もかもを失い、絶望の底にある今の私には、『地獄』という言葉でしか、この光景を表現することができない。


 皆、死んだ。

 でも私は、辛うじて生きている。


 いや、違う……自身の洋々たる未来を夢に見ていた、純真無垢な『和屋(なごみや)(らく)』という少女は、この時確かに死を迎えた。

 目を開ける気力すらなくなり、意識を失いゆく『和屋楽』が最期に思い浮かべたのは……旅行の計画について楽しそうに話していた、昨日の自分の姿だった。


          *


 「ねえねえ、あのさ~。楽ちゃんって、将来何になりたいとか決めてるの?」

 「ん、えっと……警察官、かな」

 「けいさつかん、警察官…………うえぇ! 警察!? うそうそ、意外!」

 「そうかな?」

 「だって楽ちゃん、お淑やかっていうか大人しいっていうかさ~。『私、将来はお花屋さんになりたいんだぁ』……なんて言っても許されそうな、可憐な女の子なのに!」

 「可憐なんて、そんな……」

 「なんでなんで!? なんで警察目指してんの!? 実は楽ちゃんってば、正義感バリバリの、ちゃんとした意味でのヒロイン系女子だったの!?」

 「えっとね。私、なるべく死にたくないから……だから、警察官になろうかなって」

 「ふむふむ…………ふむむむ? あれ? 逆なのでは? 警察の仕事って、むしろ危ないイメージがあるけども?」

 「危ないけど、ほら。最初から危ないってわかってるでしょ?」

 「ふむ?」

 「刃物を持った人と戦うとか、爆弾の処理をするとか、それも確かに危ないことだけどね。例えば、車が突っ込んできたり、地震で家が崩れたり、突然の火事に巻き込まれたり……そういう、私達には防ぎようもない危ないことって、この世界にはいくらでもあるでしょ? どんなに警戒していても、運が悪かったら危ない目に遭ってしまう――それなら、どうにかして危険から遠ざかろうとするよりも、危険に対処できる能力を身に付けた方が、生き延びられる気がして……」

 「うむむむむ、難しいこと考えてるんだね~、楽ちゃんって」

 「……臆病なだけだよ」

 「確かに、核戦争後のヒャッハーな世界でも、生き延びられるのは強い人だけみたいだしなぁ……ああ、でも。それこそ運勢最悪の、大大大凶を引いちゃってさ。乗っている船が沈没しちゃったりとか、飛行機が墜落しちゃったりしたら、さすがにどうしようもなさそうだよね~」

 「…………それ、は……」

 「まあ、そんなこと考えても仕方ないか! そうなったら、終わり終わりのサヨウナラ、諦めるしかないもんね~。しっかし、楽ちゃんはしっかりしてるな~! アタシは将来の夢なんて、まだこれっぽっちも決まってないや」

 「…………」


          *


 【望みを話せ。お前はその資格を得た】

 「……死ぬのが怖いんです」


 何もない、どこまでも続く闇の中で、その闇よりもさらに(くら)い暗雲のような塊――自分と同じ生命体とはとても思えない醜悪な様相の怪異、人知の及ばぬ領域外の存在が、私に語り掛けている。

 説明しがたい不快さ。理解しがたい異様さ。脳が現実を否定しようと躍起になり、精神が急速に枯れていく感覚がある。かつての私であれば、たちどころに発狂して自らの目を潰していたかもしれない。

 これが《死皇(しおう)》……私が奉仕してきた(あるじ)たる、深淵の支配者か。


 【我に仕える身でありながら、己が『死』を拒むか】

 「不死になりたいとか、そういうわけではないんです。私はちっぽけな人間で、人間である以上、いつかは死ぬ……それは、仕方がないことだと思ってます」

 【であれば、何を怖れる】

 「いつか死ぬ――その『いつか』がわからないのが、どうしようもなく怖いんです」


 私は、地獄を見た。昨日を笑い、今日を楽しみ、明日を待ち望んでいた純粋な人々の未来が、理不尽に奪われる様を目撃した。

 その地獄から生還を果たした私は幸運であり……同時に、その地獄から生還を果たした私は、紛れもなく不運だった。

 私は、知ってしまったのだ。『死』の身近さを、『死』の身軽さを。私達の『生』はまるでオセロのように、神様が気まぐれに打った一手で、あまりにも簡単に『死』へと裏返ってしまう。何も理解できぬまま、何の抵抗もできぬまま、一瞬のうちに全てを失ってしまう。 

 私達は、タイマーの表示されない時限爆弾を抱えて生きている。ただ、人は――私以外の人々は、その残り時間の不安定さに、気付いていないだけなのだ。


 「皆、自分がいつか死ぬということは知っています。でも、自分がいつか死ぬということを、全く理解していない。楽しそうに笑って毎日を過ごして、将来がどうだとか語り合ってる――――私だけが! 頑張って作り笑いして、本音も言えないで! いつ死ぬんだろうって、いつまたあの地獄を見るんだろうって、ビクビク怯えながら生きてる!」


 ただ、運が悪かっただけなのに。

 運悪く生き残ってしまっただけなのに。

 何故私だけが、恐怖を(いだ)いたまま生き続けなければならないのか。

 何故私だけが、幸せになることを許されないのか。

 それは、理不尽に対する怒りではなく――私が生き残った意味、私が今後生き続ける意味を知りたいと願う、純粋な問いだった。


 「……だから、できることなら、死なない身体とまではいかなくても、死ににくい身体くらいにはなりたい思っています。それが本当に叶うのなら、ですけど」


 幹部になった者に与えられるという能力(ちから)――そんなうまい話があるはずないと、私は高を括っていた。目の前の存在が素直に願いを叶えてくれるとは、全然思っていなかった。

 悪魔との契約は、最終的には契約者に不幸が訪れて幕を閉じるのが定番だ。きっと私も、この邪悪な存在にいいように弄ばれて、何も得られぬままに、狂ってしまったり死んでしまったりするのだろう。

 ……おかしな話だ。「死ぬのが怖い」と言いながら、自分が死ぬ可能性を当たり前のように考慮している。結局のところ私は、この苦しみから解放されて、早く楽になりたいだけなのかもしれない。ただ自殺する勇気を持たないがために、自身の理解が及ばない存在に、理解が及ばないうちに意識を奪ってほしいと、望んでいるだけなのかもしれない。


 いや……理由なんてもう、どうでもいい。

 どんな形でもいいから、私に救いの手を――。


 【死に触れた者、死と共に歩まんとする者よ。お前の在り(よう)は、我の支配下たる人間の枠組みより零れ出ている】

 「……よくわからないです。調子に乗るな……ってことですか?」

 【不運より生まれ落ちた、死の理解者たり得る者よ。その不運がお前の十全なる道行きを阻むというのであれば、我がそれを不要と断じよう】

 「え……?」


 それは、どういう……?

 私がその言葉を理解する前に、目の前の黒い塊が僅かに身震いした――と同時に、私は奇妙な感覚を覚える。

 何かを奪われてしまった喪失感のようでありながら、しかし何かを与えられた充足感のようでもある。憂鬱さと爽快さをない交ぜにして飲み込んだというか、何というか……私の知る言葉ではうまく表現することができない、非常に複雑な感覚だ。

 肉体に目に見える変化はなく、精神的な変化があったわけでもないと思う。

 しかし、『何かが変わった』という実感だけが、胸の内に確かにある。


 「これ、は……一体、何を……?」

 【望みは叶えられた。お前はこれより、『()を転ずる者』と相成る。お前が望まぬ限り、あらゆる災厄がお前を忌避する。お前が望まずとも、あらゆる好機がお前を祝福する。お前の安穏なる生は、今ここに成立した】

 「は? ――――えっ!? いや……何、言って……!」

 【我はお前の十全なる働きを期する。故に、お前より『不運』という要素を排除した。上等な従者たるお前に下す、正当な報労である】

 「そん、な……こんな、簡単に……」


 驚愕のあまり、言葉がうまく紡げなかった。

 情緒もなく、兆候もなく。さしたる手間でもないと言わんばかりに、淡々と。

 私を長きにわたり苦しめてきたもの、私達人間にはどうしようもない『天運』という概念的なもの――それを瞬く間に、特別なこともせず。手を加えてやった、と……そう言っているのだ、この存在は。


 もちろん、目に見えないものである以上、その言葉が真実であるという確証はない。

 けれど、不思議だ。私はその言葉が偽りであると、微塵も思うことができない。逆に、自身に起こった変化がその言葉通りのものであると、当然のように確信している。


 ……《死皇》は人間の想像する、創造主たる神ではない。

 しかし、()の存在が成していることは紛れもなく……『神の御業』と呼ぶべきものだった。


 「た……対価は!? 何もないなんてことは――」

 【前言に誤りはない。お前の過去と未来は報労を下すに値するものである。お前自身が納得できぬというのであれば、以後の働きを以って清算せよ】

 「未来……?」

 【お前は真に死の理解者たり得る者である。我の奉仕者たる者は多くあれど、我の役儀を協働し得る者は限られる。人間の可能性を超越せんとするお前のさらなる進化を期し、我はお前に最大限の幇助を与えん】

 「私が、貴方と共に……。それは、その……教団の幹部として、ですか……?」

 【人間同士の取り決めは、我に関せざるものである。お前を価値ある者と判ずるは、我の見極めによるところ。一切の無用な要素は排除されている】

 「価値のある、者……」


 《死皇》の言葉は無感情で、その本意はよくわからなくて。

 その姿には未だに慣れなくて、相も変わらず不快に思えて。

 けれどその存在が、私にとっての最たる問題を、あっという間に解決してくれた。

 過去を引きずり、ただ生きることに必死だった私を見出してくれた。

 自分の益しか考えず、信仰心なんて少しもなかった私の願いを叶えてくれた。

 何もかもを失った私に改めて、生き続ける意味をくれた。

 私が必要だと、言ってくれた……。


 善悪の区別が意味を持たない狂気の領域?

 そこに棲む、真理を否定する冒涜的な邪神?


 他人の評価なんて、関係ない。その真偽も、どうでもいい。

 その存在が――《死皇》が、私を救ってくれたという確固たる事実が今ここにある。

 私にとっては、それが何よりの真実だ。


 【再度告げる。望みは叶えられた。だが敢えて問おう。我の申し出に応じるか、否かを】

 「……はい。私は――」


 何もない、どこまでも続く闇の中。

 私は、その闇よりもさらに闇い暗雲のような塊に向けて、短い答えを口にした。


          *


 「ん……あれ……?」

 ふと、目が覚める。

 組んだ腕の中に伏せていた顔を上げると、目の前には見慣れた風景が広がっていた。愛技警察署の署長室――自分の仕事場だ。私は今、そこに置かれたデスクに座っているようだった。

 「いつの間にか、寝ちゃってた……」

 時計を見ると、午前七時前を示していた。確か、ここに来たのが五時前。変な時間に起きてしまったので、そのままいつもより早く来てみたのだが……やはり寝不足だったようだ。

 「懐かしい夢、見ちゃったなぁ」

 ぼんやりと頭に残る、先程まで見ていた夢の映像を思い出し、何故だか少し笑みが零れた。若い時分の記憶というのは、どんな内容であれ、思い返してみるとどうにもこそばゆいものだ。

 それでも……その記憶を笑って思い返せる今の自分が、とても嬉しく思われる。


 「さてさて、始業までまだ時間があるけども――」

 どうやって暇を潰そうかと考え始めたところ、不意に扉をノックする音が響く。

 「はいはーい?」

 「……第二種特殊事件係、戸畑(とばたけ)です。折り入ってご相談したいことがありまして」

 「え? 戸畑さん?」

 珍しい……しかもこんな朝早くに、何だろう?

 声の主の、印象的な仏頂面が思い起こされ、首を傾げる。彼はこの署内きっての優秀な警察官で、捜査に関して私の意見を必要とすることなんて滅多にないのだが……。

 あるいは……私が行っている工作に気付き、探りを入れに来た、とか……?

 ……まあ、それならそれで。私が彼と同じ、教団の幹部だということを彼が知ったところで、大きな問題はないだろう。彼の目的は未だに判然としないが、少なくとも《死皇》に敵対する意思はなさそうであるし。

 「入っても構いませんか?」

 「ああ、うんうん! 全然オッケーだよ~」

 催促する声に、私は明るい調子で返事をする。


 普段は冷静沈着な態度を崩すことのない彼の声音が、いつもより僅かに乱れていたことに、その時の私は気付くことができなかった。

 その油断ともいえる鈍感さが、後のちょっとした騒動を引き起こす一因になるなんてことも、当然知るはずもなく……。




 ともあれ……不運だった少女の物語は、一旦ここで幕間となる。

 幸運を掴んだ()の少女が、果たしてこの世界でどのような役割を担うのか……それはまた、何処かで紡がれる物語にて――。

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