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君と交わした約束を僕は忘れない  作者: 日野 祐希@既刊8冊発売中
第一章 浅場南高校書籍部
8/40

3-3

「ゆうりぐ~ん、だ~ず~け~て~!!」


 女の子が胸の中に飛び込んでくる。普通なら、ドギマギしてしまいそうなシチュエーションなのだろう。けれど、この時の僕はドギマギのドの字さえも感じていなかった。


 だって、奈津美先輩の顔がすごいことになっていたから。目からは滝のような涙を流し、鼻水まで垂らしている。若干引くくらいにひどい顔だ。

 というか、そのまま僕の胸に縋りつくのはやめてほしい。涙はまだしも鼻水をシャツにつけないでもらいたい。


「ヒック……! 先生がね、期末でも中間みたいに赤点四つ取ったら、夏休み中ずっと補習だって言うのよ。ひどいと思わない?」


「自業自得じゃないですか、それ! というか、赤点四つって半分近い教科で赤点ですよね? 何やってんですか!」


 三年生文系の中間・期末は九科目と聞いている。赤点があとひとつ増えたら、半分を超えてしまう。そんな状態じゃあ先生だって、「夏休み中ずっと補習!」と言いたくなるってもんだ。むしろ先生の方に同情したくなる。

 僕が先輩の担任の不憫を憐れんでいると、当人が言い訳がましく喚き出した。


「だって私、進学しないもん! 製本家に、微積分や魚の器官なんて関係ないし! 製本技術の勉強の方が大事だし!」


「進学云々以前に、このままだと確実に留年ですってば! 先輩、来年は僕と机を並べるつもりですか?」


「いや~! そんなの絶対いや~! 先輩としての威厳がなくなっちゃう~!!」


「赤点四つ取って後輩に泣きついている段階で、そんなものは存在しません! いいから、さっさと勉強してください! 文集の打ち合わせは、期末テストが終わるまで持ち越しです!」


 ぐずぐずと鼻を鳴らす奈津美先輩をソファーに座らせ、テーブルに教科書とノートを広げさせる。

 聞けば、赤点の危険性があるのは数学二科目と英語、生物とのこと。英語を抜けば、完全に理系科目に偏っている。奈津美先輩は文系クラス所属のため、物理や化学、数Ⅲ・Cがないのが幸いか。

 ただ、数Ⅱ・Bの教科書とにらめっこをした奈津美先輩は、すぐに助けを求める目で僕を見上げてきた。


「……悠里君、勉強教えてくれる?」


「先輩、自分が言っている言葉の意味をよく考えてみてください。何で三年生の先輩が、二年生の僕に勉強を教わろうとしているんですか?」


「だって悠里君、二年の学年トップじゃない。ちょっと本気を出せば、きっと三年生のテスト範囲だって、何とかなるはずよ?」


 奈津美先輩が、期待の眼差しで僕を見上げる。潤んだ瞳には、「悠里君は、やればできる子よ!」と書かれていた。


 いや、今やる気を出さなければいけないのは、あなたの方なんですけど……。


 呆れ過ぎたあまり力が抜けて、僕は奈津美先輩の向かいのソファーに腰を下ろした。

 それを奈津美先輩は、交渉の余地ありと判断したようだ。妙な演説を始めた。


「悠里君、君は何のために学力を磨いてきたの? その力は何のために使うべきものか、よく考えてみて!」


「…………。……わかりました。考えた結果、僕の学力は僕のテスト勉強のために使うべきと判断しましたので、これで帰らせてもらいます」


「わ~! 嘘、冗談よ! 調子に乗ってごめんなさい。お願いだから、見捨てないで~!」


 カバンをつかんで帰ろうとした僕を、奈津美先輩が必死で引き止めてくる。

 こんなこと、ついさっきもやったな。学習能力ないのか、この人。


 そもそも、僕が勉学に力を入れているのは、司書の採用試験のためだ。

 正規採用の司書は募集が恐ろしく少ないため、採用試験は高倍率になることがほとんどだ。だから、高校生の内から勉強を頑張っているのである。まかり間違っても、奈津美先輩の赤点対策のために磨いた力ではない。


 ただ、ここで見捨てると、本気でこの人は落第するかもしれないしなぁ……。

 頭の中に、来年も今と変わらず奈津美先輩と過ごしている自分の姿が浮かぶ。そうなったら、部室プライベートスペース化の夢もパーだ。


 何より、校内での僕の評価が『留年生の手下』に変わってしまうかもしれない。さすがにそれは、恥ずかし過ぎて耐えられない。……これは、やむを得んか。


 奈津美先輩に背を向けたまま、諦めの吐息を漏らす。


 幸い、自分のテスト勉強は滞りなく進んでいる。模試対策で先の内容も勉強しているから、三年生のテスト範囲も大体何とかなるはずだ。


 よって、一応条件は揃っている。あとはもう、奈津美先輩に教えることで、自分の理解を深めることができるって無理矢理納得しておくか。

 奈津美先輩直伝、ポジティブシンキングというやつだ。僕はカバンを置き、もう一度ソファーに座り直した。


「……わかりました。とりあえず、テスト範囲を教えてください」


「ありがとう、悠里君! 今度、お礼にケーキ奢ってあげる!」


「そんなことはどうでもいいんで、さっさと始めますよ。期末まであと一週間。少なくとも赤点を取らないよう、ビシバシいきますから」


 パッと顔を輝かせた奈津美先輩に、僕はピシャリと言い切る。

 まったくこの人は、なんて人使いの荒い先輩なんだろう。奈津美先輩と一緒にいると、退屈を感じている暇さえない。

 僕は「やれやれ……」と苦笑しつつ、奈津美先輩に数学を教え始めたのだった。


          * * *


 ――一時間後――


「悠里君、スパルタ過ぎ~。先生よりも厳しいよ~」


「泣いてないで、勉強に集中してください。ほら、そこの問題、間違っていますよ。あと、こっちも」


「これなら、赤点取って補習の方がマシよ~」


「無駄口叩いてないで、さっさと問題を解いてください。下校時刻までに、ここを終わらせますよ。ハリーアップ!」


「うえ~~~~ん!」


 書籍部の部室に、奈津美先輩の情けない鳴き声が木霊した。

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