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浅場南高校書籍部。
それが、僕が所属する部の名前だ。ちなみに読み方は、〝しょせきぶ〟ではなく〝しょじゃくぶ〟。図書館の旧称のひとつである書籍館が由来とのことだ。
活動内容は、本に関わることなら読書だろうが、小説の執筆だろうが、何でもあり。唯一決まっているのは、九月に行われる文化祭で文集を出すことだけ。これだって、申し訳程度の実績作りでしかない。
要するに、本が好きな生徒たちがだべっているだけの、存在意義がいまいちわからない部活動というわけだ。
なお、現在の部員は、僕と奈津美先輩のみ。今年度は新入部員が入らなかったため、絶賛廃部危機の真っ只中である。というか、このままだと間違いなく僕の代で廃部だ。
文集のバックナンバーを見る限り、来年でちょうど書籍部設立から十年。この記念すべき年に、とうとう年貢の納め時を迎えたということなのだろう。ここは最後の部員として、きっちりと部の終焉を見届けようと思う。
ついでに言えば、最後の部員っていうのも、ある意味ラッキーなことだ。部室をひとりで使えるってことは、学校にプライベートスペースを持てるってことだし。
つらつらと書籍部の行く末を考えつつ、書籍部の根城である資料室へと足を運ぶ。特別教室棟の一階にあるこの部屋は、図書室に納まらなくなった古い資料をしまっておくための書庫だ。書籍部はその一角を間借りしている。
部屋の引き戸を開けると、古い本特有のどこか甘い臭いが鼻をついた。カビ臭くて苦手と言う人もいるが、僕はこの臭いがきらいじゃない。どことなく落ち着く感じがするのだ。
資料室の入り口付近は背の高い本棚が密集していて、まるで壁がそびえ立っているように見える。その本棚の間を通り抜け、部屋の奥へと向かう。
本棚の森を抜けると、応接室で昔使っていたソファーとテーブルが姿を現した。ここが、書籍部の活動スペースである。
そして、上座となるソファーには、書籍部部長である奈津美先輩がふんぞり返ったまま座っていた。
「フッフッフ! 遅かったわね、悠里君。待っていたわよ」
僕に気づいた奈津美先輩は、平らな胸の前で腕を組み、口元に不敵な笑みを浮かべた。
昼休みに色々と失敗したから、この仕草と態度で部長の貫録を見せているつもりなのだろう。奈津美先輩は、割と〝先輩〟や〝部長〟としての面子に拘る人なのである。僕にかっこ悪い姿を見せるのが嫌らしい。
もっとも、今日のような失敗をこの一年ちょっとの間に何度も見せられてきたのだ。今さら取り繕ったところで、後の祭りもいいところである。
「掃除が長引いたんです。それよりも先輩、さっさと本題に入ってください。昼休みに言おうとしていた話って、一体何ですか?」
カバンをテーブルに置きつつ、奈津美先輩の対面に座る。
奈津美先輩は『デキる部長』アピールは完全にスルーされ、少しご立腹のご様子。けれど、自分の手柄を自慢したいという欲求が勝ったのだろう。すぐにまた「フフフ……」と、ドヤ顔でにやつき始めた。
「悠里君がそんなに聞きたいと言うのなら、仕方ないわね。いいわ、教えてあげる!」
「あ、そんなに聞きたいわけではないので、仕方ないなら別に教えてくれなくていいです。お疲れ様でした、今日はこれで失礼します」
「わ~っ! 待って、待って、帰らないで~。私が悪かったわ。調子に乗って、ごめんなさい。反省するから、話を聞いて~~~~!!」
本気で帰ろうと思って席を立ったら、思い切り手を引っ張られた。奈津美先輩の少しひんやりしていて柔らかな手の感触に、自然と頬が熱くなる。
この人、パーソナルスペースが異常に狭いのか、何かあると咄嗟に手やら腰やらにしがみついてくるのだ。恥ずかしいから勘弁してほしい。
というか、これではやっていることが、おもちゃを買ってもらえなかった子供と変わらないと思う。本当に威厳とは縁遠い人だ。
「わかりました。聞きます。だから、そろそろ手を放してください」
「へ? あ、ごめんなさい」
イエスと言うまで放してくれそうにないので、仕方なく座り直す。奈津美先輩も自分が僕の手を握り締めていたと気づき、慌てて自分の手を離した。
奈津美先輩はソファーに腰を下ろし、少し乱れたスカートの裾を整えている。そして、「コホン」とひとつ咳払いをして、僕の目を真正面から見据えた。
「それでは気を改めまして……。悠里君、私、ついにやったの!」
バンッとテーブルを叩き、奈津美先輩が興奮した様子で身を乗り出してきた。間近に迫った黒い瞳の中には、星がキラキラと輝いている。開口一番、暴走超特急モードに突入したらしい。さっきスカートの裾を整えたのは何だったんだ、と思いつつ、僕は奈津美先輩にぶつからないよう体をのけぞらせた。
「それはもう聞きましたから。さっさとその続きを……」
「苦節二か月半、新年度になってから重ねてきた努力が、ついに実を結んだのよ。あ~、私って本当に偉い! 悠里君も、そう思うでしょ!」
人の話を聞きゃしないよ、この人。
握り締めた拳を震わせてしみじみ語ったかと思えば、うっとりとした表情で突然の自画自賛。しかも、結局何をやったのか一向に言いやしない。
これで同意を求められても、こっちはどう反応すればいいんだ。
「あ、もしかして朝の英単語小テストで平均点でも取れましたか? 確かにそれは、素晴らしいことですね。おめでとうございます。この調子で、引き続き頑張ってください」
「いいえ、それは今回も五点で……って、違う! そうじゃなくて!」
とりあえず適当なことを言ってみたら、ノリツッコミで返ってきた。
そうか、今回も五点だったのか……。
朝の英単語小テストとは、毎週月曜日の朝に全校一斉に行うテストだ。テストは二十点満点で、受験生でもある三年生の平均点は十四~十五点ほどと聞いたことがある。つまり、先輩の得点は平均点のおよそ三分の一だ。
ちなみにこのテスト、平均点の半分以下を五回連続で取ると、もれなく補習がプレゼントされる。奈津美先輩はこれで四週連続平均点の半分以下だったはずだから、リーチが掛かったわけだ。
「悠里君、何で合掌なんかしているの?」
「いえ、『ご愁傷様です』という気持ちを表してみようかと思いまして」
「ま、まだ終わってないもん! 来週八点以上取れれば、まだ何とかなるもん!」
奈津美先輩が手を振り回して喚く。人間は諦めが肝心ですよ、と教えてあげるべきか真剣に悩んだ。
「もう! 私の英単テストの結果はどうでもいいの! それよりも私の話!」
「はいはい、そうでしたね。どうぞ、話を続けてください」
憐みによって優しい気持ちになれた僕は、穏やかな口調で先を促す。
奈津美先輩は「まったく悠里君は……」と文句を言いつつも、話の方向を修正した。
「私が成し遂げたのは、他でもない。九條先生との粘り強い交渉の結果、私は遂に文集作成の自由を勝ち取ったのよ!」
奈津美先輩が自信満々といった様子で、ついに今日の話とやらの核心を明かした。九條先生というのは、書籍部の顧問を務めている古典の先生だ。どうやら奈津美先輩がやってきたこととは、顧問との交渉のことだったらしい。
ただ、その結果として勝ち取ってきたものが〝文集作成の自由〟とは、一体どういうことだろうか?
「文集作成の自由って、文集なら毎年作っているじゃないですか。というか、これがなくなったら、書籍部にまともな活動なんてないですよ」
「まともな活動がないとは失礼ね。悠里君は、書籍部への愛情が足りていないと思うわ」
「愛情って……。先輩によって拉致同然で入部させられた部活に、そんなもの感じているわけないじゃないですか」
「あ~、ひどい! 悠里君、またそういうこと言う。あれは拉致じゃないわ。合意の上だったもん!」
両手を腰に当てて頬を膨らませる奈津美先輩に向かって、大きくため息をつく。
そう。僕は好き好んでこんな存在意義のわからない部活に入ったわけではない。この人に、無理矢理入部させられたのだ。
僕の頭の中に、高校に入学した日の出来事が鮮明に蘇る。
あれは、奈津美先輩と七年ぶりに再会した直後のことだった。