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君と交わした約束を僕は忘れない  作者: 日野 祐希
第三章 書架の暗号
21/40

3-3

「もしかして……!」


 棚から抜いたばかりの本を、もう一度よく見てみる。注意すべきは、背表紙に記されたタイトルだ。そこに子供の視点で暗号なりを仕込むとするなら、ここしかない。


「あった!」


 八冊並べた本のタイトルの頭文字を一冊目からつなげて読む。


「『ご』『め』『ね』『ま』『た』『あ』『お』『う』……」


「『面積と体積』は、多分『めん』じゃないかしら。『ん』で始まる本ってほとんどないから」


 奈津美先輩に言われて、『め』を『めん』に置き換える。


 ごめんね、また会おう。


 イタズラと思われた本から、隠されていた別れのメッセージが現れた。

 本のジャンルに統一性がないのは当然だ。この本をここに置いた子にとって大切だったのは、最初の一文字だったのだから。


 こんな簡単な暗号にも気が付けなかったなんて、僕はなんて狭い視野で物事を見ていたんだろう。司書を目指すと言っておきながら、肝心の利用者のことがまったく見えていなかった。情けないにも程がある。


 僕同様に暗号に気付かなかった陽菜乃さんも、口をポカンと開けている。おそらく、胸の内では僕と似たようなことを考えているだろう。


 だけど、奈津美先輩が導き出したイタズラの裏に隠された物語は、これだけで終わらない。鈴の音のように心地よい声が、僕と陽菜乃さんの耳を優しく打つ。


「さっき陽菜乃さん、このイタズラが夏休みに入った頃から起こらなくなったって言っていましたよね」


「え? ええ……」


「このイタズラは、ひとりでは成立しません。ふたり以上の人間が示し合わせて行わないと、意味がない。だったらイタズラが止まった理由は、このメッセージから察するに、仲間内でのケンカが原因だったんじゃないでしょうか」


 まるで読み聞かせでもするように、奈津美先輩の優しい声は続く。


「もしそれが正しいなら、ケンカの理由は何だったのか。私は、きっとこのメッセージを残した子が、大切なこと――自分が転校することを切り出せなかったからだと思うんです」


 八年前の私みたいに……、と先輩は僕の方を見ながらどこか悲しげに笑う。

 その瞬間、僕は胸が締め付けられるような感覚を得た。


 頭をよぎるのは、奈津美ちゃんがいなくなってしまったあの日のことだ。あの日、手紙を残していった奈津美ちゃんは、何を思っていたのか。その答えを、今教えてもらえたような気がした。


「この子は、転校することを切り出せないまま、終業式の日を迎えてしまった。二学期から別の学校へ転校するとなれば、ホームルームで先生がそれを発表します。この子の仲間は、何も教えてもらえなかったことに怒ったのでしょうね。だから彼らはその日にケンカ別れをして、結果的にイタズラが止まった……」


 奈津美先輩が語っているのは、あくまで状況から導き出した推論だ。いや、創作と言った方がいいだろうか。なぜなら証拠はひとつもないのだから。

 けれど、筋は一応通っている。


「それでも、この子は私と違って勇気を出したんだと思います。ケンカした仲間に連絡して、自分の気持ちをメッセージに籠めた。方法はちょっと褒められたやり方じゃなかったけど、きちんと自分がここにいるうちに気持ちを伝えようとした――。私は、このメッセージを見て、そういう風に思うんです」


 朗々と語られた先輩の推理が、終わりを迎える。

 言葉を切った奈津美先輩は一呼吸置き、陽菜乃さんに向かって再び頭を下げた。


「だからお願いします。もしこのイタズラがもう一回起こったとして、その犯人がわかっても、許してあげてほしいんです」


 奈津美先輩の下げられた頭を見ながら思う。ここまで、この人は何ひとつとして正しい(・・・)ことは言っていない。


 最初に言った「イタズラをあと一回だけ許してください」という言葉は、道義的に間違っている。多くの利用者に迷惑が掛かる行為を見逃すべきではない。


 それに奈津美先輩が語った推理も、証拠がない以上は単なる想像だ。正しい真実ではない。イタズラの犯人は転校しないかもしれないし、このメッセージだって単なる遊びかもしれない。


 そう。論理的に判断すれば、何ひとつ正しくない。イタズラを見逃す理由にはならない。

 けど……なんでかな。正しくないって頭でわかっているのに、正しくあってほしいと願ってしまう。奈津美先輩の言う通り、これが優しいイタズラであってほしいと祈ってしまう。


 だってこれは、図らずも奈津美先輩が僕に与えてくれたきっかけだから。

 たくさんの知識を身につけながら、僕らは思い描く目標へ向かって進んでいく。

 ただ、成長は時として、物事の見え方を凝り固めてしまうことがある。僕がつい先程、自身の知識と経験に固執して、利用者のメッセージに気付けなかったように……。


 そうやって僕が夢を目指す過程で見失いかけていたものを、先輩は取り戻させてくれた気がする。

 図書館司書は本と向き合い、同時に人と向き合う。本が好きなだけではなく、人が好きでなければ務まらない。そんな当たり前で、だからこそふと見過ごしてしまう、大事なことを……。


 こんなものは、単なる理想論なのかもしれない。現実はそれじゃあ務まらない、と言われるかもしれない。

 それでも、僕はもう一度この理想を抱いて司書を目指したい。

 だから、そのためにも奈津美先輩が紡いだ〝推理〟という名の〝物語〟を守りたいと思った。優しさで満ちた先輩の想像が、真実であると信じたかった。

 気が付けば、僕は奈津美先輩と一緒に頭を下げていた。


「僕からもお願いします。このイタズラの犯人を許してあげてください」


「栃折さん……。一ノ瀬君まで……」


 頭の上から、陽菜乃さんの困ったような声が聞こえる。

 まあ、普通そうなるよな。イタズラした犯人を許してくれなんて頼まれたら……。

 けど、陽菜乃さんはやっぱり大人だ。すぐに頭を整理したようで、僕らに落ち着いた声音で「顔を上げて」と言った。


「もしこのイタズラの犯人を見つけたとしたら、さすがに見過ごすことはできないわ。正しい図書館のマナーを教えてあげることも、私たち司書の仕事のひとつだから」


 僕と奈津美先輩がお辞儀をやめると、陽菜乃さんは冷静な口調で僕らの求めを却下した。


 ……うん、わかっていた。どう考えても、陽菜乃さんの言っていることの方が正しい。

 このイタズラをやった子供たちの今後のためにも、その方がいいに決まっている。ただ許すのではなく、きちんとダメなことをダメと教えることこそ、本道だ。


 けど、もしも奈津美先輩の想像が正しかったとしたら……願わくば、別れの思い出が叱られた記憶とはならないでほしい。それは、あまりにも悲しいから。

 その時、陽菜乃さんは「けどね」と言葉を継いだ。


「けど……もしも栃折さんの想像が正しいのだとしたら、私も最大限の配慮をするわ。だって、この図書館での最後の思い出が悲しいものになってしまうのは、私も嫌だもの」


 先程の奈津美先輩にも負けない優しい声音で、陽菜乃さんが言う。

 僕と奈津美先輩は、喜びのままに顔を見合わせてハイタッチした。


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