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以前、代わり映えしない生活を送っていると時間が早く感じると言ったけど、上には上があるものだ。楽しい時間というものは、輪をかけて早く過ぎ去っていく。
三日間の職業体験も、今日で最終日。思えば、実り多い体験をさせてもらったものだ。
例えば、書架整理。陽菜乃さんの担当が児童書ということで、僕らは児童コーナーの整理を任された。ある意味これが、僕らの主担当業務だ。一日の多くの時間を、これに割いている。というか、現在進行形で書架整理実施中である。
折しも、今は夏休み期間だ。児童書コーナーは、読書感想文や自由研究に使う本を借りに来た小学生で溢れている。書架整理に時間を割きまくっているのも、整理した傍から棚が乱れていくからだ。
そして、書架の近辺を歩いてしていると、来るわ、来るわ。小学生たちがわんさか声を掛けてくる。今も、「この本の場所がわからない」とか、「植物の本はどこにあるの?」とか、質問攻めだ。
だけど、これで慌てていたら司書志望は務まらない。
本の場所がわからないなら、まずは検索用のパソコンへ直行だ。訪ねてきた子と一緒に本を検索し、書架まで案内する。本が決まっているなら、これだけで済むから割と楽だ。
問題は、植物の本の場所を聞いてきた子の方。具体的な本が決まっていないようなので、そのまま書架へ直行する。
幸い、この図書館には通い慣れているから、どこにどの分野の本があるかは頭に入っている。とりあえずは、児童書コーナーの自然科学系の書架に連れていった。
「どうかな? 気になる本はあった?」
「ううん。なんか違う」
首を横に振られてしまった。残念、お気に召さなかったらしい。
ならば別の分野で何かと考え……ふと閃いて、裏の書架へ移動する。
確かこの辺を整理していた時に、あの本が……あった。
「それじゃあ、こんなのはいかが?」
書架から取り出した本を、男の子に手渡す。タイトルは『食べられる野草』。なんだか料理の棚で異彩を放っていて、記憶に残っていたのだ。
はてさて、今度の反応はどうかな?
「おもしろそう! これにする。ありがとう、お姉ちゃん!」
満面の笑顔。よかった。どうやら心に刺さるものがあったらしい。
それはいいとして、僕はお兄ちゃんだよ~。どういうわけか十人にひとりくらい間違えてくるけど、れっきとした男だよ~。もしかして君たち、連携して僕をからかってる~?
ともあれ、手を振る男の子を見送りながら、心の中でガッツポーズをする。こういう瞬間があるから、この仕事は楽しいんだ。
心を弾ませながら、書架整理の続きに戻る。
――と、その途中、視界の端に妙なものが映り込み、僕は足を止めた。
「……何やってんですか、先輩?」
「ひゃうわっ!」
僕が声を掛けると、カーペットに寝そべっていた奈津美先輩がビクリと震えた。
うつぶせに寝転んだ先輩は手に児童書を持ち、両脇で同じく寝転んだ小学校低学年と思われる子供たちと一緒に読んでいた。
「ち、違うのよ、悠里君。これは、サボっていたわけではなくて……そう! 利用者さんとの交流を図っていたの!」
「そうですか、よくわかりました。で、何をしていたんですか?」
言い訳は取り合わずに、同じ問いを繰り返す。
「この子たちから、『本探すの手伝って』って言われて……。で、見つけてみたら昔読んだことがある本で、懐かしくなっちゃって……」
「ここで読書に耽っていたと」
「はい……」
正座した奈津美先輩が、しょんぼりとうなだれた。
僕も、やれやれと肩を竦める。
やっぱり、大人しく書架整理に精を出してもらうべきだったな。
学校の図書委員さえやったことがない奈津美先輩にとって、書架整理も利用者案内も未知の仕事だ。装備の時と違い、鍛えた手先の器用さでカバーもできない。
実際、奈津美先輩は図書館の本がきちんと分類されて並んでいることさえも知らなかったくらいだ。当然ながら図書館内の本の配置なんて、ろくすっぽ覚えちゃいない。
だから、少しでも負担が減るように「書架整理に集中してください」ってお願いしたんだけど……。この人、僕に部長としてデキるところを示そうとしたのか、「お気遣い無用よ!」とか言って聞かないんだよなぁ。
で、その結果がこの体たらくと……。ちなみに昨日は、本の場所を尋ねてきた女の子と一緒に児童書コーナーの前で途方に暮れていた。
これはもう、呆れ果ててため息しか出ない。
「まったくもう、『羽目外すな』って僕に言ったのは、どこの誰ですか? 小学生なのは体型だけにしてくださいよ」
「さ、さすがに小学生並は言い過ぎよ……?」
「そうですね。胸は……下手すると小学生にも負けていますもんね」
「ひどいっ!」
神妙な面持ちで事実を告げたら、奈津美先輩が悲鳴を上げた。
奈津美先輩、事実を受け入れなければ、人は成長しませんよ。発育面は、年齢的にもう期待できないかもしれませんが……。
と、その時だ。僕たちの間に、思わぬ伏兵が飛び込んできた。
「お姉ちゃんをいじめるな!」
「そうだよ、ぼくたちが『いっしょに読もう』ってさそったんだ。お姉ちゃんは、わるくないよ!」
本を読んでいた男の子ふたりが、奈津美先輩をかばうように立ち塞がる。
よく見たら、この子たちの顔、そっくりだ。一卵性双生児というやつかもしれない。
ともあれ、これには僕も面食らった。奈津美先輩、子供たちからモテモテだな。
うーん、なぜだろう。男の子たちから庇われる奈津美先輩を見ていると、若干、お腹の底がムカムカする。何だかおもしろくない。
「あなたたち……」
一方、奈津美先輩の目には感動の涙が浮かんだ。
いや、あなた、それでいいんですか? 年端もいかない子供たちに庇われているんですよ。今のあなた、部長しての威厳もへったくれもあったもんじゃないですよ!
双子君たちも双子君たちで、奈津美先輩が喜んでいると見て、より一層勇気が湧いてきたのだろう。
ふたりで、強気にこう叫んだ。
「それに、ぼくらのいとこのお兄ちゃんが、言ってたよ! 『ちっちゃいおっぱいはステータスだ』って!」
「そうだ、そうだ! ちっちゃくたって、りっぱなんだぞ! きしょうかちなんだぞ!」
奈津美先輩が、先程とは別の涙を流しながら泣き崩れた。
まさか味方の子供たちから最大の一撃をもらうとは……。膝を抱えた奈津美先輩があまりにも憐れ過ぎて、思わず同情してしまった。ご愁傷様です。
というか従兄弟のお兄さんとやら、あんた、こんな小さい子供たちに何を吹き込んでいるんだ!
「あー、うん。そうだね。君たちの言いたいことはよくわかった。僕ももうお姉さんを怒らないから、ちょっと落ち着こうか」
でないと、そのお姉さんが本当に本気で再起不能になっちゃうからね。君たちが良かれと思って言っている言葉、全部お姉さんに跳ね返っているから。この人、能天気なくせに変なとこで繊細だから、もうそっとしておいてあげて!
「ほんとうに? ほんとうにお姉ちゃんを、しからない?」
「しからない?」
双子君たちが、澄んだ目で僕を見上げる。子供だけど、目が本気だ。奈津美先輩、どれだけこの子たちに好かれているんだ。
「うん、本当だよ。この話は、これでおしまい。君たちも、その本を借りておいで」
僕が微笑みかけると、ふたりも納得してくれたようだ。「うん!」と元気に返事をして、カウンターの方へ走り去っていった。
できれば、館内では走らないでほしいな……。
双子君たちを見送り、僕はいまだに膝を抱えている奈津美先輩に目を向けた。
「先輩、その……大丈夫ですか?」
「うふふ、全然大丈夫よ……。これくらい、毎日のように悠里君から言われているもの。慣れているわ。うふふ……」
全然大丈夫じゃなかった。
あと、腹いせで僕のことをディスらないでください。あなたが妙な行動を起こした時の切り札程度にしか使っていませんよ、このネタ。
「あとの書架整理は僕ひとりでやりますから、先輩はそこで休んでいてください」
「それはダメよ。部員だけ働かせてひとり休んでいるなんて、部長の名折れだわ。私もやります!」
奈津美先輩がガバッと立ち上がり、グッと両の拳を握り締める。心のダメージはまだ大きいだろうけど、部長としての意地で持ち直したみたいだ。
僕は、思わずフッと吹き出してしまった。
本当にこの人は、変なところでまじめだな。まあ、それがこの人の良いところなんだけど。
「何よ、いきなり笑い出して。私、何か変なこと言った?」
「いいえ。先輩らしいな、と思っただけですよ」
「それ、褒めているの?」
「褒めていますよ、一応」
「その言い方、全然褒めているように思えないんだけど~」
「じゃあ、半分呆れています」
笑いを噛み殺しながら言うと、奈津美先輩が「む~」と頬を膨らませてしまった。
さて、この人をからかうのはこれくらいにして、そろそろ作業に戻るとしようか。
結局、僕らはふたりで連れ立って、整理途中の棚に戻っていった。




