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君と交わした約束を僕は忘れない  作者: 日野 祐希
第二章 書籍部の先輩
12/40

3-1

 バスを降りると、そこは古き良きといった感じの田園地域だった。近くには山の緑も広がっていて、どことなく目に優しい感じがする。


「それで先輩、坂野先生の会社はどこにあるんですか?」


「ここから東へ歩いて十分くらいのところよ。さあ、張り切っていきましょう」


 奈津美先輩が先頭を切って歩き始める。バスの中で言いたいだけ文句を言って、ストレスをすべて発散したのだろう。その表情は、燦々と降り注ぐ太陽の光に負けないくらい晴れやかだ。

 さっきの罰として荷物持ちを仰せつかった僕も、奈津美先輩のリュックと自分のショルダーバッグを持って、後に続く。


「先輩は、坂野先生の会社へよく行ったりするんですか?」


「いいえ、私も数回しか行ったことないわ。お正月の挨拶なんかは、坂野先生のご自宅の方へ伺っていたし」


 田んぼの畦道を歩きながら話を振ってみると、奈津美先輩は鼻歌まじりに答えた。


「職人にとって、仕事場は神聖かつ不可侵の領域なのよ。大切な場所だからこそ、他人の仕事場に理由もなくお邪魔することはできないわ」


 普段とはどこか違う、大人びた声音が僕の耳を打つ。ふと前を歩く奈津美先輩に注意を向ければ、半分振り返ったその顔は、穏やかで優しい笑顔だった。

 これはきっと、学校では見せない奈津美先輩の職人としての顔なのだろう。いつもは僕より何倍も子供っぽいくせに、今だけは僕よりずっと大人で、遠い存在に感じる。


「だから、この道を歩くのもずいぶん久しぶり。何だか遠くのおじいちゃんの家に帰省する気分だわ」


 と思ったのも束の間。奈津美先輩が、いつもの笑顔で手を広げながらクルリと一回転する。

 ああ、そんなことしたら……。


「あいたっ!」


 あ、やっぱりこけた。

 期待を裏切らないな、この人。


「先輩、運動苦手なんだから、無茶しないでくださいよ。ほら、つかまってください」


「うぅ、ありがとう……」


 しりもちをついた奈津美先輩に手を貸し、立ち上がらせる。

 とりあえず、こけた拍子に田んぼにまで転がり落ちないでよかった。さすがに泥だらけの人を連れて、〝職人の大切な場所〟に行くわけにもいかないし。


「足首、グキッてなっていましたけど、捻ったりしていませんか?」


「うん、大丈夫みたい」


 奈津美先輩は足首を軽く回した後、指で丸を作った。

 どうやら怪我をしなかったみたいで、僕は胸をなでおろした。だってここで奈津美先輩に怪我されたら、最悪僕がおぶって移動だし……。


「もうあんまり無茶なまねをしないでくださいね」


「うふふ。悠里君、心配してくれるんだ」


「当たり前です。先輩は、ただでさえ危なっかしいんですから。これ以上、僕の心労が増えるようなことをしないでください」


 なぜかうれしそうに笑う奈津美先輩を、ピシャリと叱り付ける。

 まったくこの人は、何がおもしろいんだか……。


「怪我をしていないなら、さっさと行きますよ。本当に遅刻しちゃいます」


「はーい。張り切っていきましょう!」


 上機嫌な奈津美先輩の横で、僕はやれやれとため息まじりに歩みを進めるのだった。


          * * *


 途中のハプニングもありつつ、バス停から歩くこと十分ほど。

 坂野修復会社に無事(?)辿り着いた僕たちを迎えたのは、ひとりの女性だった。


「いらっしゃい、奈津美ちゃん。待ってたよ」


「真菜さん! 今日はよろしくお願いします」


「うん。こちらこそ、よろしくね」


 奈津美先輩が、はしゃいだ様子で勢いよく頭を下げる。

 どうやらこの人が真菜先輩らしい。


「で、そっちが噂の〝書籍部のエース〟君かな?」


「エースかどうかはわかりませんが、書籍部副部長の一ノ瀬悠里です。本日はよろしくお願いいたします、先輩」


「ご丁寧にどうも。書籍部OGの清森真菜です。美術品その他諸々の修復家見習いで、今は主に和紙を使った資料の修復とデジタル化を担当しています。今日はよろしくね。あと、私のことは〝先輩〟なんて呼ばなくていいよ。なんか、そう呼ばれるのはこそばゆくって苦手なんだよね。それと、お姉ちゃんと紛らわしいだろうから、下の名前で呼んでくれていいからね」


 真菜先輩改め真菜さんが、ショートカットの髪を揺らして朗らかに笑う。

 奈津美先輩が言っていた通り、快活な印象のかわいらしい人だ。気取った様子もなくフランクで、とても話しやすい。

 それと……すみません。頭の中では、すでに下の名前でお姉さんと区別していました。

 と思ったら、真菜さんは猫のように目を光らせて、僕の顔をまじまじと見てきた。


「それにしても……へぇ、ふーん、なるほどね……」


「えっと……僕の顔に何かついていますか?」


 美人に近くから見つめられ、思わず気後れする。

 すると、真菜さんは愉快そうに笑いながら、「ううん、何でも」と言った。


「ただ、奈津美ちゃんに聞いていた通り、本当にかわいらしい顔だなって思って。その年で女の子に間違われたことがあるっていうのも、頷けるな~ってね」


「がはっ!」


 真菜さんの言葉が胸に突き刺さり、思い切りむせてしまった。

 なぜこの人が、僕の黒歴史を……って、そんなの理由はひとつしか考えられない。

 僕は、抜き足差し足で逃げ出そうとしている犯人へと目を向けた。


「奈津美先輩、ちょっとお話があります」


「ゆ、悠里君? 顔が怖いわよ」


「気にしないでください。全部あなたのせいですから。先日の喫茶店でのこと、真菜さんに話しましたよね?」


「ええと、その~……。話したような……、話してないような……?」


 目を逸らして、というか、目を泳がせながらの、しどろもどろの回答が返ってきた。

 うん。これは確実に、間違いなく、純度100パーセント黒だ。


 それでは、せーの――!


「なんてことしてくれたんですか! あれほど他言するなと釘を刺したのに!」


「ひゃう~! ご、ごめんなさ~い!」


 奈津美先輩が頭を抱えて、「許して~。つい口が滑っちゃったの~」と謝ってくる。

 まったくこの人は、人の思い出したくない記憶をペラペラと……。おかげで、頑張って頭から消そうとしていた記憶が鮮明に甦ってきてしまった。


 あれは、文集会議の翌日。「家庭教師のお礼のケーキを奢るわ!」と奈津美先輩に連れられ、学校帰りに喫茶店に寄った日のことだ。

 静かで落ち着いた雰囲気を醸し出した店内で、ボックス席に案内された僕たちは、ティーセットを頼んだ。

 そしてその数分後、注文を取ったのと別のウエイトレスがやって来て、こう言ったのだ。


『本日、レディースデイとなっておりますので、こちらサービスのスコーンになります』


 まあ、ここまではいい。奈津美先輩も一緒にいるのだから、特に問題はない。

 しかし、このウエイトレスはなぜか僕の前にも(・・・・・)スコーンを配膳したのだ。

 で、僕が『あの、僕、男ですけど……』と言ったら、ウエイトレスは僕の顔と制服(主にテーブルの下に隠れた夏服のズボン)をもう一度よく確認し、慌てた様子で謝ってきたのだ。


『し、失礼いたしました! 綺麗なお顔立ちでしたので、てっきり女性かと!』


 ウエイトレスの謝罪文句に、僕は口をあんぐり、奈津美先輩はお腹を抱えて大笑いだ。

 その後、ウエイトレスは『お詫びの印に……』と、さらにスコーンを追加して去っていった。ちなみに、そのスコーンは物欲しそうにしていた奈津美先輩にあげた。

 今思い出してみても、あれは僕にとって人生でワースト3に入るであろう黒歴史だ。

 身長が160センチと低くて童顔なことは僕のコンプレックスなのだけど、まさかこの歳で女性に間違われる日が来るなんて……。あの日はショックで、夜遅くまで枕を濡らした。このままだと、今夜も思い出し泣きで濡らすかもしれない。

 そんな僕視点ではとても悲惨な出来事を、この人はペラペラと……。しかも、十日も経たないうちに……。


「で、でもね悠里君、これはある意味、とても素晴らしいことだと思うの。だって、女の子と勘違いされるくらい端正な顔立ちってことだし! うちのクラスの子たちも、悠里君の写真を見て、『男の娘もいける!』って太鼓判を捺しているのよ。それに悠里君は昔から綺麗な顔で、女の私から見ても羨ましいって思うくらいだったわ!」


「……へぇ、そうですか。だったら、小学生の頃から全然変わっていない先輩の胸囲も、大変素晴らしいってことですね」


 小声で呟いてみたら、奈津美先輩がピシリと音を立てて固まった。


「ひ、ひどい! ちゃんと変わってるもん。少しは成長しているもん!」


「それ、単純に肋骨が成長した分増えただけですよ、きっと」


「なんてことを……。悠里君、顔と違って性格ひん曲がり過ぎよ! 白雪姫の継母やシンデレラの姉みたい!」


「どっちも女性じゃないですか! あなたも人のこと言えないですよ!」


 醜い罵り合いを演じ、荒い息をつく僕と奈津美先輩。互いのコンプレックスを叩き合って、ふたりとも心がすっかりグロッキーだ。

 そんな書籍部の後輩たちの姿を目の当たりにし、真菜さんはおかしそうに「あはは!」と笑った。


「ふたりとも、おもしろいね。いつもそんな風に漫才してるの?」


「「していません!」」


 真菜さんに抗議するように言い返すと、奈津美先輩と声が重なってしまった。台詞までバッチリ一緒だ。何となく恥ずかしくなって、これまたふたり揃って顔を赤くする。

 すると真菜さんは、「息ピッタリだ」とさらに大きな声を上げて笑った。

 もはや色々とドツボだ。何を言っても漫才になってしまう。


「いや~、おもしろいものを見せてもらっちゃった。ふたりとも、ありがとう!」


 望まない感謝を受けた僕たちは、これでダブルノックダウン。醜い部内闘争は、こうして呆気なく幕切れとなった。


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