次の日寝坊した
一部残酷な表現があります。
苦手な方はご注意ください。
眼下に広がる景色に呑まれてはいけない。
地位ある者達が胸に手を添え頭を垂れる。
その様をウルは頬杖を付きながら見下ろしていた。
見慣れた光景でありながら久しく目にしていなかったものだ。
しかし特別感動はない。
一段低い所にいる二人の弟を観察している方が余程面白い。かっちりと着飾った彼等はなかなかだと思う。アノンが白でレヌが黒の衣装というのも違和感がない。ちなみにウルは紫がかった灰色の物を着ているが我ながら似合っていると満足している。レヌから弱そうと言われたが気にすることではない。
ふと悪戯心が湧き、隣で仏頂面のままずっと座っている父に儚げに笑ってみせるが眉をピクリと動かしただけだった。通常運転である。つまらない。
ウルの体調が戻ったのを見計らい集められた貴族達。
簡潔にいえば元気になりましたという報告会のようなものだ。参加出来なかった者は後日訪れることを義務付けられ、明日からは他国の有力者も見舞いの品を持ってやってくるらしい。
随分と大々的に行うものだ。
まあ、ウルがすることと言えば貴族達からの長々しい言葉を聞き流すだけなのだが、倒れた当時のまま成長が止まった姿に多種多様の反応が返ってきた。
こんな場面でも足元を掬おうとしてくる輩には熱心なことだなと白々しく並べた台詞で適当に答える。
死に損ないましたねと口パクで煽られたがいい大人の幼稚な行動に鼻で笑ってしまいそうになった。
爪先から髪の毛1本に至るまで意識を巡らせ、ゆっくり過ぎない動きで足を組み替え微笑をたたえる。その優雅さに畏怖を覚えた相手が一歩後ろへ足を引いた。
人の視線の集め方を、ウルはよく理解していた。
「 下品 」
煽るとはこういうことだ。
下段にいるレヌがくは、と口元を隠しながらも抑えきれないといった感じで肩を震わす。屈辱と羞恥でこめかみをひくつかせている相手にアノンが冷たい眼差しを浴びせて下がるよう命じた。
周囲の貴族達から忍び笑いが漏れる。中には意味あり気にウルを見やる者もいたし、憎たらしそうに睨み付けてくる貴族もいた。
しかし、そのどれにもウルは興味を抱かない。
理由は彼自身の気性のせいである。
次期国王としての教育を受け始めた頃からか、あるいはそれ以前からか。
ウルは地位も名誉も関係なくアストリアの国籍を持つ人間を国民として認識しており、そしてその国民は何万人と存在している。
一人一人に慈愛を持ち愛しむことをする人間が聖王と崇められるのなら、ウルは決してそうはなれないだろう。
彼が持つのは責任だ。
国を代表する立場に生まれた者として果たすべき義務を全うするという責任。
情愛で貧困が救えるのか。私情に染まった秩序で罪人を裁くことが出来るのか。
力なき場所から声を上げたところで明日の何が変わるというのか。
これは仕事なのだ。慈善で国の統治を担っている訳ではない。より良い環境を築くために働くのである。勿論適度にサボることも大切だ。
そのため無自覚かもしれないがウルは将来性のある人間を好む傾向にあり、ロキのように引き抜くこともないわけではない。
良い職場には良い人材をと言うわけだ。
彼にとって、国民とはあくまで仕事上の関係者という位置づけなのである。
冷たいと思われるかもしれない。薄情だと罵られるかもしれない。
でも気にしない。図太いから。
「兄上、見てみて。アノンの顔真似」
「お前殴られてえのか」
「安心しろアノン。君は昨日も今日も明日だって格好いいぞ」
「ん」
「…いい子ぶりやがって気持ち悪いね」
ニヤニヤしながらレヌがアノンを揶揄う。言われた本人はお互い様だろと舌打ちをしそうになったが、ウルが微笑ましそうに自分達を見ていることに気付いて寸前のところでやめた。その変わりレヌと似たような意地悪い顔で口を開く。
「レヌだって僕と同じようなもんだろ」
「気安くおれの名前を呼ばないでよ。兄に対しての礼儀がなってないね」
「てめえに払う礼儀なんかねえよ」
両者の間に火花が散る。
「元気なのは良いことだ。父上もそう思いますよね?」
「…ああ」
ウルから嬉しそうに同意を求められては否定出来ないのか、国王はただ頷いてみせた。
次いで今日の本題へ入るために参列者の方へ目線で促すと、意図を理解した候補者達が前へ進み出た。
「ウル、お前の教育係を決める。好きな者を選べ」
「分かりました」
突然のことにも関わらずすんなりと了承するウルに戸惑いや驚きは見受けられない。
三人の男女が頭を垂れて名乗っていく。
候補として残ったのだ。それぞれが優秀なのだろう。
だからこれはちょっとしたお茶目心。
「気が合わない人間より合う方がいい。よって君達に問いたい。好きな本は?」
空気が固まる。虚を突いたのが分かった。
「ちなみにぼくはネレー・グラン著書の『薬学に沈む古代文化』という本が最近のお気に入りだ。右の君は?」
「はい。ミランダ著書の『星学の理』でございます」
「なるほど。婦人、貴女は?」
「は、い。『外交建築者たる生涯』でございます」
「なるほど。最後の君は?」
「『古代竜の生態』です」
「ふうん、なるほど」
聞いておいてなんとも薄い反応である。
「決まったか?」
「はい。一番最後の彼にします」
ウルが選んだのは三十半ばの背の高い男で、後ろに撫でつけたプラチナブロンドが印象的な碧眼の紳士である。
「大変光栄でございます。誠心誠意、殿下に仕えさせていただきます」
温度を感じさせない淡々とした声音で彼は膝を付き忠義の姿勢を見せたのであった。
夜の帳が降りたら次に訪れてくるのは耳が痛いほどの静寂だ。
夕食を終え自室で読書に耽る傍らまだカーテンが引かれていない窓から星を眺める。
ランプに照らされたウルの横顔から少し疲労感が見て取れた。
日付はとっくに変わっておりそろそろ寝なければいけない時間だが、ウルはまだ体を横たえようとはせずソファに居座ったままである。
「ぼくはよくレヌに弱そうと言われる。多分それは皆が思っていることだろう」
うそぶく声がさざ波のように広がりゆく。
「でも案外ぼくが一番凄かったりするんだよ」
月明かりすら届かない部屋の片隅。
黒く塗りつぶされたその空間から風を切って何かが飛んでくる。ウルは読んでいた本を閉じるとごく自然な動作で横へずらす。生じる衝撃。ダーツのように埋まる切っ先。ぶ厚い本が盾となって鋭利な刃物からウルの首を守った。
背表紙にぐっぷりと刺さっているナイフを抜き取る。
舌打ちと共に暗い場所から飛び出してきた暗殺者が首を切り落とそうと再び襲いかかってきた。
足先にあるテーブルを蹴り上げて敵の視界から自分の姿を消す。一瞬生まれた隙に背後をとられると察知した暗殺者が素早く体勢を変えて構えるが、後ろには誰もいなかった。
「…きえた?」
「お馬鹿さん」
嘲笑いを添えて首裏に冷たい刃を投げ飛ばした。骨と骨の間。滑り込むように刺さったナイフが喉仏の上から切っ先を覗かせる。
何が起きたのか理解する前に暗殺者の命は事切れていた。
ウルは文字通り一歩も動いていない。目眩ましと見せ掛けた単純な罠だったのである。
死体を見る。小柄な男だ。しかしそれほど身軽な動きでもなかった。これで城壁を乗り越えてきたのだろうか。いや。
もう一人いる。
ランプを手に部屋をでる。
「あれ? まだ起きてらしたんですか殿下」
藍色の髪を後ろで緩く結び、黒曜石の瞳を繰り返し瞬きさせながらこちらへ近寄ってくるのは。
「ロキか。その引き摺っているのは…」
「侵入者です。ちゃんとぐさっと刺したので大丈夫ですよ。息の根は止まってます」
「うん。よくやった。ぼくの部屋に転がっているのも片付けてくれ」
「ちょっと失礼します!」
ロキはウルの両脇に手を入れ持ち上げると注意深く全身を観察した。
「よかった、お怪我はされていないようですね。すみませんおれ…私が気づけなかったばかりに」
「警備も護衛も減らすと言ったのはぼくだ。その方が都合がいい」
眉間に皺を寄せて唸っているロキの額を小突く。
「今回の件の報告もしなくていい」
「その方が都合がいい?」
「分かってるじゃないか」
「ステキナエガオデスネ」
悪戯っ子の笑みである。