給仕より暗殺の方が得意です
幽体離脱生活の卒業から数日が経過したとはいえ、ウルの1日は酷く単調で退屈なものだ。
少しずつ行動範囲は広がっているものの、歩行訓練以外はほぼ自室のベッドの住人である。
心配されているのは分かる。実際体の気怠さはあるし体力も衰えていることだろう。
ただ、想定以上にまともに動くのだ。10年寝込んでいた体とは思えないほど筋力もある。
時が止まっている。もしかしたら比喩ではなく本当にそうなのかもしれない。
まあ、それは一旦置いておくとしよう。考えたところで埒があがらない。
兎にも角にも退屈なのはいただけない。つまらない日常よりも愉快な日常をという持論の元に行動を起こし、ウルは今街中を平然と歩き回っていた。
決して黙って抜け出してきた訳ではない。母親に媚びを売っておつかいという名の外出許可を手に入れたのだ。
ウルが目覚めた嬉しさの余り何故か寝込んでしまった彼女のために、ケーキを買ってくるから一緒に食べたいとそれはもうあざとく攻め落としたのである。
非常にちょろ…いや、理解のある母親でよかった。
その愛情が重すぎるあまり弟達から毛嫌いされていたり、国民から狂人呼ばわりされてしまっているのだが反論の余地もない。同意である。むしろ昔の方がまだよかったような気がすると半目になりながら後ろに少し意識を向ける。
6人…いや7人。敵意や殺意は感じないが見逃しはしないという肌を伝って分かるこの気迫。母親からウルの護衛を命令された連中か。
こういう所が鬱陶しがられるんだよなあ。特にレヌとか。
あそこまで嫌がらなくてもちょっと気を付けるだけで割と快適になるというのに。
いつだったか、母を手玉にころころ出来るのはお前だけだと父に言われたことがあったがそうだろうか。怒った彼女を相手にするのは確かに気を遣うけれども。
十字路を右に曲がれば甘い香りが鼻を擽る。目当ての店だ。何人もの列ができている。流石人気店。
「…あら、僕ひとり? おつかいかしら」
「うん。迷子じゃないよ」
「ふふっ。偉いわねえ」
最後尾に並ぶと前にいる若い女性に話しかけられた。
「おねーさんも1人なの?」
「そうなの。お友達に買ってあげようと思って」
「ぼくはお母さんに」
「まあ、仲良しなのね。素敵だわ」
じっと顔を見つめられる。小首をかしげて見上げてみた。
「もはや凶器…傾国…」
「お姉さん?」
「はいお姉さんです」
見れば分かりますけど。
右手に2個、左手に5個のケーキが入った箱を持ちながら店から出る。
仲良くなった女性にオススメを聞きながら一緒に買ったのだが、どれも見た目から美しく美味しそうだ。これなら母も満足してくれるだろう。
「ありがとう、お姉さん」
「どういたしまして。私も楽しくお買い物が出来たわ」
彼女は6個購入していた。ウルの左手にあるものと合わせて11個。ぴったり数が合う。
「じゃあはい、これどうぞ」
「え? なに、どうしたの?」
それを差し出せば心底驚いた様子で目を丸くしている。その下にうっすらと浮かんでいる隈。何日目の徹夜なのだろう。
「疲れている時は甘いもの」
「え、ええ、そうね?」
「母上もなかなか人使いが荒いから大変だろう」
「なっ…ちょ、ま、でん…え?!」
「君は見ない顔だ。最近入ったのかな」
あからさまに狼狽えているのが面白くて口元が緩む。
「いつから…どうして気付かれたのですか?」
「君が母上から命令された護衛だと? なら最初から」
「はえぇ…ええぇ~…?」
「服装で隠しているが喉の動きが不自然だ、首の筋肉からやり直した方がいいぞ、おにーさん」
「……しんじられない、そこまで見破ってたんですか…」
「上手いから逆に分かりやすい」
「はあ??」
格段に低くなった男性の声にしてやったりと抑えていた笑いが漏れた。見た目とのアンバランスさが凄いのも面白味に拍車をかける。
「11人。君を含めて今僕についている人数 」
「……せいかいです」
「あの店に入ってから増えた。びっくりした」
「びっくりしたはこちらのセリフです」
ぽんぽんと弾む会話が楽しい。妙に遠慮がないのも好感が持てる。
「君の名前は?」
「ロキ・ラーデンハルクです。しがない伯爵家の次男ですよ」
「西区か、王城からは少し遠いな」
「…全部の貴族を覚えてたりするんですか?」
「ふふ、それはどうだろうな」
「ああぁずるいってー、ずるいですよー」
「ははは!」
なんてことのない内容をだらだらと喋っている内に気付けば城へ帰ってきていた。
「じゃあ、自分はこれから別の仕事があるので失礼します。殿下とお話し出来て楽しかったです」
「ああ、またな」
「はい、また機会があれば」
「可笑しなことを言う。ぼくにとって、機会とは与えるものであってつくるものでも巡り合わせるものでもない」
「傅いてもいいですか?」
「存分に」
本当にされるとは思わなかった。少し苦笑いが漏れる。
若干名残惜しそうにしているロキと別れて母の元へ向かう。
「母上、ただいま戻りました」
愛嬌たっぷりににこりと笑う。きゃっきゃとはしゃぐ母はまるで少女のようだ。
侍女にお茶の準備を言い付けながら箱の中身を見せれば一層瞳が輝いた。
なにかご褒美をあげたいわと頬を薄紅に染めながらウルに言う。
「では、お言葉に甘えてひとつだけいいですか?」
採用枠はそうだな、鎧より燕尾服が似合いそうだから執事にしよう。
***
貴族と言えど、誰しもが裕福というわけではない。ロキの家がそうだ。名ばかりの伯爵で、下手を打てば商人の方が富を持っているのではないだろうか。
そこの次男ともなれば大体の想像はつくだろう。
流されるままに入団した騎士団でのらりくらりと働いていることに悲観はないが、情熱的な何かがあるわけでもない。
無論、天才ともてはやされることもない。
秀才だとか器用だとかはよく言われるがそれだけだ。
ああ、あと顔も褒められる。生まれてから20年経つが自分でもなかなかの色男だと自負している。
しかし今日、次元が違う人間を見た。
見た目も中身も意味が分からない。
変哲のないロキの世界に一滴の雫が落ち、その波紋は何処までも広がっていく。
あの人の傍で働けたら楽しいだろうな。世話係が羨ましいだなんで馬鹿げた感想だ。
でも少しだけ想像してしまう。もし、もしも自分があの人の…例えば執事になったら。自己紹介はなんて言おう。
「非現実的過ぎる。やめだやめ」
そもそも己は騎士なのだから。無難に剣を振るっていればいいのだ。