蘇芳の思い出
よろしくお願いします。
聞きたいことはたくさんあるが、何から聞くか迷う。それに、中には聞いてはいけないこともあるはずだ。桜花が何故死んだのか──とか。
考えていたら、蘇芳がポツリと呟いた。
「桜花とは赤ん坊の頃から一緒だった。母であり、姉であり、友人であり、恋人でもあった」
千恵はしんみりと聞いていたが、蘇芳と桜花の年齢差に気づいた。
「歳が離れ過ぎてない? 蘇芳が赤ん坊だったら、桜花さんは何歳なのよ」
「桜花は半分精霊だったから、歳のとり方もゆっくりだったらしい。俺が覚えている桜花はずっと同じ姿だった。実際の年齢は女性に歳を聞くなと言われたから知らない」
「私にはわからないんだけど、自分を育ててくれた人に恋愛感情ってもてるの?」
「恋愛感情と言われるとわからないが、俺には桜花しかいなかったんだ。俺の世界は桜花が全てだった」
「そんな大袈裟な……」
それは言い過ぎだろうと千恵が苦笑すると、蘇芳は真剣な表情で首を振った。
「俺たちが住んでいたのは、里から離れた山奥だった。その山には野生の動物たちや、桜花と俺しかいなかった。里で暮らすには俺たちは目立ってしまう。俺たちは異端だと嫌われていたからな」
蘇芳の言葉は千恵の胸に刺さった。
千恵自身も異端だから、その辛さはわかるつもりだった。だが、千恵はまだ人の中に混じって暮らすことができる。
蘇芳や桜花はどれほどの迫害を受けてきたのだろうか。そう考えると、蘇芳がひたすら桜花を求める気持ちがわかる気がした。
「……そこで、どんな暮らしをしてたの?」
千恵が聞くと、蘇芳は昔を懐かしむように目を細め、うっすらと笑みを浮かべる。
「食べ物は山で採れるから困らなかった。俺は動物を狩って、桜花が山菜や果物を集める。毎日それの繰り返しだ。たまにお互いに収穫がない時は、二人で腹を空かしながらこんな時もあると笑っていた。できるだけそんなことがないように、備蓄はしていたがな。遊び友達も桜花しかいなかった。草笛の吹き方、花冠の作り方、色々なことを教えてくれた。ただ、桜花も文字は読めなかったから、俺もわからない。だから千恵に教えてもらおうと思ったんだ」
「そうだったのね……」
だから蘇芳はあんなにも授業中に聞いてきたのか。授業中は勘弁して欲しいが、千恵は蘇芳に教えてあげようと思った。
「わかった。わからないことは教えてあげる。だけど授業中に質問するのはやめてね。私も学校には勉強をしに来てるの。授業についていけないと困るのよ。来年は受験だし」
「じゅけんって何だ?」
「もっと難しい勉強ができる学校に行くための試験、と言ったらわかる?」
「よくわからない。でも、何でその学校に行くんだ?」
「だから勉強をするためよ」
「何のために?」
そう聞かれて千恵は悩んだ。考えたことがなかったのだ。普通科の進学クラスにいるから当たり前に進学するものだと思っていた。やりたいことがあるから進学を考えていた訳ではなかった。
「……わからない」
「わからないのに勉強するのか?」
不思議そうな蘇芳に、千恵は答えを返せない。蘇芳にとって生きる意味は桜花だけだ。そのことは揺るがない。だが、千恵にはそこまで思えるほどのものがない。それがすごく後ろめたかった。
答える代わりに千恵は話題を変えた。
「ねえ、桜花さんの妹さんは一緒に暮らしてなかったの?」
唐突に変わった話題に蘇芳は考えるように、視線を宙に彷徨わせた。
「ああ。会ったことはあるが、一緒に暮らしてはいなかったな。桜花の妹は人と精霊のあいの子でありながら、人を憎んでいた。だから俺のことも嫌いで一緒に暮らしたくないと出て行ったそうだ」
「どうしてそこまで……」
「気持ちはわかる。桜花も俺も、里に下りた時に石を投げられるくらいならいいが、殺されそうになったこともあったからな。俺たちがいることで里に疫病が流行るだの、災いが起きるだの、根拠のない理由で命を狙われるのも腹立たしかった」
「酷い……でも、蘇芳だって被害者じゃない。どうして妹さんは関係ない蘇芳を……」
「あいつも長く生きてきて、ずっとそういう思いをしてきたんだろう。だから人間という種族を許せなくなった。だが一度、鬼になった俺に会いに来たことがある。桜花を死なせたと俺を責めた後、どこかに行ってしまった」
「そんな……蘇芳だって桜花さんを失って辛かったのに」
千恵がそう言うと、蘇芳は自嘲気味に呟いた。
「……桜花が死んだのは、俺のせいだからな」
「え……」
千恵がどういうことなのか、聞いてもいいのかと逡巡していると、そこで終業を告げるチャイムが鳴る。しばらく気まずい空気が流れていたが、そこで保健室のドアがノックされる。はっと入口を見ると、ドアが開いた。
「失礼します」
そう言って入って来たのは小夜だった。部屋の真ん中で立ち尽くしている千恵を見て首を傾げた。
「寝てなくて大丈夫なの?」
蘇芳と話していることに気づかれたくなくて、入口が見える位置で話していたのだ。保健の先生が来たらベッドに移動するつもりだったが、それよりも先に小夜が来た。
「うん、大丈夫。それよりも鷹村さんも調子悪いの?」
「ううん、谷原さんの様子を見にきただけ」
「えっ、どうして?」
これまで接点もなかったのに何故なのか。千恵は驚いて瞬きをした。
小夜は苦笑する。
「話がしたいって言ったじゃない。それはわたしが谷原さんと仲良くなりたいと思ったからよ。仲良くなりたい人が体調悪そうだったら心配しない?」
「そう、かな?」
友達と呼べる人がいない千恵にはわからない。思わず疑問形になった千恵に、小夜は頷く。
「そうなのよ。それで体調は大丈夫なの? 次の授業は出られそう?」
聞かれて蘇芳をちらりと見る。蘇芳が静かにしてくれさえすれば問題ないのだ。蘇芳はわかってくれたのか頷いた。
「うん、大丈夫だと思う。ごめんね、心配かけて」
「谷原さん、違うわ。そういう時はありがとう、よ」
「そう、ね。ありがとう、鷹村さん」
「いいえ。それじゃあ一緒に教室に行きましょう」
「……うん」
小夜がどうしてこんなに気にかけてくれるのか不思議だった。だが、千恵のことを知ればどうせまた離れていくだろうと、深く気にしなかった。
そうして二人で教室に向かう途中で、小夜が一瞬蘇芳の方を見た気がした。
「どうしたの、鷹村さん」
まさかと思いつつも千恵が聞くと、小夜は何でもないと小さく笑った。
この時、千恵は小さな違和感に蓋をして忘れてしまった。そのことに後悔するのはもっと後のことだった──
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