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桜の下で  作者: 海星
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蘇芳の闇

よろしくお願いします。

 結局、蘇芳は谷原家に居候することになった。蘇芳がここにいたいと言ったことと、母が蘇芳を援護したからだ。


 母はずっと千恵のことを心配していた。家族以外で千恵に理解者ができることを望んでいたそうだ。だから、例え蘇芳が鬼だとしても、千恵を傷つけることはなさそうで、千恵を奇異の目で見ない蘇芳は、ありがたい存在だと母は言った。


 そんなこととは知らない父は、結婚前に一緒に暮らすのは許さないと憤慨していた。何度も彼氏じゃないと説明していたが、蘇芳がそこに油を注ぐようなことをするのだ。


「大切な人だ」


 などと言って千恵を見るから、父には蘇芳の気持ちがわかるらしい。男は狼だ、迂闊に近づくな、変なことを考えているに違いない、と言うものだから、反対に母に、あなたもそうよね、と言われてダメージを受けていた。


 ちなみに父には、蘇芳は母の遠い親戚だということにしてある。


 ただし、この家ではずっと姿を見せること。それが千恵が蘇芳に出した条件だった。それならこの家でおかしな動きを見せた時に止められるからだ。


 こうしておかしな同居生活が始まった。


 ◇


「行ってきます」

「行ってくる」

「はい、行ってらっしゃい」


 蘇芳と千恵を母が見送ってくれる。千恵はどうして蘇芳も一緒に行くのかと、突っ込む気もおきない。夜の間も色々あって疲れていたのだ。


 二人で並んで学校へ向かう。二人になったら話そうと思っていた千恵は、蘇芳に話しかけた。


「……ねえ、蘇芳。私は確かに居候は渋々だけど許したわ。でも、一緒に寝ることは許してないんだけど?」

「俺はお前のそばにいると言っただろう。離れるのは嫌だ」

「あのねえ、あなたは鬼かもしれないけど、一応私たちは男と女なのよ。私は異性と、ましてや好きでもない異性と寝る趣味はないの」


 千恵が起きてどんなに驚いたか、蘇芳にはわからないだろう。横向きで寝ていて目が覚めたら、蘇芳の顔が目の前にあったのだ。思わず飛び起きてしまった。

 しかも、その反動でベッドから落ちて、その音に驚いた父が入ってきて、更に大変なことになったのだ。


「それならお前が俺を好きになればいい。そうすれば問題はないだろう?」

「簡単に言ってくれるわね。そんなに簡単に人って好きになれないでしょう」

「いや、お前は桜花だから俺を絶対に好きになる」


 そう言って蘇芳は、真っ直ぐに千恵を見据える。

 恋は盲目とはいうけれど、どうしてここまで思い込めるのか。いい加減に桜花を押し付けられるのにうんざりしていた千恵は、立ち止まっていらいらと告げる。


「……それは蘇芳が、そうなって欲しいって思っているだけじゃないの。あなたは結局、桜花さんを失ったから、代わりにその辛さを癒してくれる人が欲しいようにしか思えない。それなら私じゃなくてもいいはずだわ」

「違う」

「だって私のことなんて見てないじゃない。私は千恵で別人だって言っているのに、桜花、桜花って。あなたが言う通り生まれ変わりがあるとして、じゃあ、どうして私に記憶がないの? 前世の私は忘れることを望んでいたんじゃないの?」

「やめろ!」


 蘇芳から怒気が膨れ上がる。普通の人の怒りも怖いが、蘇芳の怒りは息が止まりそうなほどに激しい。その圧力に千恵は崩れ落ちそうになった。


「……桜花の魂で俺を否定するな。お前は所詮、器だろうが」


 悔しくて言い返したいのに、声が出ない。蘇芳は狂気を湛えたまま、千恵の顔に手をやる。千恵は氷のように冷たい手に身震いをした。そして、その手の先には獣のように鋭い爪がある。その爪で抉られるのではないかと、千恵は戦慄した。


 蘇芳はうっそりと嗤う。


「お前は桜花の魂を受け入れるために生まれてきたんだ。お前が死んだらまた、桜花は輪廻の輪に組み込まれて、再び離れ離れになる。そんなのは嫌だ。それなら、いっそその身から魂だけ切り離して、閉じ込めてしまいたい……」


 ──こいつはやばい。


 千恵の中で警鐘が鳴る。

 桜花の魂を持っている限り殺されることはないだろうが、飼い殺しにされるかもしれない。


 ただ純粋なだけの害のない鬼だと思いたかったのに。蘇芳も結局同じなのだ。

 千恵は悔しくて唇を噛み締めた。両目からは涙が溢れてくる。それに怯んだ蘇芳から怒気が消えた。


「千恵?」

「……何で私の名前を呼ぶの。あなたにとって私は桜花さんの器なんでしょう?」

「それは……」


 気まずそうに蘇芳は目を逸らす。千恵は涙の溜まった目で蘇芳を睨みつけて告げる。


「やっぱり私は信用できない。あなたなんか大っ嫌いよ。どこかに消えて!」


 蘇芳は目を見開いて固まった後、意気消沈したように肩を落として俯いた。千恵からは蘇芳の後頭部しか見えないが、足元にポトポトと黒い点ができている。


「蘇芳、あなた、泣いてるの……?」


 大の男がこんなに簡単に泣くとは思わなかった。千恵は困惑して、蘇芳の顔に手をやって、顔を起こさせた。


 蘇芳は無表情で静かに涙を流していた。その瞳は虚ろで、千恵は声をかけるのを躊躇った。


「……俺には、桜花しかいなかった。俺はこんな姿だから生まれてすぐに捨てられた。そんな俺を拾って育ててくれたのが桜花なんだ。そんな桜花に嫌われたら、俺はもう、生きていたくない……」


 そうして蘇芳はその鋭い爪を自分に向ける。慌てた千恵は蘇芳の手を握って止めた。


「ちょっ、待って!」

「なんで止めるんだ。お前だって俺が消えればいいと思ってるんだろう? 俺だってもう、楽になりたい。お前を待ち続けた挙句、嫌われるのは辛いんだ……」


 そういえば蘇芳は数百年桜花を待っていると言っていた。孤独にそれだけ長い間待ち続けるのは、どれだけ辛いことだろうか。

 許せない思いはあるが、怒らせた千恵も悪かった。


「……ごめんなさい。酷いことを言って。でも、あなたも私に酷いことを言った。そのことは謝って欲しいの」

「酷いこと?」

「私は桜花さんの器じゃない。谷原千恵という一人の人で、誰かの代わりになんてなりたくないの」

「でも、桜花は……」


 蘇芳は辛そうに目を伏せた。少しの間があって、蘇芳はポツリと呟いた。


「……俺が桜花を忘れたら、桜花が生きていたことを否定することになる。誰か一人でも桜花を覚えていてやらないと、桜花が可哀想だ……」

「だからあなたは数百年も、桜花さんを忘れずに探し続けていたの……?」

「……」


 無言が蘇芳の答えなのだろう。

 人の死は二度訪れるという。一度目はその人が命を落とした時、二度目はその存在が忘れ去られた時。


 蘇芳はただ、桜花を死なせたくなかったのだ。


 そして自分だけは忘れず、数百年も生きてきた。桜花が生まれ変わることを信じて。


 人はこんなに深く人を愛せるものなのか。淡い初恋の経験はあるものの、叶わなくてもそれほど辛くなかった千恵にはわからない。


 もし、千恵が桜花の生まれ変わりなら、そんなに深く人を愛し、愛されたことがあるのかと羨ましく思う。それだけ愛が深ければ、蘇芳がここまでこだわる理由も何となくわかる。


 だけど、蘇芳は勘違いをしている。


「ねえ、蘇芳。今の私は谷原千恵の記憶しかないの。生まれ変わったとして、今の私を本当に桜花さんだと思う? 昔の桜花さんと今の私は、姿形や性格も同じなの?」

「……認めたくはないが、似ていない。だから俺はお前の魂しか見ないようにしていた」

「そうだろうと思ったわ。似てないから私に前世を思い出して欲しかったのよね。だけど、思い出したとしても、私はやっぱり谷原千恵以外にはなれないの。私には谷原千恵として生きてきた歴史があるから。その歴史をあなたに否定して欲しくない。それこそ私の存在が消えてしまうから」

「それなら俺はどうすればいい……?」


 所在無げな蘇芳が尋ねてくる。千恵は少し考えた。


「それなら私に桜花さんの思い出を聞かせて。ただし、私は谷原千恵として聞くわ。桜花さんのことはわからないけど、こうすることで桜花さんを覚えている人が増えるでしょう? 桜花さんの死をあなた一人で責任を感じなくてもいいと思うの」

「ああ」

「だけど、また私を脅かすことはやめてね。その時は本当に嫌いになるからね」

「……わかった。もうしない。だから、千恵も俺を嫌わないで欲しい」


 桜花ではなく、千恵と自然に呼んでくれた。そのことに、千恵は自然に笑顔になる。


「わかってくれたら、もう言わないかもね」

「約束する」


 蘇芳は素直に頷いた。

 本当に純粋な鬼なのだ。悲しいほどに一途な──


 蘇芳の心の闇に触れて、千恵の心に少しの変化をもたらした。


 ──蘇芳のことを知りたい。


 それはただの好奇心かもしれない。だが、蘇芳との関係が変わる一歩になったのだった。

呼んでいただき、ありがとうございました。

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