母と蘇芳
よろしくお願いします。
その後は結局、千恵は蘇芳と一緒に家へ帰った。
帰り道で蘇芳は千恵に話しかけようと口を開いては閉じるの繰り返しだった。
「ただいま」
玄関の扉を開けて声をかけると、奥からパタパタとスリッパの音が近づいてくる。そして母である聡美が笑顔で迎えてくれた。
「お帰り。早かったのね」
「うん、それでね……」
「失礼する」
千恵の言葉を遮って、蘇芳が前へ出る。どうしてそんなに偉そうなのかと、千恵は内心ムッとした。
「あら、あなたは……」
「俺は蘇芳という。おう──千恵とは前からの知り合いだ。決して怪しい者ではない」
怪しくないという奴ほど怪しいという法則を知らないのか。千恵は心の中で突っ込んだ。
だが、聡美は笑顔で頷く。
「千恵がお友達を連れてくるなんて何年振りかしら。でもイケメンさんねえ。千恵ったら隅に置けないんだから」
「お母さん、そんな問題じゃないでしょう。見るからに怪しいじゃない。誰でも簡単に受け入れちゃダメよ」
千恵は普通に友達認定する母に頭痛を堪えながら突っ込む。
この母は、千恵が普通じゃなかったせいか、受け入れる能力が高い。いや、高くならざるを得なかったのかもしれない。今回は千恵が自分から連れてきたからだとは思うが、それにしてもあっさりと認め過ぎる。
「そんなことないわ。千恵だって、この人がどんな人かわかってるから連れてきたんじゃないの?」
「そうじゃないんだけどね」
「俺は怪しくないぞ。悪さはしない。安心してくれ」
自信満々に胸を張る蘇芳も交じって、収拾がつかなくなりそうだ。
「ああ、もう。あなたは黙ってて!」
「あなたじゃなくて蘇芳だ」
「わかったから、蘇芳は黙ってて」
ああ言えばこう言う。これでは話が進まないと蘇芳を止めていると、母がクスクス笑っている。
「やっぱり、いいお友達じゃないの。楽しそうでよかったわ。でも、歳も離れているし、外国の方よね。どこで知り合ったの?」
「それなんだけど、話が長くなりそうだから、居間で話してもいい?」
「ええ、いいわよ。それじゃあ、蘇芳さんもどうぞ」
そう言って、母は蘇芳にスリッパを勧める。蘇芳は不思議そうに見ていたが、履いて気に入ったらしい。パタパタと足踏みをしている。その様子は子どものようで微笑ましいのだが。
「蘇芳。わかっているとは思うけど家の中で勝手なことはしないで」
まだ信用していない千恵は、蘇芳に注意をする。それなのに、蘇芳は嬉しそうに笑顔を浮かべている。
訝った千恵は蘇芳に尋ねる。
「何? どうして笑ってるの?」
「やっと名前を呼んでくれたな。やっぱりお前は桜花だ。そうでなければ俺はこんなに嬉しくなるはずがない」
そんなことくらいで。そう思うのに、千恵には何も言えなかった。
ただ真っ直ぐに向けられる感情に戸惑う。自分に向けられている訳じゃないとわかっていても、絆されそうになるのが怖い。
蘇芳から目を逸らして、蘇芳を促す。
「いいから行きましょう。お母さんが待ってるから」
「ああ」
そして二人は居間に向かった。
◇
「お菓子でもどうぞ」
そう言って母がカステラを出してくれたが、ここで千恵は気づいた。
「蘇芳って食べられるの?」
「ああ。俺の力の源は生気だから食べる必要はないが、食べることはできる」
「生気って……もしかして私の生気を吸ってるの?!」
ぎょっとして千恵の声が裏返った。
何が悪さはしないだ。充分悪いだろうと、千恵は蘇芳を睨みつけた。
「生気というのは自然に宿る気だ。人からの生気も食えないことはないが、不味くて俺は好きじゃない」
「あ、そう」
不味いと言われると、それはそれで複雑だ。何となく納得いかない気持ちになった。
「私にはさっぱりわからないのだけど、蘇芳さんはご飯が食べられないの?」
「お母さん、実はこの人は」
「俺は鬼だ」
「ちょっと、蘇芳! いきなり言っても信じられる訳がないでしょう。こういうのは段階を踏んで説明しないと……」
「そうしても信じられない者は信じない。人というのは自分に都合のいい事実しか信じないからな」
「それはそうかもしれないけど」
千恵にだってこれまでの経験からわかっている。どれだけ丁寧に説明したところで、見えないものは信じない。母だけは違ったが、目の前にいる男が鬼だなんて荒唐無稽な話を簡単に信じないだろう。
そう思ったのだが──
「信じるわ」
「お母さん、ちょっと待って。こんなおかしな男が、俺は鬼だなんて更におかしなことを言ってるのよ? 冷静に考えて、こいつ大丈夫かって思うでしょう?」
「桜花、酷いぞ……」
千恵が指をさして言うと、蘇芳は項垂れた。悪いとは思うが、他にどう言えばいいかわからないのだ。
だが、母は否定するように頭を振った。
「私の叔母さんも千恵と同じでそういう人が見えていたから、鬼のことは話には聞いたことがあるの。叔母さんが嘘を言っているにはあまりにもリアルだったわ。だから私もああ、いるんだなとは思ってた。まさか会えるとは思わなかったけど。でも見えないって聞いていたんだけど、どうして姿が見えるの?」
「それは妖術で見えるようにしているからだ。ただこの術は認識阻害だから、おそらくあなたには角は見えていないはずだ」
「ええ、そうね。私には普通の人に見える。でも、千恵と一緒にいるってことはそうなんだなって思う。この子は見えることでずっと苦しんでいたから、わざわざそういう冗談を言う理由がないもの」
「お母さん……」
だからあっさりと信じてくれたのだと、千恵の胸が温かくなる。
「ただ、お父さんには言わない方がいいわ。信じないだろうから。千恵のことならまだしも、蘇芳さんは他人だし。それよりも、千恵が彼氏を連れてきたって大騒ぎしそうだわ」
「彼氏なんかじゃないし」
「あら、そうなの? 蘇芳さんは千恵のことを好きなのかと思ったけど」
母がちらりと蘇芳を見る。蘇芳は真剣な表情で頷いた。
「ああ、俺は桜花が好きだ」
「桜花? 千恵じゃないの?」
母は困惑している。
「私は桜花っていう人の生まれ変わりらしいわ。それで蘇芳につきまとわれているの」
「それはまた……」
母は絶句した。蘇芳が鬼ということ以上に、こちらの方が信じられないのはわかる。千恵自身も困惑しているからだ。
「やっぱり信じられないわよね。私もそうだもの」
「そうねえ……叔母さんから生まれ変わりの話は聞いたことがなかったから驚いたけど。でも、千恵を見てたから、世の中にはまだまだ不思議なことはあるのかもしれないって思うわ」
「お母さんはすごいね。私は蘇芳の言ってることが素直に信じられないもの」
「だけど、千恵が一番わかってるんじゃないの? 信じてもらえない辛さを。だったら、蘇芳さんの気持ちもわかってあげられると思うわ」
蘇芳を見ると、嬉しそうに笑っている。母が味方についたからだろう。千恵も結局は母には弱いのだ。渋々だが頷いた。
「わかった。すぐには無理だけど蘇芳を信じるように努力する。それでいい?」
「ああ」
「ただし、私たち家族に危害を加えようとしたら、絶対に許さないから」
「それでいい。俺が絶対に桜花を傷つけることはないからな」
「それと、私のことは千恵と呼んで。あなただって蘇芳と呼べというのなら、私だって自分の名前を呼んで欲しい。今度桜花と呼んだら、返事をしないからね」
「わかった、千恵。これからよろしくな」
満面の笑みを浮かべる蘇芳に丸め込まれたような気がして、何となく腑に落ちない千恵だった。
そしてこの後、帰ってきた父が蘇芳に会って、千恵の彼氏を紹介されたと嘆き悲しむのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。