桜が見せた幻
あと1話で完結予定です。
よろしくお願いします。
二人はまた桜の木の前に来た。
何度見ても現実は変わらない。そこには無惨な姿の桜の木があるだけだ。
蘇芳の思い出の場所はこんなにも変わってしまった。蘇芳はどんな気持ちでいるのだろうかと、千恵は隣の蘇芳の様子をうかがう。
蘇芳の表情は翳っていた。だが、千恵の視線に気づくと、寂しそうに笑った。
「……みんな変わっていく。変わらないのは俺だけだったな」
「蘇芳……」
「……千恵は言ったな。自分もいずれ、年老いて死ぬだろうと。俺はまた見送らないといけないのか。そしてまた独りになるんだ……」
ここに来たことで、蘇芳に余計に辛い思いをさせたのかもしれない。だが、どうしてもここに来たかったのは、桜花と蘇芳の思い出の場所で、千恵は蘇芳に話したいことがあったのだ。
千恵は深呼吸して、ゆっくりと口を開いた。もう後戻りはできないと覚悟を決めて。
「……あのね、蘇芳。私もいろいろ考えたの。これからも蘇芳と一緒にいるためにはどうすればいいか、とか」
「ああ」
「でも、やっぱり私は限られた寿命の中で生きるっていう選択肢しか見つからなかった……」
「……わかってる。だから、もう俺は……」
蘇芳は千恵を追って消滅するとでも言いたいのだろうが、そんなことは聞きたくないし、言わせたくない。
千恵は蘇芳の言葉を遮った。
「だから、家族になろう?」
「え?」
蘇芳は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。桜花の記憶の中で見た顔だ。千恵は思わず吹き出した。真面目な話をしている時なのに不謹慎だが、止まらなかった。ようやく笑いをおさめた千恵は目尻の涙を拭いながら続ける。
「私の後を追おうなんて思わないくらいに、子どもや孫に囲まれれば寂しくないと思うの。まあ、蘇芳とは結婚できないけど。事実婚とか、そんな形だってある。私は蘇芳にだってそういう幸せがあってもいいんじゃないかって思う」
「だが、俺は……」
「蘇芳が言いたいことはわかる。自分が人と違うことで苦労してきたから、自分の子どもにはそうさせたくないのよね。だけど、蘇芳。生まれてきて幸せだって思ったことが、一度でもなかった?」
蘇芳は黙り込む。
桜花は蘇芳を実の子ども同然に愛し慈しんでいた。その気持ちが蘇芳に少しでも届いていればいいと、千恵は願う。
少ししてから蘇芳はポツリと呟いた。
「幸せ、だった……」
「……私だって普通と違うことで悩んで苦しんだけど、それでも幸せだって思う。私たち二人ともそういう苦しみを知ってるの。もし生まれてきた子どもが普通と違うことで悩むことがあっても、力になれると思う。私は蘇芳をまた孤独に戻したくないの。すごく自分勝手なことを言ってるとはわかってる。だけど……」
「もう、いい。もうわかった……」
蘇芳は千恵を抱き締める。蘇芳の体は震えていた。千恵の肩口が濡れ始め、千恵は蘇芳の背中を優しく叩いた。
「蘇芳は本当に泣き虫ね。桜花さんに笑われるわよ」
「いいんだ。これは嬉し泣きだから」
「嬉しいって思ってくれるの? 私の勝手なのに」
「違う。千恵が俺のために真剣に考えてくれた」
「だけど、まだ早いから、もう少し私が大人になるまで待ってくれる?」
「ああ。ここまで何百年も待ったんだ。数年増えるくらい苦じゃない」
二人が思いを重ねた時、それは起こった。
千恵の目に、信じがたいものが映る。
ヒラヒラと一枚、二枚と薄紅色が舞い落ちる。そこに風が吹き上がり、多くの花びらが二人の上に降り注ぐ。
「え、何、これ……?」
「千恵、あれを見ろ」
蘇芳が指差した先には、桜花の記憶で見たままの立派な桜の木があった。
「どうして……枯れていたはずなのに」
「もしかしたら桜花の父親がやっているのか……?」
こんな真夏に桜が咲くはずがない。
だが今、千恵の視界にはひらひらと舞い散る花びらがライスシャワーのように降り注いでいる。
「おい、千恵……」
「え?」
蘇芳が戸惑ったように千恵を呼ぶ。どうしてなのか千恵にも最初はわからなかったが、千恵の頬を温かいものが伝う。
はらはらと、とめどない涙が流れる。悲しいわけじゃない。これは歓喜だ。
「桜花さんが喜んでる……ずっと、帰りたかったのね。蘇芳と一緒に」
「桜花……よかったな。桜花の父親にはもう、力が残ってない。最後の力を振り絞って、娘を迎えたかったんだろう」
「そう、なの……」
本当なら桜花として再会させてあげたかった。だけど、桜花は自分は記憶の欠片に過ぎないからと千恵の中に眠ってしまった。
──ねえ、桜花さん。ちゃんと伝わってる? お父さんの気持ち。
千恵は目を閉じて自分の中に眠る桜花に心の中で話しかけた。それから目の前にいる蘇芳に話しかける。
「蘇芳はここに来てよかったと思ってる? 桜花さんはここで……」
「ああ。ここではいろいろなことがあった。だが、大切なことは、俺の心の中にある。場所の問題じゃないんだ」
蘇芳は千恵の髪についた花びらを一枚指で摘んで笑う。すると、その花びらがふっと姿を消した。
気づけばどこにも桜の花びらはなく、元の無惨な桜の木に戻っていた。
「……桜花の父親には花を咲かせる力もなかったから、最期の力を振り絞って、俺たちに全盛期の桜の幻を見せたんだろう」
「うん……私がもう少し早く桜花さんと話せていれば……」
「それは違う。桜花は千恵には千恵の人生を歩んで欲しいから眠っていた。本来なら出て来るはずがなかったのに俺が不甲斐ないせいで出てきたんだ」
「それなら、間に合ってよかったって思うべき、なのかな?」
「そうだな」
千恵の心は軽くなっていた。桜の木が見せてくれた幻と、蘇芳のおかげだ。蘇芳に笑いかけると、蘇芳も笑い返してくれた。
蘇芳の顔がゆっくりと近づいてきて、唇が重なる。直前に千恵が蘇芳にプロポーズしたようなものだから、誓いのキスのようだと千恵は頬を赤らめながら思った。
「じゃあ、行くか」
蘇芳の表情からも翳りは消えていた。そうして二人は皆の元に戻った。
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