思い出の場所
よろしくお願いします。
千恵、小夜、成実の三人は、朝食を部屋で済ませてから隣室のドアをノックした。
すぐに気づいたらしく勢いよくドアが開くと、蘇芳が出てきて千恵を抱きしめる。
「昨日から寂しかった。何で同じ部屋じゃないんだ」
「ちょっと、蘇芳。お願いだから離れて! 目立ってるから!」
「嫌だ。家では一緒に寝ることもあるのに、どうしてダメなんだ。納得いかない」
何てことを言うのかと、慌てて見回すと皆が生温い視線で見ていた。
「奥手だと思ってたのに意外だわ。あの蘇芳さんが」
「あの蘇芳がな」
「いやいや、谷原さんがでしょう」
揶揄される恥ずかしさに千恵は真っ赤になって否定する。
「ちーがーうー! 私が寝てる時に蘇芳がこっそり布団に入ってきて添い寝してるだけ!」
「大丈夫、わかってるから。蘇芳さんに限ってそれはないもの」
「お子様だからな。二人とも」
「初々しいわね」
小夜はともかく、蒼、成実の言葉は微妙だ。蒼からすると、千恵は遥かに子どもっぽいだろうが、成実はと思って、中身は子持ちの女性も混じっているのだった。同級生なのに子ども扱いをされることが複雑だ。
「もう。それよりも、そろそろ出発しよう? 暑くなってからだと山歩きもしんどいと思うし」
抱きつく蘇芳を引き剥がしながら千恵は言う。それに答えたのは、神妙な顔の蒼だった。
「ああ、そうだな。ようやく亜矢に会える……」
千恵は思わず小夜を見た。その刹那、痛みを堪えるように顔を歪めた小夜は、千恵の視線に気づき、無理に笑顔を浮かべた。その貼り付けたような笑顔が痛々しくて、千恵は胸が苦しくなった。
それでも、追及すれば余計に小夜が傷つくだろう。千恵は気づかない振りで皆を促した。
「……行きましょう」
とりあえず山歩きに必要な物だけ持って、五人は桜花の生家に向かって出発した。
◇
鬱蒼と茂った葉が五人の行く手を遮る。その上、ゴツゴツした石や、土に足を取られて中々女子の足には厳しい。何より、虫が多いせいで小夜が悲鳴をあげる。
前世の記憶がある成実や、虫が平気な千恵は黙々と歩くが、慣れない山歩きに汗が吹き出し、普段使わない筋肉が悲鳴を上げている。
小夜の隣には蒼、千恵の隣には蘇芳がいるが、易々と歩いているところが憎らしい。蘇芳は千恵を覗き込んでは心配する。
「千恵、俺が負ぶって行こうか?」
「ううん、大丈夫。明日、明後日は筋肉痛だろうけどね……」
そもそも帰宅部で運動をする習慣のない千恵だ。こんなことになるなら少しでも鍛えておけばよかったと後悔しても遅い。
「無理な時は言ってくれ。千恵の一人くらい抱えて歩けるからな」
「ありがとう。でも河邑さんや鷹村さんも頑張ってるから私も頑張らないと」
ちらりと隣を見ると、汗だくの成実が力なく笑う。しんどいのは一緒だ。
反対側の小夜を見ると、顔には出ていないが同じく汗だくだ。蒼も小夜を心配していた。
「小夜、大丈夫か? お前は限界まで我慢するから、おかしいと思ったら言え」
「……大丈夫。足手まといにはならないから」
小夜は真面目な顔で蒼の心配を撥ね付ける。これから来るだろう別れに備えているのかもしれない。もう蒼には頼らないと。そうやって虚勢を張る小夜が千恵は心配で仕方なかった。
蒼は困惑したように千恵を見る。千恵は無言で首を振った。それで蒼に伝わるかはわからなかったが、蒼は諦めて歩みを進め続ける。
ただ、もう暑さがきつい時期だ。
休憩をとって、水分、塩分補給をしないと蘇芳や蒼はともかく、女子三人は倒れてしまう。
ちょこちょこ休憩を挟みながら獣道を進んでいると、蘇芳が急に立ち止まった。
「もうすぐだ……桜花の父親の気配がする」
記憶を見た千恵ですら、ここがどのあたりなのかわからないというのに、蘇芳は気配で場所がわかるのかと千恵は驚いた。
だが、蘇芳は首を傾げている。千恵は尋ねた。
「どうしたの、蘇芳?」
「いや、気配は感じるんだが、かなり薄いというか、弱いというか……」
「ああ。おれもそれは感じていた。それともう一つ更に弱い気配を感じないか?」
「確かに。よく似ているが……」
蘇芳と蒼が神妙に話し合っている。もうあれから数百年経っているのだ。何かしら変化があってもおかしくない。
「とりあえず行ってみましょう」
小夜がそう言うと、蒼と蘇芳も頷き、また歩き始めた。
◇
「これは……」
蘇芳が難しい顔で絶句した。
目の前には桜の木の成れの果てがある。これがおそらく桜花の父親の宿っていた木なのかもしれない。
形がなんとか残っているだけマシとでも言えばいいのか。幹の中は白蟻にでも食われたのか空洞で、枝は折れてしまい枯れ果てている。今の時期なら葉が生い茂っているはずなのに、どこにも緑は残っていない。
何より、数百年も経っているせいで、桜花の生家は影も形もなかった。そこに人がいたという痕跡すら見当たらない。そこに時間の残酷さを千恵は感じずにはいられなかった。
「そんな……亜矢は、ここにいるんじゃないのか……?」
蒼も呆然と呟く。
千恵もどういうことなのかと困惑せずにはいられなかった。
千恵の中の桜花も悲しんでいる気がして、痛々しい桜の木を見ていられず目を伏せた。そこで、ふと小さな若木に気づいた。
「ねえ、蘇芳。これって、桜の木……だよね」
千恵は蘇芳の服の袖を引っ張って、若木を指差した。まだまだ小さいけれど、一所懸命に育とうとする瑞々しい生命力を感じさせる。
蘇芳は怪訝にその若木を見た後、目を見開いた。
「こんな、ことが、あるのか……?」
「蘇芳、どうしたの?」
訳がわからない千恵は蘇芳に尋ねる。だが、蘇芳は答えず蒼に視線を向けた。蒼も蘇芳の視線に気づき、同じく若木を見て、呆然としていた。
「どうしてだ……? 亜矢、なのか?」
その言葉に、千恵、小夜、成実も一斉に若木を見た。だが、どこからどう見ても桜の若木にしか見えない。
「蘇芳、ねえ、どういうことなの? 亜矢さんは桜の精と人のハーフだったのよね?」
焦れた千恵が追及すると、ようやく蘇芳は気がつき、言葉に詰まりながら教えてくれる。
「あ、ああ。亜矢は合いの子だった。それで村人に殺されたはずなんだが、どういうことか俺にもはっきりとわからない。死んでなかったのか、生まれ変わったのか。だが、人が精霊に生まれ変わるなんてことがあるのか? 桜花は何も言ってなかったぞ」
「だが、間違いない。この気配は、亜矢だ……!」
蒼の声は震えていた。
ようやく会えた喜びに打ち震えているのだ。
そこで千恵は気になっていたことを蘇芳に聞いた。
「ねえ、蘇芳。桜の精は実体化できるんじゃないの? 私には見えないんだけど」
「それは力を持った精霊だけだ。この若木はまだそこまでの力がない。千恵に見えるまでにはあと何年かかるかはわからないな。最悪、生きているうちは無理かもしれない」
「そう……蘇芳や蒼さんにも見えないの?」
「ああ。今はまだな。まあ、魂や気配はわかるから、蒼も間違えはしない」
千恵は小夜が気になった。見ると小夜は涙を堪えている。このままここにいるのは酷かもしれないと、千恵は逡巡した。そんな千恵に気づいた小夜は千恵のところにきて、耳元で囁いた。
「蒼と亜矢さんを二人きりにしてあげましょう」
千恵は頷いて、小夜、蘇芳、成実とその場を離れた。
◇
「蒼が亜矢さんに会えてよかった。まさか桜の木になってるとは思わなかったけど」
小夜の声は明るい。それが空元気だとわかるくらいには千恵は小夜の気持ちがわかるようになった。
「鷹村さん……」
大丈夫かなんて聞けない。大丈夫じゃないのに、大丈夫としか返事をしないことがわかっているからだ。それなら何と声をかければいいのか。どんな言葉も小夜を傷つけてしまう気がして、千恵はそれ以上言葉が出てこなかった。
「そんな顔しないで。いつかこんな日が来るってわかってたから。わたしなら平気」
笑っているのに、小夜の心が悲鳴を上げている気がして、千恵は小夜に抱きついた。
「……無理しなくていいの。鷹村さんにとって蒼さんがどれだけ大切な存在かわかってる」
小夜の体が小刻みに震え出して、少しずつ吐き出すように小夜は話し始める。
「……本当は嫌だった。いつか来る別れを考えるのも、その時に失恋するんだって覚悟をするのも。どうしてわたしじゃダメなのかって、何度も考えた」
「うん」
「どんなに頑張ったって亜矢さんには……敵わ、なくて……」
小夜の言葉が涙混じりになり、嗚咽を漏らしながら続ける。
「わた、しは、誰からも、必要と、されな、いんじゃ、ないかって……」
「そんな訳ない! 私は鷹村さんがいてくれてよかったって思ってる。蒼さんも鷹村さんを大切に思ってる。それは鷹村さんもわかってるでしょう?」
千恵の言葉に被さるように、いつのまにか来ていた蒼が小夜に言う。
「千恵の言う通りだ。亜矢は亜矢で大切だが、小夜は小夜で大切だと思っている。おれの子どもみたいなものだからな……千恵、蘇芳。お前たちもあの場所に用があるんだろう? ここはおれに任せて行け」
小夜、蒼、成実を順番に見ると、それぞれが頷いてくれる。
千恵は蘇芳に手を引かれ、再び桜の木へと向かった。
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