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桜の下で  作者: 海星
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蘇芳との未来

体調を崩してしまい、休み休みで申し訳ありません。また少しずつ投稿します。

よろしくお願いします。

 ──とその時。


「ただいまー」


 階下から母の声がして、千恵は我に返った。勢いよく腕を突っ張って蘇芳から離れると、蘇芳は不服そうな顔をしていた。


「何で離れるんだ」

「……だって恥ずかしいし」


 蘇芳の顔を見られず、千恵は俯く。今蘇芳の顔を見てしまうと、どうしても唇に目がいくだろう。


 千恵にも一応、ファーストキスへの憧れがあった。相手はどんな人だろうか、どんなシチュエーションで、どんな気持ちになるのだろうか、と思っていた。


 まさか相手が鬼で、お試しのキスになるとは思わなかった。それでも、この切なさで胸が締め付けられるような感覚は嘘じゃない。千恵の顔は知らずに綻んでいたようだ。


 蘇芳の顔が近づいてきて、今度は掌で蘇芳の顔を押し返す。蘇芳は納得いかないと文句を言う。


「何で邪魔するんだ」

「あのねえ、私は初めてなの。そんなにいきなり慣れないの!」

「だから慣れるまで……」

「もう今日はダメ! お母さんも帰ってきたし、ほら下に行こう?」

「嫌だ。何でそんなに嫌がるんだ。俺はまだ足りないのに……」


 蘇芳は恨めしそうに千恵を見ている。足りないってこれ以上何が、と考えて千恵ははたと気がついた。じわじわと顔が熱くなって、千恵は蘇芳に怒鳴った。


「蘇芳の変態!」

「千恵、どうしたんだ急に」


 怒鳴られた蘇芳は困惑している。千恵は立ち上がると蘇芳を置いて部屋を出て行く。蘇芳も慌てて立ち上がると千恵の後をついてきた。階段を勢いよく降りて、二人は居間へ入った。


 居間の奥のダイニングキッチンでは買い物を終えて帰ってきた母が、冷蔵庫に物をしまっていた。


「二人ともどうしたの?」


 母が不思議そうに聞く。千恵は恥ずかしさと後ろめたさで、母の顔を直視できなかった。一方の蘇芳はそういった情緒とは無縁なのか、母にまで千恵にぶちまけた不満を訴えようとした。


「千恵が接吻していたら急に怒り出した。俺はもっとしたいと言ったのに……」

「ちょっ……蘇芳!」


 千恵は慌てて両手で蘇芳の口を塞いだが、時すでに遅しで、母は目を丸くしていた。それから呆れたように嘆息すると、腰を手に当てて説教をする。


「あのねえ。二人が思い合ってるのはわかるけど、千恵はまだ子どもなの。蘇芳さんも大人だったら、もう少し節度ある行動をとって欲しいのだけど」

「お母さん、子どもなのは私じゃなくて蘇芳の方なんだけど……」

「いや、俺は子どもじゃないぞ。もう何百年も生きているからな」

「……それだけ生きててもデリカシーないくせに」

「でりかしー?」

「恥ずかしいことを言わないでってこと!」

「もうわかったから。千恵も蘇芳さんもどっちもどっちってことね」


 母そっちのけで言い合う二人を、母が止める。それから微妙な顔で二人に言う。


「お願いだから、いきなり子どもができましたなんて言わないでね、二人とも」

「お母さん!」


 千恵は声を上げた。蘇芳といい、母といい、どうして平気な顔でそんなことを言えるのか、理解できない。蘇芳はどんな表情で聞いているのかと千恵は蘇芳に視線をやった。


 蘇芳は俯いていた。心配になった千恵が顔を覗き込むと、今にも泣きそうな顔をしていた。


「蘇芳……?」


 今の話のどこに、蘇芳が傷つく要素があったのか。戸惑いながら蘇芳の名を呼ぶと、蘇芳は静かに自分の気持ちを話し始めた。


「……俺はこんな容姿だ。人だった時も思ったが、俺は子孫を残すべきじゃない。それに今の俺は容姿どころか人ですらない。千恵に桜花のような苦労はさせたくないし、俺のような子どもは不幸になるだけだ」

「蘇芳……」


 蘇芳は自分がいなければ桜花は幸せになれたとでも思っているのだろうか。それは違うと、桜花の記憶を見た千恵にはわかる。

 そもそも蘇芳には何の落ち度もなかったはずだ。ただ、そういう容姿に生まれついただけだというのに。


 人というのは残酷だ。自分たちの基準から外れれば簡単に異端だと決めつけて迫害する。

 そうすることで自分たちが普通なのだと安心したかったのかもしれない。


 一体蘇芳が何をしたというのか。千恵の胸に当時の村人に対する怒りがこみ上げてきた。蘇芳から大切な人を奪うだけでなく、自尊心や自己肯定感まで奪った。


 ──お願いだから自分で自分を否定しないで。


 言葉にならず、千恵は蘇芳に抱きついた。千恵にとっては蘇芳は大切な人だ。どんなに言葉を尽くしても、相手に気持ちを伝えることは難しい。だから千恵は一所懸命に言葉を選んで話した。


「蘇芳、もうやめて。私はあなたが生まれてきてくれてよかったと思ってる。あなたを大切に思う私の気持ちまで否定しないで……」

「千恵……ありがとう」


 蘇芳も千恵を抱きしめる。その声には涙が滲んでいた。そんな二人に母は言う。


「……桜花さんがどんな人だったかはわからないけど、蘇芳さんを拾ってこんなに大きくなるまで育ててくれたのよね? 並大抵の苦労じゃなかったと思うわ。そもそも情がなければ拾わないし、育てないでしょう? 桜花さんは幸せだったんじゃないかしら。あと、私が言いたかったのは蘇芳さんがダメというよりも、千恵にはまだ早いってことなの。それは勘違いしないでね。確かに千恵の相手が人だったらいいとは思ってたけど、千恵の秘密を知った上で受け入れてくれる人は難しいと思う。この子が見えるってわかった時から、この子の人生は波乱万丈になるだろうと覚悟していたから、私はあなたを受け入れてるのよ」

「お母さん……」


 千恵が感激して目を潤ませていると、母は爆弾を投下した。


「だからといって、婚前交渉は認めませんからね。お父さんがどうなるかも恐ろしいわ」

「お母さん!」


 止める千恵に、蘇芳は不思議そうに問う。


「婚前交渉って何だ?」

「いや、あのね……」


 しどろもどろになる千恵を無視して、母が答える。


「子どもを作ることよ」

「ああ、性交のことか。子どもができるからそれはしない。安心してくれ」

「……さっきの蘇芳さんの言葉を聞いたから信じるわ。今時頭が固いと思われるかもしれないけど、娘が傷つくようなことはして欲しくないの。私も親だから」

「わかってる」


 二人は真面目に話し合っていて、千恵は口を挟めなかった。千恵の問題でもあるのだが。


 恥ずかしさはどこかへ行ってしまった。それよりも蘇芳の心の傷の方が心配になる。


 蘇芳にも当たり前の幸せを享受する権利はあるはずだ。桜花もそれを願っていた。


 だが、蘇芳の幸せとは何なのだろうか。千恵には蘇芳の壮絶な生い立ちは想像できない。だから、千恵の考える幸せと蘇芳の考える幸せとは一致しない気がしている。


 千恵が当たり前に考える幸せは、好きな人と結婚して、子どもを産んで、添い遂げることだ。

 だが、蘇芳とはそれは叶わない。


 いずれ千恵は蘇芳を置いて逝ってしまうのだ。その時、今度こそ蘇芳がどうなってしまうのかわからない。


 千恵は今頃になって、自分の中途半端な優しさが蘇芳を傷つける可能性に気づいて苦悩するのだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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