日常に戻って
よろしくお願いします。
「おはよう」
千恵はクラスメイトに挨拶しながら蘇芳と一緒に後ろのドアから教室に入る。なんとか予鈴に間に合った。自分の席に着こうとして、近づいてきた小夜に声をかけられ、俯き加減の千恵は顔を上げた。
「おはよう、谷原さん」
「おはよう、鷹村さ、ん?」
小夜の隣には蒼がいる。これまで蒼を学校で見たことがなかったのにどうしたのだろうか。怪訝な顔をする千恵に、小夜が小声で耳打ちする。
「家にいても退屈だからって付いてきちゃったの。谷原さんの背中の傷が気になってるんだと思う」
「そんなの気にしなくてもいいのに。大したことなかったし」
そう言いながら蘇芳に手当てしてもらった時のことを思い出して千恵は赤面する。
気づいた小夜は口角を上げた。
「どうして赤くなるの? 今朝、二人が道端で抱き合ってたことと関係あるのかしら?」
「え、見てたの?」
赤い顔で驚く千恵に、小夜は呆れ声で言う。
「嫌でも見えるわよ。あんな往来の真ん中で。しかも蘇芳さん他の人から見えてたし、あのイケメンっぷりで目立ってたわよ」
「そうなの? 恥ずかしい……」
穴があったら入りたいとは、このことだ。千恵は余計に赤くなって俯いた。
その時予鈴が鳴り、みんなそれぞれ席に着いていく。小夜も千恵に「話はまた後で」とだけ言って、席に戻った。
席に着いた千恵は、机の中に手を入れる。いつもなら封筒が入っているからだ。こうして確認するのが習慣になっていることが悲しい。
だが、今日は何もない。もちろんない方がいいに決まっているが、急にぱたっと止まるのは気味が悪い。固まる千恵に、蘇芳が背後から声をかける。
「どうした、千恵?」
千恵は鞄から筆記用具とノートを取り出して、「てがみがない」とだけ書いた。蘇芳はまだ読むのが苦手だからわかるだろうかと蘇芳の反応を待つ。蘇芳は渋い顔をしていたが、やがて納得したように口角を上げて頷いた。
更に蘇芳が追求しようとしたところで本鈴とともに、教科担当の先生が入ってきた。蘇芳に目配せして千恵は授業へのぞんだ。
◇
チャイムが鳴り、ようやく休み時間になった。すぐに小夜がきて、連れ立って教室を出た。その後ろには蘇芳と蒼が続く。二人は授業中、千恵の後ろでずっと話していた。授業に集中したいのに、気になって集中できなかった。
小夜の言う通り、蒼は千恵の心配をしていたようで蘇芳に千恵の怪我について聞いていた。昨日はあんなに殺伐とした雰囲気だったから、千恵は気になって仕方がなかった。だが、蒼は桜花と話せたおかげか落ち着いたようで千恵は安心した。
ところが話し始めると、話の内容に気が気でなくなった。蘇芳が怪我の程度の話をしたら、蒼はどうして知っているのかと聞いたのだ。それから千恵の素肌を見たという話になり、蒼が面白がって追及していったのだ。
単純な蘇芳にそれをかわすことはできず、聞かれるまま昨日あった事、そして今朝の出来事全てを蒼に話してしまった。授業中で教師の声しか聞こえない中で話すから、千恵には丸聞こえだ。おそらく小夜にも聞こえていただろう。
一体何を言われるのかと、千恵は恥ずかしさで逃げ出したいのを我慢して小夜についていった。
◇
「ここなら大丈夫ね。あまり時間がないからお楽しみは後にとっておくとして」
そう前置きして小夜が続けたのは、意外なことだった。
「谷原さん、もう嫌がらせはないと思うから安心して」
嫌がらせと言われて、今日は封筒が入っていなかったことを思い出した。だが、嫌がらせは小夜が直接行なっていなかったのにどうしてなのか。怪訝な表情の千恵に、小夜は自嘲する。
「……私にだって良心の呵責はあるのよ。表面上は蒼のためだとか言っても、結局は谷原さんを妬んでやっただけ」
「でも、鷹村さんがやらせた訳じゃないのに」
「そう仕向けたのは私。正直に言うと、ざまあみろって思ってたし」
「そうなんだ……」
そこまで嫌われていたのかと千恵は項垂れた。だが、小夜は慌てて否定する。
「あ、今はそうじゃなくて! 桜花さんに言われたの。現実から目をそらすために蒼を利用してるだけで、それは愛じゃない、逃避してるだけだって。悔しいけど、その通りだった。いつも自分が不幸なのは誰かのせいだと思って八つ当たりして、無条件に受け入れてくれる蒼に依存してた。谷原さんにも八つ当たりをして、本当にごめんなさい」
まるで憑き物が落ちたかのような小夜に、千恵は驚いて蒼を見る。気づいた蒼が事情を話してくれた。
「昨日お前たちと別れた後におれたちも色々と話した。おれたちも言葉が足りなかったんだろう。おれは小夜が間違ったことをするのを止めなかった。自分の子どもみたいなものだからな。それにおれ自身も蘇芳が憎かったのもあって間違った方へ進むのを止められなかった。だが、蘇芳も被害者だということを忘れていた。桜花が目を覚まさせてくれたんだ」
「そうなんですね。やっぱり桜花さんはすごいわ」
「まあ、ある意味すごいかもね」
小夜は遠い目で呟く。どこか含みのありそうな小夜に、千恵は首を傾げた。蒼が続ける。
「桜花はズバズバ言うからな。小夜は結構堪えたらしい」
「あれくらいはまだいいと思うぞ。俺は一緒に暮らしていた時、何かあれば怒られていたからな」
「まあ、蘇芳はね。桜花さんじゃなくても怒りたくなるわよね……」
桜花の苦労を思って、千恵は桜花に同情してしまった。蒼も頷いている。
「まあ、そういう訳だから、嫌がらせをしてた子に注意をしたのよ。もうしないって言ってたから、ないと思う。こんなことで償えるとは思わないけど一応言っておくわ」
「ありがとう、鷹村さん」
そうは言ったものの、千恵は納得していなかった。いつも守られるばかりで、自分では何もしていない気がするのだ。
顔を曇らせる千恵を余所に蘇芳は嬉しそうだ。
「よかったな、千恵。手紙くらいならまだいいが、階段から突き落とされるのは危ないからな」
「ちょっと待って!」
小夜が何故か声を上げた。どうしたのだろうかと、千恵は驚いて小夜を見る。
「彼女はそんなことしてないわよ! 手紙で嫌がらせするくらいで」
「え? じゃあ、押されたのは私の気のせいだったのかも」
「いや、そうじゃないだろう。他にもいるってことじゃないか?」
千恵の言葉を蒼が否定する。何がどうなっているのかわからないが、まだ終わっていないということなのだろうか。
一難去ってまた一難。見えない悪意の存在に、みんな黙り込むのだった。
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