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桜の下で  作者: 海星
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二人の気持ち

よろしくお願いします。

「蘇芳、静かにね」

「ああ」


 千恵は蘇芳に(あらかじ)め注意して、玄関のドアを静かに開けた。

 今の千恵は薄汚れている上に、背中の傷を隠すために小夜から借りた上着を羽織っている。これを両親に見られたら大変なことになりそうだ。


 気づかれないように玄関脇の階段を登り、自室へ入るとほっと息を吐いた。


「ふう、何だか大変な日だったわね」

「そうだな」


 話しながら千恵と蘇芳はラグの上に座った。その拍子にまた背中の傷が痛んで、千恵の顔が歪む。気がついた蘇芳が千恵の顔を覗き込んだ。


「千恵、痛むのか?」

「少しだけ。大したことはないと思うんだけど……」

「見せてみろ」


 そう言って蘇芳は千恵の後ろに回ると上着に手をかけて脱がせる。千恵が抵抗する間もなかった。千恵が脱がされた上着を渡されて内側を確認すると、右上から左下にかけて斜めに血がべったりと付いている。


「これ、クリーニングで落ちるのかな……」


 落ちなければ弁償しようと思っている千恵を余所に、蘇芳は服の裂かれた部分から背中に手を触れた。


「ひうっ……」


 蘇芳の手の冷たさとこそばゆさで、千恵は変な声を上げてしまい、上着を落とすと慌てて両手で口を塞いだ。

 蘇芳はそれを痛みのせいだと勘違いして、再び心配そうに声をかける。


「千恵、悪い。痛かったか?」


 千恵は口を押さえたまま無言で首を振る。蘇芳は未だに傷の周囲を指でなぞっている。そこからぞくぞくした感覚が這い上がってきて、千恵はまた声を上げそうになっていた。


 そう思うならその手を止めて欲しい。涙目になりながら、千恵は後ろを振り返って蘇芳を睨む。

 蘇芳は訝っていたが、やがて得心したように笑顔で頷いた。


「どうしたんだ? ああ、そうか。手当てをしないとな。じゃあ、千恵。脱いでくれ」


 千恵は今度こそ本気で泣きそうになった。蘇芳は千恵の服に手を伸ばして脱がせようとする。


「蘇芳、やめて! 恥ずかしいの!」

「だが、自分で手当てはできないだろう? だから見せてみろ」

「いや!」


 千恵は、背中を丸めて脱がされないように服の前を抑える。蘇芳はそれでもしつこく脱がそうとする。蘇芳に他意はないだろうが、脱がされるのは嫌だ。そうして千恵は思ってもいないことを口にした。


「自分で脱ぐから!」


 叫んだ後に、千恵の頭は真っ白になった。自分は何を言ったのか。遅れてじわじわと恥ずかしさに襲われて、身悶えしたくなる。

 それなのに蘇芳はあっさりと離れて「わかった」と言うのだ。納得がいかない。


「……はい。これが消毒薬で、ガーゼにテープ。それじゃあ脱ぐから後ろを向いて」

「別に見ても……」

「絶対にダメ。見たら怒るから」

「……わかった」


 蘇芳は渋々後ろを向いた。千恵はそれを確認して、躊躇(ちゅうちょ)しながら上半身だけ服を脱いだ。静かな空間に衣擦れの音だけが響く。それが千恵の耳に淫靡(いんび)に聞こえて、いたたまれない気持ちになった。


 それからすぐに前面を見えないように服で隠す。だが、振り向いていいとは言いにくい。千恵が黙っていると蘇芳が堪りかねたのか、声をかけてきた。


「千恵、もういいか?」

「……うん」


 蘇芳が身動(みじろ)ぎする音がした。微かな音でも響く静寂なのに、千恵の鼓動は忙しい。蘇芳に聞こえてしまうのではないかと心配になる。千恵は自分を落ち着かせるように深呼吸をした。


「それじゃあ、消毒液というのを傷に塗ればいいのか?」

「手で塗らなくても、吹きかければいいから」

「わかった」


 蘇芳は千恵の言う通りに薬を吹き付ける。薬が傷口に染みて、千恵は小さく(うめ)いた。 蘇芳が即座に反応して、千恵に声をかける。


「痛いんだったらやめるか?」

「ううん、大丈夫。それよりも早く終わらせてくれた方が嬉しい」

「何でだ?」

「……恥ずかしいから」


 千恵は更に体を丸める。好きな異性の前で肌を(さら)して恥ずかしくない人なんていないだろう。だが、蘇芳にはそんな乙女心は通じないということを千恵はわかっていなかった。


「何を言ってるんだ? 綺麗だと思うぞ。それなのに傷がついてしまったな」


 そう言って蘇芳は千恵の背中の傷にガーゼを当てて、テープを貼る。


 千恵は返答に困った。蘇芳の言葉は良くも悪くも直球だ。お礼を言うべきか、否定するべきかと悩んでいると、背中に重みがかかって千恵は驚き、振り返る。


 蘇芳が千恵の背中に右耳を当て、もたれていた。蘇芳の髪が素肌をくすぐる。


「ちょっ……蘇芳!」

「……生きているんだな」


 蘇芳は目を閉じて、千恵の鼓動に耳をすませているようだ。


 千恵は蘇芳の目の前で傷ついて、更に桜花との別れだ。蘇芳も傷ついているのだろう。恥ずかしいが、蘇芳がそれで安心するならと千恵は黙って蘇芳の好きにさせた。


 しばらくして蘇芳が不意に話し始めた。


「……千恵が気を失って桜花が出てきたとき、桜花が千恵は消えたと言ったんだ。それを聞いたときにようやく気づいた。俺は千恵が桜花と同じくらい大切なんだと」


 蘇芳の独白に千恵は震えた。その言い方だと、まるで千恵という一人の人間として見てくれているようだ。だが、幼い蘇芳の言葉だ。他意はないのかもしれないと、千恵は黙って続きを聞く。


「桜花に、思っていても言わなければ伝わらない、と言われた。その通りだと思う。俺は桜花が死んだときに人としての心も死んだ。ただ桜花を探すという妄執に取り憑かれるだけの化け物になっていたんだ。そんなときに千恵に会った。確かに最初は桜花の生まれ変わりとしか思っていなかった。だが、千恵は桜花と違って臆病で繊細で、俺が守ってやりたいと思った。千恵がまた俺に心を与えてくれたんだ……俺はお前が好きだ、千恵」


 蘇芳の言葉を聞きながら、千恵は泣いていた。


 蘇芳は蘇芳なりに考えて言葉を尽くしてくれた。千恵はこの喜びに、どう言葉を返せば伝わるのかわからなかった。千恵は嗚咽をこらえて体を震わせる。それに気づいた蘇芳は顔を離すと正面に回り込んだ。


「千恵? 嫌だったのか……?」


 声のトーンが落ちていて、心配しているか、落ち込んでいるのかもしれない。千恵は泣きながら、首を横に振る。


「私も、蘇芳が、好きって、言った」

「ああ、そうだったな」


 蘇芳は柔らかく笑った。その笑顔がたまらなく愛おしくて、千恵は思わず蘇芳に抱きついた。


「ありがとう、蘇芳」

「何で礼を言うんだ?」

「言いた、かったから」


 蘇芳も壊れ物に触れるように、優しく千恵に腕を回す。


「それと、桜花が千恵に恋を教えてもらえと言っていた。教えてくれるか?」

「……私も、それはよくわからないかも。一緒に勉強しようか?」

「そうだな」


 そうして抱き合っていたが、落ち着いた千恵は上半身裸だということに気づいて、この後に真っ赤になって慌てるのだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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