蘇芳の変化と千恵の戸惑い
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ふっと意識が浮上して、千恵はゆっくり目を開いた。
最初に感じたのは息苦しさ。何故か蘇芳が千恵をきつく抱き締めている。肩の辺りが湿るというよりびしょ濡れで、蘇芳の体が小刻みに震えていた。きっと蘇芳は泣いているのだろう。
そして千恵の顔も涙が乾いて皮膚がヒリヒリする。蘇芳と桜花は会えたのだ。よかったと思う反面、桜花への嫉妬で胸が苦しい。記憶を見た後だから、蘇芳と桜花の関係が恋愛ではなかったとわかっていても、蘇芳が無邪気に桜花を慕う様子は千恵には見せたことのないものだった。
だが、そんなことは蘇芳には言えない。蘇芳が好きなのは桜花だ。千恵はそのおまけに過ぎないのだ。
千恵はそれを自分に言い聞かせて、今気づいたかのように蘇芳の名前を呼んだ。
「蘇芳……?」
ばっと蘇芳は体を離すと、千恵の顔を見て泣き笑いの表情になった。
「千恵、気がついたんだな、よかった……!」
「うん……私、どうしたんだっけ?」
ずっと蘇芳と桜花の過去を見ていたせいで、自分が直前まで何をしていたか忘れている。周囲を確認しようと身をよじって、背中の痛みに呻いた。
蘇芳が慌てて千恵を支える。
「無理するな。怪我をしているんだ」
「……そうだった」
小夜に連れて来られ、蒼に背中を爪で切り裂かれたのだった。直前までの緊迫した空気を思い出し、千恵の体が強張った。
千恵は少し離れた場所にいる蒼と小夜を見る。蒼からは殺気が消え、小夜はどこか気落ちしているようだ。
何が何だかわからない。千恵は蘇芳に聞いた。
「ねえ、蘇芳。あれからどうなったの?」
蘇芳はぐっと泣くのを堪えるように唇を噛み締める。それから一拍置いて、話し始めた。
「……桜花が、出てきたんだ。それで色々話した。桜花は、俺たち二人の幸せを、願っているって……」
「そうなんだ……私も桜花さんに会ったの。すごく綺麗な人だった。私とは全然似てなかったわ」
「いや、そんなことはないぞ。強いところは似ていると思う」
「……私は強くなんてない。桜花さんはすごいわ。一人で蘇芳を育てて、体を張って守った。蘇芳が桜花さんを好きになる気持ちがよくわかったわ」
千恵は苦く笑う。負け惜しみじゃなく、心からの言葉だ。蘇芳も頷くかと思ったが、蘇芳は真剣な表情で首を振る。
「千恵は強い。お前も俺を守ろうと蒼を止めてくれた。それに俺は確かに桜花が好きだが、千恵も同じくらい好きなんだ。桜花が死んで、俺の心も死んだと思った。桜花を探すことを目的に惰性で生きていた俺に、お前がまた生きるということを教えてくれたんだ」
千恵は瞬きをする。蘇芳はずっと千恵と桜花を混同していたのに、急にどうしたのだろうか。蘇芳の心の幼さから、好きという言葉に深い意味はないとわかっていても、千恵の胸は期待に弾んでしまいそうだ。
きっと蘇芳は家族のような意味で好きだと言っているに違いない。その流れに沿って自分の気持ちを伝えてもいいだろうか。同じ意味じゃないと気づかれないように。緊張を隠し、千恵は笑顔で告げた。
「ありがとう、蘇芳。私も……蘇芳が好きよ」
蘇芳は最初驚きに目を見開き、感極まったように顔を顰めた。
「ありがとう、千恵。本当に嬉しい。これからもずっと一緒だ」
そう言ってまた千恵に抱き着く。やっぱり大きな子どもにしか見えない。仕方ないなと思うのは惚れた弱みなのかと、千恵は小さく笑う。それを見ていた蒼がボソッと呟いた。
「……捕まったな。あれはもう逃げられないだろう」
何の話かわからず、千恵は蒼に向けて首を傾げる。蒼は小夜を連れて千恵の傍に来ると、頭を下げた。
「怪我をさせてすまなかった」
謝られると思っていなかった千恵は慌てて手を振る。
「いえ、もういいんです。桜花さんにも会えたみたいでよかったです。だけど、ごめんなさい。亜矢さんがどこにいるかはわからなくて……」
「ああ、それなら桜花に教えてもらった。桜花たちの生まれ育った場所に行けばいいそうだ」
「そう、なんですか……」
桜花の生まれ育った場所であり、蘇芳が育った場所。蘇芳も帰りたいのだろうか。そう思った千恵は蘇芳に問うた。
「蘇芳は行きたくないの?」
「千恵が行きたいなら行く」
「いや、そうじゃなくてね……」
「俺の居場所は千恵のいるところだ。だから千恵が行きたいなら行く」
蘇芳はべったりとくっついたまま、答えになっていないことを言う。本当に何があったのかと千恵は困惑して、蒼を無言で見つめる。
「……あまり見るな。そいつが怒る」
「千恵? 何で蒼を見ているんだ?」
蘇芳は体を離すと、面白くなさそうに、千恵の両頬に手を当てて自分の方を向けさせる。そこで満足気に頷いた。だが、千恵には意味がわからない。
「ねえ、蘇芳。一体何があったの? さっきから変よ」
「俺はもう無くしてから後悔したくないんだ。わかるだろう?」
「わかるだろう、と言われても……」
さっぱりわからない。ほとほと困り果てていると、今度は小夜が頭を下げる。
「谷原さん、ごめんなさい」
「え、あの……」
「……わたしはずっと谷原さんが羨ましかった。人じゃないものが見えるのに、家族とうまくいっているみたいだし、蘇芳さんには愛されて。自分では努力してないくせに当たり前にわたしが欲しかったものを手にしているあなたが妬ましくて嫌いだった」
「……」
千恵は俯く。
確かにそうかもしれない。身内に見える人がいたから千恵は恵まれていたのだと思う。それに、蘇芳は桜花の生まれ変わりだからという理由で最初から千恵に好意的だった。
小夜も見えることで苦労をしたのだろう。それも理解者のいない中で育ってきたのなら、どれほどのものだったのだろうか。そう思うと、千恵を許せない気持ちがわかる気がした。
「……鷹村さん、ごめんなさい。私、無神経だった。見えるのは自分だけだと思い込んでいたから、鷹村さんの気持ちなんて考えてなかったわ。いつもみんなに囲まれる人気者としか思ってなかった」
「どうしてあなたが謝るのよ。わたしはあなたを陥れたのに。一緒にいたのは、あなたへの嫌がらせもあったのよ。あなたが目立つことを嫌ってるってわかってたから」
「……それは蒼さんのためもあったんでしょう? 大切な人のために何かしたいっていう気持ちは、私にもわかるから」
千恵は蘇芳をちらりと見遣る。蘇芳はわかっているのかわからないが、嬉しそうに頷く。
「だからもういいの。私にも悪いところがあったから……ごめんなさい」
「谷原さん……」
「もうその辺でいいだろう」
謝り合戦になっているところに、見兼ねた蒼が割り込んだ。蒼にとってはどうでもいいのだろう。再び話を元に戻す。
「それで、千恵は桜花の生まれ育った場所に行くのか?」
唐突に切り替わって千恵は遅れて返事をする。
「え、ああ。そこってここから遠いの?」
「そうだな。距離はある。しかも山奥だから登るのも大変だろうな」
「それなら学校があるから難しいかも」
千恵がそう言うと、小夜が提案した。
「……もうすぐ夏休みだから、旅行で行けばいいんじゃない?」
「あ、そうだった!」
あと一月くらいで夏休みだった。夏期講習はあるが、夏休み全てではないはずだ。
千恵は頷く。
「蒼さん、あと一月くらい待ってもらえれば一緒に行けると思うけど、一人で行く?」
「そうだな。千恵がいた方が桜花がまた何か教えてくれるかもしれないから、一緒に行こう」
「わたしも行くわ」
「俺ももちろん行くぞ。千恵を一人にはしないからな」
小夜と蘇芳も続く。これで決まりだ。あとは両親をどう説得するかと悩む千恵だった。
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