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桜の下で  作者: 海星
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桜花と蘇芳1(前世)

よろしくお願いします。

 光が消えてからも、しばらくは(まぶた)の裏まで光が焼き付いていて、目が開けられなかった。ようやく目を開くと、瑞々しい緑が視界いっぱいに広がっている。


「すごい……」


 街の街路樹や遠目に青々とした山しか見たことのなかった千恵には新鮮だった。これまで緑と一括りにして表現していたが、それが間違いだと気づいた。青みがかった緑、赤みがかった緑、深緑、黄緑など、色の名前はわからなくとも鮮やかな色彩が千恵の目を楽しませる。


 その場で周囲を見回していたら、視界の端に大木の傍に建てられた粗末な山小屋が映った。バンガローに似た、丸太を組み合わせたようなその山小屋は雨風に晒されたせいか、所々朽ちている。入口と思しき扉は少し傾いていたが、その扉が開いて人が出てきた。


「はいはい、よしよし」

「ふっ、ふえっ……」


 それは桜花だった。記憶の欠片だと言っていた姿と寸分違わない彼女は、聖母のような微笑みを浮かべて、腕の中の赤ん坊をあやしている。


「桜花さん!」


 声をかけて近づくが、桜花は気づかない。隣に行くと、不意に桜花が千恵の方を向いて歩き出そうとした。


 ──ぶつかる!


 千恵は体を硬くして衝撃を待ったが、衝撃はなく、すり抜けてしまった。


「え、どうして……あ、そうか、今の私は精神体って桜花さんが言ってたっけ。きっと私の姿も見えてないのね」


 ホッとした千恵から肩の力が抜けた。それならばと、千恵はまた桜花に近づいて抱かれている赤ん坊を覗き込む。まだ生え揃ってない赤毛。そして、少しだけ開いた瞼から覗く瞳は青かった。この子は蘇芳なのだろう。


「可愛い……」


 あのふてぶてしい蘇芳にも、こんな時代があったのだと、千恵は顔を綻ばせた。見えてないはずなのに、蘇芳は千恵の方を向いてきゃっきゃっと声を上げる。


「……まさか、こんな山奥に赤ん坊が捨てられるとは思わなかったわ。だけど、この子の容姿では仕方ないのかもしれないわね。殺されなくてよかったというべきなのか。ねえ、お父さん?」


 桜花が呼びかけると大木の近くに人が現れた。四十代前半に見える、長身でしっかりした体格の男性だ。桜花と同じように薄桃色の着物を着た男性は、お父さんと言う割には、桜花とはあまり似ていないように思える。美人だが柔和な雰囲気の桜花とは反対に、その男性は厳つい。怒っているように見えるが、そうでもないようで、桜花の問いに静かに答える。


「そうだな。だが、この子は生き延びる方が辛いかもしれない。いつかお前は恨まれるかもしれないぞ。それでもいいのか、桜花」

「……ええ、そうね。何かしら訳ありでしょうし、この山奥で一生を終えるのでしょうね。私みたいに精霊の血を引いている訳でもないのに、この子の容姿では私と同じように人から疎まれる。同じ人だというのに、人というのは残酷ね……」


 桜花の声は沈んでいる。桜花も迫害されていたのだろうか。ただ人と違うというだけなのにと、千恵はやりきれない気持ちになった。


 桜花はきゅっと唇を引き結ぶ。しばらくして何かを決意したように父親である桜の精を見据えた。


「私はこの子を立派に育ててみせる。子どもを産んだこともないのに母親になれるのかは不安だけど、お父さん、お願い。子育てについて教えて欲しいの」


 桜花の決意を込めた眼差しに根負けしたのか、桜の精は頷いた。


「……わかった。だが、私はあまり口出しはしないことにする。人一人育てるのは並大抵ではない。お前の覚悟を示すためにも、出来るだけ一人でやってみろ」

「わかった」


 千恵からすると、まだ若い桜花一人に子育てを任せるのかと不安だったが、桜花は即答した。


「それじゃあ、この子の名前を決めないと。何がいいかしら。この子は男の子だから、強そうな名前がいいと思う? お父さん」

「それもお前が考えろ」

「冷たいわね。ううん、なにがいいかしら。目が青いから青? それだと安直過ぎるし、髪の色は赤、というよりは蘇芳色かしら。蘇芳、うん、いいかも。決めた! この子は今日から蘇芳よ!」


 それから桜花と蘇芳の二人きりの生活が始まった。


 ◇


 まるで映画のダイジェストのようだった。


 再び眩い光に包まれてしばらく経ち、目を開くと、今度は蘇芳らしき五才くらいの幼い子どもが、桜花と山で話しながら狩りをしていた。あの蘇芳からソプラノの声が出ていることが千恵には不思議だった。


「へたくそ、おうかー」

「何ですって! 待ちなさい、蘇芳」


 桜花は手作りらしい木製の弓を引いたが、獲物の兎は逃げてしまった。それを見た蘇芳が桜花を馬鹿にして逃げる。その後を桜花が走って追いかける。


「ほーら、捕まえた!」

「おうか、はなしてー!」

「桜花じゃなくて、お母さんでしょう? 下手くそも許さないわよ?」


 桜花がニヤリと笑うと、蘇芳をくすぐり始める。蘇芳はやめてと言いながらも、嬉しそうに笑っている。

 その様子は仲の良い親子にしか見えなかった。


 千恵はこれまでの経緯を全て見た訳じゃないが、桜花は愛情を注いで育てたのだろう。それは蘇芳の曇りのない笑顔が物語っている。

 不意に蘇芳は桜花に話しかけた。


「ねえ、おうか」

「桜花じゃなくてお母さん」

「じゃあ、おかあさん。やまのむこうって、なにがあるの?」


 桜花の動きがピタッと止まった。少し間があって反対に聞き返す。


「何でそんなこと聞くの?」

「だっておかあさん、そっちはだめ、あっちはだめっていうから。なにがあるのかなっておもった」

「……行ってみたいの?」


 桜花の声が低くなった。蘇芳は首を傾けて少し考える。 それから満面の笑みで頷いた。


「うん! おかあさんといっしょにいきたい!」

「ごめんね、それはできないの。あっちは危ないから行っちゃだめ。わかった?」


 蘇芳とは対照的に桜花は悲しそうに告げる。

 だが蘇芳は不思議そうに目を瞬かせて問う。


「どうしていっちゃだめなの?」

「何ででもだめ! お母さんと約束して! 絶対に行かないって」

「……うん、いかない。だからおかあさん、かなしそうなかおをしないで?」


 幼い蘇芳のぷくぷくした手が、桜花に伸ばされる。気づいた桜花が身を屈めると、蘇芳は桜花の頭を撫でた。桜花の顔がくしゃっと泣きそうに歪められる。


「ごめんね、頼りないお母さんで……」

「よくわからないけど、ぼく、おかあさんすきだよ?」

「ありがとうね、蘇芳。お母さんも蘇芳が好きよ」

「うん。わかったから、なかないで」


 桜花の目尻に浮かんだ涙を蘇芳が拭う。桜花は蘇芳に笑いかけた。


「泣いてないわ……そうね。いつか、二人で山の向こうに行けたらいいわね」


 蘇芳はみるみるうちに笑顔になって、うん、と元気に返事をした。


 桜花は蘇芳のような容姿が当たり前に受け入れられる世界を望んでいたのかもしれない。そんな桜花の母心が、千恵にもなんとなくわかった気がした。

読んでいただき、ありがとうございました。

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