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桜の下で  作者: 海星
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小夜の思惑

よろしくお願いします。

「う……ん……」

「ああ、目が覚めた?」


 千恵がゆっくり目を開くと、見知らぬ天井が視界に入った。打ちっ放しのコンクリートは薄汚れていて、蜘蛛の巣が張っている。それに床に寝かされていたようで、夏だというのに洋服越しでも背中が冷たいし体が痛い。緩慢に声がした方を見ると、小夜が所々破れたソファに座っていた。上半身を起こすと頭に痛みが走って、千恵は呻く。


「痛っ……私、どうしたんだっけ?」


 ここがどこなのか、どうしてここにいるのかもわからない。何で、と思って最後に見た小夜の姿を思い出した。


「……鷹村さんが、こんなこと、したの? どうして?」

「本当はもっと時間をかけて、わたしを信用してもらってからにしようと思ってたんだけど。谷原さんって案外単純じゃなかったのよね。わかりやすく煽って河邑さんを疑わせようと思ったのに疑わないし」

「意味が、わからない」

「つまりね、わたしが仕組んだの。人って面白いわよね。初めに元々あなたのことが嫌いな子と仲良くしたのよ。それからあなたに近づいたのが効果覿面(こうかてきめん)だったみたい。その子はあなたが気にいらないって言ってたわ。その上、わたしと一緒にいることであなたはクラスの中でも目立つようになったから余計に腹が立ったんでしょうね。それで嫌がらせを始めちゃった。わたしは別に、あなたに嫌がらせをしろって言ってないのよ? それなのに思った通りに動くからおかしくて」


 そう言って小夜は声を立てて笑う。それを千恵は呆然と見つめていた。


 この人は誰だろう。

 千恵が知っている小夜はこんな人ではなかったはずだ。いや、千恵が知らないだけで元々こういう人だったのだろうか。千恵の中で小夜の人物像が音を立てて崩れていった。


「ああ、ちなみに河邑さんじゃないわ。谷原さん、流石(さすが)ね。意外に人を見る目はあったんだ。だけど、わたしのことはわからなかった?」

「……わからなかったわ。それに、どうしてそんなことをするのかもわからない。そんなに私が嫌いだったの……?」


 心配してくれていたのは嘘だった。そうやって人を操って、陰で笑っていたのだろうか。心が痛むというよりも、現実味がなくてまだ信じられない。

 だが、小夜は首を振る。


「違うわ。わたしは彼に喜んでもらいたかっただけ。そのためにあなたの信用を得ようとしたんだけど、あなたは他の人と違って思い通りに動いてくれなかったのよね。このまま計画を続けても、あなたはわたしを信用してくれそうになかったし、反対に別の人に依存しかねないから、ちょっと強引だけどこういう手に出ちゃった」

「彼……?」


 こんなことをして喜ぶ人、と考えたが、千恵には心当たりがない。俯いて思案にふけっていると、背後から低音の声がした。


「桜花、久しぶりだな」


 誰のことを言っているかわからなかった千恵は反応が遅れた。聞いた名前を反芻すると驚いて振り返り、更に驚いた。


「鬼……」


 額には角があるが、蘇芳ではなかった。蘇芳と違って線が細く、漆黒の髪と黒目がちで切れ長の目。髪が腰まであるせいか、一見すると女性に見間違いそうな美貌に濃紺の着流しを着ている。

 その彼は千恵の呟きに片眉を上げた。


「小夜から聞いてはいたが、本当に記憶がないんだな」

「ええ、そうなの。蘇芳さんのことも覚えていないみたいよ。前世の恋人の割に薄情よね」

「ちょっと待って! 鷹村さん、あなた……!」


 イタズラに成功した子どものように、小夜は満足気に笑う。


「そうよ。前に言ったと思うけど、あなたを見てると前のわたしを思い出すの。見たいと思わないのに見えて苦痛だったわたしをね。わたしもずっと蘇芳さんやあなたに近づく霊が見えてた。ただ、あなたと蘇芳さんを引き離すまではバレる訳にはいかなかったのよね」

「どうして蘇芳が関係あるの?」

「あなたと蒼を会わせるためには蘇芳さんが邪魔だった。独占欲が強い上に、蒼と確執がある彼が許す訳ないもの」


 そう言って小夜は蒼と呼んだ鬼を見る。蒼は頷いた。


「あいつがおれを許さないように、おれだってあいつを許せない。桜花を死に追いやった張本人だからな」

「え……」


 千恵は混乱した。

 そもそも蒼は誰で、桜花との関係もわからない。それに小夜がなぜ蒼と知り合いなのか。そして、蘇芳が桜花を死に追いやったとはどういうことなのか。


 ──俺は桜花を忘れてはいけないんだ。俺自身の罪を忘れないためにも──


 保健室での蘇芳の言葉が蘇る。蘇芳が言っていたのはそのことなのだろうか。


 だが、千恵は蘇芳自身の口から話を聞いた訳じゃない。こうして第三者の口から聞くのは違う気がした。


「……それは私が直接確かめます。こうして卑怯な手を使ったあなたの言うことなんて信じられません」

「へえ。全然桜花に似ていないと思っていたが、そうでもないんだな。だから蘇芳は桜花と混同するのか」

「桜花、桜花って。私は谷原千恵です。いい加減にしてもらえませんか?」


 皆で寄ってたかって桜花の話ばかりでうんざりする。桜花の魂かもしれないが、今の自分は谷原千恵なのに。


 蘇芳だってそう。必要なのは桜花の魂だけで千恵自身を見ていないのだ。


 谷原千恵は嫌われるばかりで、誰も千恵を必要としていない。千恵の心にそんな負の感情がさざ波のように広がって塗り潰されていく。


「……蘇芳も、そう思ってるの?」

「桜花? どうしたんだ?」


 目を伏せて呟く千恵に、蒼は(いぶか)る。もう千恵は否定することもしなかった。千恵が黙り込むと、蒼は勝手に話を進める。


「これからはおれが一緒にいる。桜花といれば、きっとあいつにも会えるはずだ。だが、そのためには……」


 蒼は言葉を区切る。千恵がのろのろと蒼を見ると蒼の双眸が光った。歪んだ笑みを浮かべた蒼は淡々と告げる。


「蘇芳を消すか」


 千恵は耳を疑った。文字を消すように簡単に言うが、蘇芳を消すとはどういうことか。千恵の頭の中を嫌な想像が駆け巡る。


「そんなの駄目! お願い、やめて!」


 千恵は蒼白になって蒼の腕に縋り付く。だが、蒼は鬱陶しそうに振り払うと、千恵を睥睨する。


「お前に言っても仕方がないが、桜花が死んだせいでおれたちは大変な目に遭った。それも元々は蘇芳のせいだった。あいつも報いを受けるべきだ。そう思わないか?」

「そんなの知らない! 何があったかは知らないけど、だからって蘇芳の命を奪うなんて……!」

「あいつは鬼だ。命の(ことわり)から外れた存在。ならば同じ鬼であるおれの手で送ってやるのもいいだろう」

「そんなの関係ない! 蘇芳の命を奪わないで、お願い……」


 最後には涙が出てきた。蘇芳にとっては千恵は桜花でしかないかもしれない。だけど千恵にとっては──


 いつのまにか千恵の心に入り込んだ存在。最初は自分の都合ばかり押し付けてきて嫌いだった。


 だけど、いつもどんな時も一緒にいてくれた。子どもをあやすように抱きしめてくれた。そして途方にくれたように泣いていた。そんな彼を失いたくない。


 ──ああ、そうか。私は蘇芳が好き、だったんだ。


 こんな状況だというのに、千恵はそんな気持ちに気付いてしまった。それなら余計に蘇芳を守りたいと思う。

 千恵は蒼を睨みつける。


「絶対に蘇芳の命は奪わせないから……!」


 蒼は鼻で笑って馬鹿にした声音で言う。


「人間風情に何ができる? 黙って蘇芳が消えるのを見ていればいい。どうせ何も出来ないだろうからな。小夜、連れて行け」


 それまで黙って成り行きを見ていた小夜が近づいて千恵の腕を掴む。


「いや、離して!」

「諦めた方がいいわ。蒼は強いし、蘇芳さんを憎んでいるから」

「そんなの嫌よ。蘇芳……!」


 お願い逃げて、と祈りを込めて泣き叫ぶと、一陣の風が吹いた。風が止むと、そこにはいるはずのない人がいた。


「千恵、無事か⁈」


 焦った顔の蘇芳を見て、千恵はどうして逃げてくれなかったのかと絶望感に打ちひしがれるのだった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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