蘇芳との喧嘩
よろしくお願いします。
それからは蘇芳がぴったりくっついて離れなくなった。それは家でもだ。
階段から落ちた日、千恵は保健室で手当てを受けた後、自分で歩いて帰った。蘇芳が抱えて帰るというのを断固として断ったのだ。
結局、ふくらはぎを擦りむいたのと、手すりにつかまった時に左手首を捻ってしまったが、それくらいで済んで良かったと千恵は思っている。
でも、蘇芳は違った。自分がついていながら千恵に怪我を負わせたと落ち込んでいた。これからは絶対に離れないと言って、どこまでもついて来ようとする。
トイレや風呂にまでついてこようとしたので怒ったら、自分はそんなに邪魔なのかと落ち込む始末。千恵は蘇芳の機嫌取りに苦労した。
そんな千恵と蘇芳を見て、母は仲がいいのねと笑い、父は近付き過ぎだと苦々しい顔をしていた。
◇
「……ねえ、蘇芳。これはやり過ぎだと思うんだけど」
「いや、用心するに越したことはない」
千恵の呆れたような声音に、蘇芳は真面目に返す。
今日は休日。帰宅部の上、悲しいけれど遊びに行くほど仲の良い友達のいない千恵には行くところがない。部屋で過ごしているのはいいが、状況が問題だった。
机に向かって宿題をする千恵の隣に陣取って、蘇芳は周囲を警戒している。蘇芳から放たれるピリピリした空気のせいで、千恵は勉強に集中できない。諦めてシャーペンを置くと、千恵は重い溜息をついた。
「あのねえ、蘇芳。家にいる時くらい落ち着いてよ。常にこんな感じだと蘇芳だってしんどいでしょう? 蘇芳だって言ったじゃない。自分が離れたから狙われたんだろうって。それなら今みたいに傍にいてくれるだけで大丈夫だと思うの。もちろん蘇芳の気持ちは嬉しい。でも……」
「……どこにいたって安心なんかできるわけないだろう。あんな紙切れしかこないと油断していた俺が馬鹿だった。もし階段から落ちた時に打ち所が悪くてお前を失っていたら、次は何年待てばいいんだ……」
蘇芳の声は沈んでいた。蘇芳が桜花を思う気持ちはなんとなく千恵にもわかる。だが、千恵は聖人君子じゃない。蘇芳の言葉に引っかかりを感じて、気持ちがささくれ立つ。
「……お前ね。それは私? それとも桜花さん?」
「何を言ってるんだ?」
「蘇芳が失いたくないのは桜花さんでしょう? 私が生まれ変わる間、また桜花さんと離れ離れになりたくないだけ。結局私がどうなろうが興味ないのよ」
「そんなこと……」
「あるじゃない!」
蘇芳が困ったように否定しようとするのを、千恵は遮った。これ以上言い訳なんて聞きたくない。
度重なる中傷の手紙に、誰を信じていいのかわからない状況、そして蘇芳の気持ちがわからないこと。それらは千恵の心を疲弊させていた。
「……お願い、一人にさせて。酷いことを言いたくないの」
「千恵……」
縋るような蘇芳の視線を振り切るように、千恵は顔を背ける。それでも蘇芳は黙ったままそこにいた。重苦しい空気に耐えられず、千恵は立ち上がって部屋を出ようとすると、後ろから蘇芳が声をかけてきた。
「どこに行くんだ?」
「……ちょっと頭を冷やしてくる。お願いだからついてこないで」
「だが……」
「一人で大丈夫。ついてきたら嫌いになるから」
ついてこようとする蘇芳に素気無く告げて、千恵は家を出た。
しばらく歩いて、振り返る。だが、そこには蘇芳の姿はなかった。そのことにほっとしつつも若干の寂しさを感じて、千恵は自己嫌悪で落ち込む。
「本当に私って勝手だわ。蘇芳の気持ちも知らないで……」
「あれ、もしかして谷原さん?」
声をかけられてそちらを向くと、小夜がいた。以前に途中まで一緒に帰ったことがあるが、彼女の家はこちらではなかったはずだ。
「鷹村さん、どうしてここに?」
「これからこの先のカフェに行くつもりなの。すごい偶然ね。まさかこんなところで会うと思わなかった」
「そうなんだ。本当にすごい偶然ね」
「今日は一人なの? 蘇芳さんは?」
千恵は言葉に詰まる。小夜には蘇芳といるところを見られたことがあった。何と言っていいかわからず、千恵は作り笑いを浮かべて首を振る。
小夜は千恵の心中を探るように、ジロジロと千恵を見ている。だが、千恵が表情を崩さないのがわかったのか、諦めたように嘆息する。
「……まあ、いいわ。それなら一緒にお茶でもしない?」
「……蘇芳を置いて来ちゃったから帰らないと」
あの鬼はまた一人で泣いているかもしれない。蘇芳の泣き顔を思い出して、千恵の胸がきゅうっと締め付けられる。
千恵の言い分に小夜は呆れた声を出す。
「蘇芳さんだっていい大人でしょう。どうしてそんなに気にするの?」
「あの人は大人なんかじゃない。だから心配なの」
ただ嫌いと言っただけで自分には存在価値がないと思い詰めて自分を傷つけようとする。千恵が傷つくだけで怒って相手に仕返しをしようとする。一人にしたら心配だとどこへ行くにもついてくる。
これのどこが大人なのか。
──だから私が守ってあげないといけない。
結局千恵は蘇芳に弱いのだ。思い至った答えに千恵は困ったように笑う。
「やっぱり帰るね。きっと蘇芳が心配しながら待ってるから」
「……それは困るのよ」
「え?」
小夜がふっと笑うと、千恵の影が伸びた。いや、違う。背後に誰かいるのだ。気づいた千恵が振り向こうとしたら背後から羽交い締めにされた。
「な、何なの⁈」
「心配しないで。ちょっと一緒に来て欲しいだけなの。だけど、お願い。少し休んでてくれる?」
「鷹村さ、ん……」
小夜が千恵の背後に合図を送ったのを見た後、頭に衝撃を受け、千恵はそのまま意識を失ったのだった──。
読んでいただき、ありがとうございました。




