千恵の懸念
よろしくお願いします。
「また、入ってる……」
机の中にはまた封筒。もう中身を見なくてもわかる。ここのところ毎日続いているからだ。
最初は“調子にのるな“だったが、千恵があまり堪えてないように見えるのか、内容は段々とエスカレートしている。馬鹿だの阿呆だの、死ねもあった。相変わらず、カミソリの刃は仕込まれているが。
毎回仕込まれていると、次から封を開ける時に気がつくようになる。それは仕込んだ本人にもわかっているはずだ。それでもやめないのは、こちらの方が千恵の心によりダメージを与えられると踏んでのことだろう。確かにそれだけ嫌われていると思うと、千恵も凹む。
机の中から封筒を取り出して無言で机の上に置く。
「今日も入っているのか」
蘇芳の声は呆れている。最初は攻撃的な蘇芳だったが、最近はちゃんと千恵の言った通りに、大人しくしている。いや、書いてあることはエスカレートしているが、命に関わる危険がないせいなのかもしれない。
それにしても、これを仕込む人が何を考えているのがわからないのが不気味だ。
もしこれが始まりだとしたら、これを仕込むだけでなく、千恵に直接的なダメージを与える方法を考えると千恵は思う。
幼い頃に、足を引っ掛けられて転ばされたり、直接悪口を言われたり、階段から突き落とされそうになったこともある。もちろんそんなことをされたくはないが、封筒を仕込まれるようになってもう二週間だ。それだけで済んでいることが反対に怖いと思うのは勘繰り過ぎなのだろうか。
「またなの?」
小夜が近づいてきて、眉をひそめた。
小夜はこうしていつも千恵を心配してくれる。初めの頃とは打って変わって今は一緒にいることが多い。
「うん……」
「本当に誰なのかしら」
そう言いながらも小夜の視線はやっぱり成実に向かう。明らかに疑っていると言わんばかりだ。千恵はそれを咎める。
「鷹村さん、それは」
「谷原さんの言いたいことはわかるわ。でも、他に疑わしい人っていないでしょう?」
「他にというか、そもそも疑わしい人なんていないの。心当たりがなくて……」
ここまで嫌われるほど人と関わった覚えがない千恵にはわからない。それを聞いた小夜がボソッと呟いた。
「……自覚がなくても憎まれることはあるのよ」
「え、何?」
はっきり聞こえなかった千恵は聞き返したが、小夜は曖昧に笑って何でもないと首を振った。何か引っかかるものを感じながらも、千恵はそれ以上追及するのをやめた。
そして、それは起こった。
◇
「え?」
階段を降りようと一歩踏み出した時だった。どん、と背中を押されて、千恵の体は傾いだ。踏み出した足は宙に浮いたままで、踏み留まることが出来ない。千恵の背筋が冷たくなった。
──落ちる!
慌てて傍にあった手すりを掴む。それでも止まれずに、上半身を手すりに預けたまま、足だけ滑り落ちた。滑り止めで滑ったふくらはぎが熱くなり、遅れて痛みが襲う。それでも必死に手すりにしがみつき、かろうじて途中で止まることが出来た。
何とか大事にならずに済んだと、千恵はほっと息をつく。死ぬかもしれないという恐怖で体の震えが止まらない。そのまま震えていると、蘇芳が駆けつけてきた。
「千恵!」
蘇芳の白皙の顔は、更に色を無くして青ざめている。慌てたように手を伸ばして、そのまま千恵を抱きしめた。
「すまない! 俺が離れたばかりにこんなことに……」
抱きしめる力は強く、痛いくらいだった。蘇芳の体も震えていたせいか、千恵は反対に落ち着いてきて、蘇芳を慰めるように背中を撫でる。
「大丈夫だから。それよりも苦しいから離して」
「嫌だ」
お気に入りの人形を奪われまいとするように、蘇芳は更に力を込めて、千恵は潰れたカエルのような声を上げる。
「ぐるじい……」
「無事でよかった……何で階段から落ちたんだ、危ないだろう」
息がしにくくて、千恵は必死に蘇芳の背中を叩く。するとようやく蘇芳の腕が緩んだ。千恵は長く息を吐き出すと深呼吸して、蘇芳の問いに答える。
「私にもわからない。ただ、階段を降りようとして、背中を押されたような……」
みるみるうちに蘇芳の表情は険しくなった。下手なことを言ったら蘇芳がまた何をするかわからないと、千恵の言葉は尻すぼみになる。
「……そいつ、殺してやろうか……?」
「だから、やめてって!」
物騒な蘇芳を千恵は慌てて止める。人の話し声が近づいてくるのがわかって、千恵は周囲を見回した。
「それよりも、このままここにいたら、人が集まってくるかもしれない。早く離れた方がいいと思うんだけど。とりあえず人のいないところへ行きましょう」
「そうだな。千恵、歩けるか?」
蘇芳に手を貸してもらって立ち上がったが、ところどころに痛みが走って思わず千恵は声を上げた。
「痛っ!」
「大丈夫か? これでは歩くのが難しいか……」
何やら考えていた蘇芳はいきなり前屈みになり、千恵の膝と背中に手をやると、そのまま持ち上げた。所謂お姫様抱っこだ。恥ずかしさに千恵は足が痛むのも気にせず、足をバタバタさせる。
「ちょっと蘇芳! 恥ずかしいからやめて!」
「暴れるな。暴れると落ちるぞ。それに、中が見えるがいいのか?」
「中って……」
蘇芳の視線を辿ると、スカートだった。この体勢も嫌だが、それ以上にスカートの中を見られるのが嫌だ。渋々諦めて蘇芳にもたれかかる。蘇芳は人通りの少ない方を選びながら進む。
「だけど、蘇芳は見えないんだから人に見られたらまずいでしょう。今の私は宙に浮いてるもの」
「それなら大丈夫だ。誰かに会ったら見えるようにする」
「それもまずいわよ! 明らかに高校生じゃないし、日本人にも見えないじゃない」
「面倒臭いが、見た奴が違和感の感じない人物に見える術をかけるから大丈夫だ」
「それならいいけど……それより蘇芳の用事は終わったの?」
「ああ」
いつもは傍にいる蘇芳が離れたのはそのせいだった。理由を言わず、ただ行ってくると一言。だが、こういう時に限って、こんなことが起きる。そんなことを考えていたら蘇芳が言った。
「これも仕組まれていたのかもしれないな」
「どういうこと?」
「俺はいつも千恵と一緒にいるだろう。俺が離れる隙を狙っていたとしたら」
それはどういうことかと考えて、千恵はまさかと目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待って。それって……!」
「ああ。恐らく俺が見えるんだろうな」
千恵以外に人外が見えるのは叔祖母だけだった。だからその可能性には気がつかなかったのだ。
「でも、一体誰が……」
「それはわからない。だが、こうして実力行使に出たんだ。気をつけないといけない」
「そう、よね」
蘇芳の想像通りなら、相手も千恵と同じ悩みを抱えているだろう。それなのにどうしてこういうことをするのかわからず、千恵は困惑するのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




