26
「あの鏡もか?」
殿下に聞かれる。
あの鏡、それは初めての国王陛下生誕祭での贈り物のことだろう。
「いいえ、あれはデザインと付与は私が、彫刻や銀引きは先日の宝飾品工房の職人が行いました。」
「王冠も?」
「もちろん。はめ込む宝石の研磨などは分担させましたが、王冠の金型は私が手作業で作った物ですよ。そういえば、資料室で説明しようと思っていたのですが時間から省いた部分にその説明があったのですよね。間の年の羽毛布団に関してはバンダも協力していますよ。」
「あれは大変だった。」
そういいながらもバンダはビニール袋を私の手から奪い、空気を入れてふくらませている。
以前、一般的には革を使うが、ガラス製品には未だ高価なゴムを使用していることからリサイクルのゴムを使い、風船を作ってあげたことがあった。
あれば私たちの誕生会でガスを入れて浮かせた風船を皆不思議そうに見ていたが、バンダがいたずらですべて破裂させてしまったため、殿下到着前には無くなってしまっていた。
中に細かく切った紙を入れていたので、バンダが割ったところで音が大きくならないように魔法もかけてあり、紙が飛ぶのもまた、演出に思われたようだった。
パーティー後の片付けを私も手伝ったのは記憶に新しい。
それを思い出したのか、膨らませたがあまり弾むわけでも何でもないことにがっかりし、次は水を入れ始めた。
その様子をじっと見ていた殿下は
「バンダはいつも変わった行動をとるが、研究者のようなことをよくしている気がする。」
「…確かにそうですわね。気になることがあれば突き詰めるタイプではありますが幾分、興味の湧く分野に偏りがあるように思えます。研究者といえばそうかもしれませんが、研究をするには知識がまだ乏しい分、突発的な行動に出ることが多いですわね。」
「まるでデンファレが母親のように思えますわ。」
アマリリスが子供をよく見ている親の様だと表現する。
それは自身の母親が自分たちのことをあまり理解していないのだということを遠回しに言っているように思える。
「嫌よアマリリス、同い年の子供なんていらないわ。せめて弟にして頂戴。」
「僕弟だよ。」
水を一杯溜めて、口をしっかり握った状態でバンダが戻ってくる。
「弟というのであればもう少し姉と兄のいうことを聞いてほしいものね。」
「兄さんはともかく、デンファレのお願いはだいたい聞いていると思うよ。」
「突発的な行動のしりぬぐいをさせられている気もしなくはないのだけど?」
そういいながら鋭くとがった鉛筆を数本取り出し、ビニール袋に突き刺す。
水が一滴垂れてきただけで、それ以上こぼれないことにバンダは目を開いて何が起きているのかと目で訴えてくる。
そのため、鉛筆を渡し、
「貫通させないように勢いよく刺しなさい。」
バンダにより刺された鉛筆からは水が滴ることがなかった。
「どうなっているんだ?」
ネリネが興味深くのぞき込み、殿下も私の肩口から見ている。
「プラスチックとは大きな分類の枠で、中には数種類用途によって使い分けることができます。その中からこのビニールという物を作る際にポリエチレンという素材に変換してから創造を行いました。ポリエチレンの材質の性質上、摩擦により収縮いたします。鉛筆を素早く刺すことで起こる摩擦により、穴が一瞬で縮むため、水はこぼれてこないのです。」
説明しながら思ったがまだブラスチックもないこの世界でポリエチレンやビニールというのは聞きなれない名称どころか未知の成分であり、説明されても性質もわからない以上、皆一様に頭上にクエスチョンマークを浮かべている。
「これは実験のようなお遊びです。袋が破けたら負けということ皆さんもいかがですか?」
そういいながら鉛筆を配る。
アマリリスに水が跳ねるため鉛筆を刺したら下がるように告げる。
「素早く刺すのね。」
「そうよ。貫通すると破れやすくなるわ。気を付けてね。」
アマリリスの持つ鉛筆が素早く刺さり、水滴が垂れるがビニールは破けない。
「鉛筆を抜く時の摩擦でさらに穴は縮むの?」
「いいえ、お兄様、刺す際は起きた摩擦も、水にぬれた鉛筆ではさほど起きないため穴は縮むことなく、水がこぼれます。」
そうなのか、と言いつつ鉛筆を渡され、ビニールに刺す。
クレソン、ヴィオラ、ネリネ、殿下と刺していったがこぼれることはなかった。
アマリリスと私を飛ばして、もう一周鉛筆を刺して回ったがまだ大丈夫。
だが、三巡目のクレソンが刺した瞬間
「あ‼」
鉛筆と鉛筆の距離が近いところに刺してしまい、水の重力に耐えられなかったビニールが破け、足元に水が落下した。
「クレソンには何か罰ゲームだな。」
「いつものノリで言わないでよ。ここは王宮じゃないんだ、僕が受けるようなのよりもお手柔らかにしてあげないと」
なんて殿下とデンドロが言うため、いったい王宮で何をしているのだと思いつつ、罰ゲームの行き先を見守る。
「アマリリス嬢に何が見せたかったのか俺たちにも教えてもらおう。」
「え! そんなぁ……」
なんだか困った様子のクレソンにアマリリスの顔を見ると何とも楽しそうだった。
「いいじゃないのクレソン。わたくしたちはそう滅多に入れない場所だもの、殿下方にも見ていただきましょう。」
「はぁ~い。」
いったいなにを見せたかったのだろうと考えつつ、クレソンの立ち寄った先を地図で確認する。
そこは多種多様な花が咲きほころぶ花畑だと報告をもらい、魔獣関係の植物がないか、三回ほど調査はしたが魔獣植物はいなかったため安全区域と表示させている場所である。
その中でも一か所にずっといたようで、ここかとクレソンに確認してから騎士たちに移動ポイントを送り、転移する。
「これは、すごいな!」
殿下が驚きの声を上げる。
多種多様な花々が咲き乱れ王宮の庭園よりも華やかな様子に驚いているのだろう。
だが、それ以上に驚いたのは一角がアマリリスの花の群生地で主に赤い縁をした白い花びらの品種がたくさん咲いていた。
「きれいね。アマリリスの花は大きく豪華だけど、可憐で愛らしい花だわ。」
「デンファレの花だって豪華ではなくて?」
「他の蘭に比べたら背丈もあまり大きくなし、胡蝶蘭やお父様のカトレアに比べたら安価な物よ。」
この世界でも胡蝶蘭は高価な品だが他の蘭は出回りが少なく、見つけても蘭と言えば胡蝶蘭のため価格はそう高くはならない。
それに比べてリコリスは百合に次ぐ人気があり、特に園芸として楽しまれることが多く、貴族の家の庭に何かしらの品種を見つけることができる。
「よかったら何株か持ち帰る?」
「いいえ、お父様が私の誕生日に毎年球根を下さる物だからわたくしのお庭の一角はあの花ばかりなの。いつも同じ白い花の球根だけど、とても気に入っているのよ。」
夫人は何かしら送っているのは見たこいとあったが、上の二人には特に厳しいリコリス当主が誕生日プレゼントを送っているとは意外だった。
「知らなかったわ。スカミゲラはお庭のお花の話をよくしていたのだけど」
「スカミゲラも来ないような屋敷の奥にある庭よ。お父様はわたくしにプレゼントと送ったことをお母様には秘密にしたいみたいだから、ネリネも毎年もらっていたわよね。」
近くで花を眺めていたネリネがこちらを向く。
私たちの話を聞いていたようで、少しため息交じりに話し始めた。
「はい。ゼラフィランサスなんて専用の庭を大きく作り替えさせていたぐらいですから、スカミゲラももらって……、誕生日の件は聞きました。」
ここでその話をするか。
確かに誕生日にもらうのならば誕生日を明かさずにいたスカミゲラはもらったことがないため、私も知らなかったという結論になる。
「あの子の誕生日は解らないということだから私たちと同じ日にしたのですよ。なので正確な誕生日ではないのです。」
「それでも、お約束は守ってくださるのでしょう?」
「あの子と殿下の話術によるかしら」
「殿下のためですか?」
なぜ? なぜここで殿下のためとなるのだ?
「執着を見せ始めたから遠ざけているように思えます。」
いいえ、デンファレとスカミゲラが同一人物だからです。
でも、そういう解釈をするのであれば、利用しよう。
「そうですね。殿下の執着が気にならないとなれば嘘になります。現在はまだ、様子を見た方がいいと思っておりますが、高等部に入れば必然と会う機会もあるでしょう。これから勉学に励まれれば自分に従わない者への執着も消えるのではと思っております。この国の王になる方が自分の意見に従わな者の相手をいつまでもしていては埒が明かないですからね。」
「やはり、殿下のためですか。」
ネリネの表情が緩む。
急なことにどうしたのかと思ってしまうと
「昨夜デンファレ嬢付きの王宮から派遣されたメイドに殿下はお怒りでした。王妃様の命令はデンファレ嬢に尽くすようにということだったようですが、彼女はあなたの粗を探すのに必死で、殿下に告げ口したんです。デンファレ嬢は殿下の権力と財産が欲しくて結婚を望んでいるのだと」
まあいったい、どこからそんな話が出てきたのか。
妄想がたくましい人だ。
「でも、殿下の目からしてもデンファレ嬢は婚約すらも望んでいない。それは僕も気になっていた。王族の命令は絶対。それに誰もがうらやむ王家に加わる、しかも正妃の座だというのに全くなびかず、それどころか殿下を避けているデンファレ嬢がそんなことを考えているわけがないと声を荒げておりました。」
アマリリスだけでなく、やはりネリネにもばれていたか。
そんなにあからさまだったか?
偶然と礼儀程度だと思っていたのだが…
「……私はそんなに露骨ですか?」
「普通ならば、王妃教育で登城したらまず殿下に挨拶をし、そして教育後は殿下とともに時間を過ごされるものだと期待していたが、蓋を開けてみれば部屋にも来ない、それどころか廊下でも合わない。稽古で外に出ている間に帰ってしまったなどなど、その仮面も嫌われたいのではありませんか?」
予想外にネリネに気が付かれていることに驚きつつ、なぜその考えに至ったか、確かに行動は露骨かもしれないが婚約者とはいえ、未婚の男女が仲良くすることには貴族社会からの反発も多い。
そう答えると
「では、殿下を好いているというのならば、なぜ姉上やクレソン、私らが正式な候補となったと聞いたとき、何も言わなかったのですか?」
「候補を集めるというお話はずっと以前にお伺いしておりましたし、ネリネ様とお兄様が加わるのは必然、クレソンの家の問題もアマリリスの様子もスカミゲラから聞いていた以上、殿下が行動に移されることは想定の範囲内。別段驚くことではございません。マロニエを候補にすると聞いた場合は驚いたでしょうが」
「……では、殿下を好いておられるのですか?」
「お慕い申しておりますわ。」
慕っている。
目上の人間を好意にしている際に使う言葉だが、その中には尊敬や敬愛なども含まれ、どちらかと言えば好きである、愛しているという意味よりも前者であることが多い、この場では実に曖昧な言葉である。
「私がどうとらえても?」
「お好きになさってください。」
「その口ぶりだと、ネリネは殿下を好いているようにしか聞こえないわ。」
急にアマリリスが爆弾を投下したことで、それまで冷静だったネリネの顔が一気に赤く染まり、言葉にならない声を上げたため殿下たちの視線が向いた。
「ネリネ、なにがあった? 顔が真っ赤だが……デンファレまさか…」
「私は何も、アマリリスの方ですわ。」
「わたくしも、おかしなことは言っておりませんわ。」
頬に手を添え、ねー、と首を傾げながら聞いてくるため同調して声を出す。
入り口に戻り、おやつを食べながらバンダがマロニエをどこに連れていったのかと聞いて見た。
「ガラスの木があるでしょ。その中が水なのは見たことあるけど、火が入っているのがあったから見せたかったのと、砂漠のバラの大きいのがあったから取りに行ってきた。」
バンダがポケットから砂漠のバラと呼ばれる魔素の結晶が凝固する際に砂を巻き込んだことで結晶がバラの花のような形を形成する。
これば砂を巻き込んだ場合であり、水を巻き込むと水仙、火を巻き込むとシクラメンの花のようになると言われており、ダンジョンでしか見つけることができない。
「これチューベローズの分、また見つけたら兄さんたちにも上げる。」
「ありがとうバンダ。今度何かお礼をするよ。」
「じゃあ、お菓子がいい。王宮のお菓子っておいしいんでしょ?」
デンドロから聞いていたのだろう。
バンダは少しわくわくした様子である。
「解った。デンドロに今度持たせる。デンファレのお礼は何が良いだろうか?」
「お気遣いいただかずとも、これも仕事の一環、これからも王妃様方にファレノプシスブランドを御贔屓いただければそれだけで十分ですわ。」
「…そうか。」
「殿下、不要だという者に押し付けるのは傲慢のすることですよ。」
ネリネが話に入ってくる。
その間、ずっと黙っているマロニエは机に突っ伏し、どうやら疲れ切った様子だ。
クレソンに水をもらい、一気に飲み干すがまた机に戻った。
「マロニエ大丈夫?」
心配になり聞いて見るが、目の前にステータスが現れた。
「…レベルが上がったわね。二十三から三十二なんて、あなたも体質かしら?」
「そんなわけないだろ。バンダが不相応なレベルの魔獣を引き寄せて俺に倒せっていうんだよ。剣の稽古なんてここ最近始めたばかりなのに、もう筋肉痛だよ。」
まあ、バンダに連れていかれた辺りから何となく想像はできていた。
「訓練だけでは得られないこともあるわ。いい経験になったかしら? 今後の剣の稽古に活かせるといいわね。」
「使いどころがわからないことばっかりした気がする。」
肩に手を置き、治癒魔法をかける。
筋肉痛は完全には治らないが、痛みを緩和させることはできるだろう。
元気の戻ったマロニエがお菓子を摘まむために顔を上げるとそのまま動きを止めた。
何を見ているのかと、視線の方へ首を回すとそこには白衣をボロボロにした男性がいた。
もともと白髪と金色の瞳に今日は無精ひげと伸び切った髪を無造作に束ね、サスペンダーは片方切れかけ、革靴の靴裏は剥がれて、歩く度に躓きそうになっている。
「何かあったのかしら? 少々失礼いたします。」
さすがにその姿でバーベナの元へ返すわけにはいかない。
「先生、何かございました?」
「……ああ、デンファレ様でしたか。すみません、眼鏡を壊してしまって、なあに、ちょっと魔獣に投げ飛ばされて、崖から転がり落ちただけです。崖は昇れそうだったんですけど、どうも運動は苦手な物で、半分まで上ったところで今度は靴裏が剥がれてしまって、ははっ!」
ははっ、じゃない。
ワイシャツの肘にもズボンの膝、頬にも血が滲んでいる。
「バーベナに怒られますよ。」
「デンファレ様と妻は仲が良いようですね。先日聞いて驚きましたよ。工房長だとは聞いていたのですが、デンファレ様のところの工房だとは知りませんでした。」
「先生はもう少し領のことを知ってください。そうでないと補助金を出そうにもほかの者に渋られます。ほしいでしょう、ダンジョン研究所?」
「そりゃあもちろん! いいんですか私のためにそんないいところを用意してもらって!」
変わり者の先生と呼んでいるこの人物、ダンジョン研究家でバーベナの夫なのだが、バンダ以上、私の想定の斜め上を行く行動ばかりをとるためローマンはダンジョン研究所の建設には少々後ろ向きで、もう少ししっかりとした仕事のパートナーがいればいいのだが、現在研究も一人で行っているだけあり、手伝ってくれる弟子もいない。
「金銭的な援助は交渉次第としましょう。先生にはダンジョンの研究を進めていただきたい一方、経理や行動予定などを把握しているパートナーが必要です。そういう役割をしてくださる方が見つかりましたら、研究所を立てましょう。」
「パートナーですか? バーベナはほかの仕事がありますし、弟子は皆すぐにいなくなってしまうんですよね。夜逃げのごとく」
いったい何をしたんだと思いつつ、
「連絡お待ちしております。今日は帰る際にこちらに着替えて、元のお洋服は処分されることをお勧めいたしますわ。」
アバターから新品の白衣とスーツ一式靴付きを取り出す。
「いいえ、これはバーベナからもらった物なので捨てられません。いくらボロボロになっても取っておきますよ。ありがとうございます。」
荷物を受け取り、意気揚々とまたダンジョンの奥へ向かっていった。
おそらくバーベナはそんなボロボロの服なんかを見つけた際には発狂して捨て去るだろう。
特に彼女から送った物ならば手づくりのはずだから、余計に発狂か鬼の形相になりそうだ。
殿下たちの元へ戻り、ダンジョンを出ることになった。
「騎士様方は全員戻りました?」
「問題なく、全員戻りましたよ。」
「では、外に出ましょうか。」
ダンジョンの出入り口、受付を通り過ぎ、歩き出すと、
「戻るときはどうなっているんだ?」
「空に飛び立つ感じで楽しいよ。勢いあまって、たまに冒険者が外に出たとたん、丘の斜面を転がり落ちることがあるけど、普通はならないから大丈夫。」
「普通になるから」
バンダの説明に経験者マロニエが自分は何も言われずに外に飛び出してしまい、三回転して石に頭をぶつけたのだぞという顔で睨んでいた。
先ほどの魔獣討伐もあり、バンダへの恨みは積もっているのかもしれない。
いつの間にか呼び捨てになっていたし
ダンジョンを出るのは簡単で、意気込む必要もないためアマリリスのみクレソンの付き添いの元、他のメンバーは一人ずつ出口をくぐり、ダンジョンの外へ戻った。




