15
「デンファレ様?」
アマリリスの声で考え事から現実に戻る。
逃避していたと思えば皆の視線はマカロンから私に向いていた。
「バニラは風味がとてもいいですわよ。うちの可愛いバニラのように甘い匂いです。」
「そうなのか。」
デンドロがバニラのマカロンに手を伸ばす、殿下がどれにしようが悩んでいる様子を見ながら私も苺を手に取った。
「デンファレは苺が好きなのか?」
殿下の質問、そう言えば好きな食べ物は何か? と、以前手紙で送られてきた際に無視した気がする。
「苺も好きです。」
「ほかに好きな食べ物は?」
他、他か、何だろう。
はっきり言って手紙の質問を返さなかったのは思いつかなかったというのもある。
目の前の皿に並ぶマカロンを見て
「チョコレートやレモン、オレンジも好きですわ。あとキャラメルや飴なども好きです。」
「キャラメル?」
この世界にはキャラメルもなかったことを忘れていた。
「おいしいんですよ殿下、デンファレ様が作られたキャラメルっていう茶色い柔らかい飴みたいな物なんですけど、携帯食としてダンジョンに入る冒険者にも人気で、ダンジョンに入らなくても買いに来る人がいるぐらいおいしいんです!」
クレソンもお気に入りのキャラメル。
バターと生クリームと砂糖もろもろで作り、ナッツやドライフルーツと混ぜたり、ポップコーンに絡めたりしダンジョンで売り始めた。
ポップコーンは下町のお菓子として存在していたため手に取る人も多かった。
「後程、冒険者向けの非常食などの説明も致しますわ。」
「マカロンにもキャラメル味があったらよかったのに」
バンダが残念そうに言う。
そういえば、用意しなかった。
バンダとクレソンには次もあるためその時にふるまおう。
「また今度作るわ。」
「聞いていて思ったが、デンファレ嬢は料理をするのか?」
ネリネの声にギクっとする。
貴族令嬢の料理の趣味はおかしなことではない。
とはいえっても、しょせんは趣味、日常的な料理というよりもお菓子などを作ることを指す。
「デンファレはなんでも作るよ。さっき食べた漬物なんて昨日から仕込んでいたし、マリネも朝から一人で忙しそうにしていて、盛り付けだけ料理人に丸投げってどんだけ忙しいんだよって思ったよ。」
「バンダ」
名前だけ呼ぶと一瞬で視線を合わせないようにそっぽを向いた。
「あれがデンファレの手作りなのか?」
「お恥ずかしいですわ。それに全部ではありませんよ。メインは料理人にお願いしましたので、前菜やデザートだけです。」
「どれもとてもおいしかったですわ。デンファレ様はなんでもできるのがうらやましいですわ。」
殿下の視線が注がれているのがいたたまれなくなっていると隣からアマリリスが入ってきて一安心する。
「姉上は全く料理はできませんからね。」
「かろうじて刺繍で図柄が何となくわかる程度、絵画なんかになると全く才がないとお母様に言われてしまいましたわ。お母様からの遺伝だというのに」
はっきり言って貴族令嬢としてはたしなむほどの料理の知識と贈り物にできる程度の刺繍の腕前、話が尽きない程度の読書による知識、パートナーよりも上手くない程度ながらいざというときは馬を沈められる馬術があればいいといわれており、さらにパートナーは武器を苦手とするなら守れる程度の剣術なども求められる。
絶対条件でダンスは人並み以上でなくてはならず、勉学で伯爵位以下の成績をとるものならしばらく外出禁止を言い渡されることなんてざらである。
まあ、私は勉強面の問題はないがダンスはからっきしだ。
バンダもあまりうまくないためローマン相手に習うのだが、ローマンも音楽関係がこちらもからっきしのため途中で拍子がずれていくことも多い。
誕生日を迎えてパーティーには参加できるようになったがダンスをするような半夜会、夕方からのパーティーに出る予定がないため踊る予定もない。
学校が始まる十五歳から夜会には出られるがその頃には完全に引きこもる予定だからダンスができなくても問題ないだろう。
代理がスカミゲラと言えばいい。
ちなみに、この国のダンスは三種類。
友人同士で踊るもの、恋人と踊るもの、家族と踊るもののみで夜会でパートナーを探さす際の目印となる。
全く知らない人と踊る際はこれから友好を深めようということで友人同士の踊りをする。
「母上は踊れないし、趣味も買い物だから厄介だ。」
「そうね。動いて発散もできませんから、わたくしはその分マシですわ。踊れないのはあなたとスカミゲラじゃないの。」
「私は踊るつもりはないがスカミゲラはもう少し真剣に取り組んでもらわないと困る。」
「ギルドばっかりでお稽古をさぼってしまうものね。」
「そうなんですね……。」
本人不在で話題に上がるとは思わなかった。
二人はまだ、先ほどスカミゲラと会っていた分の余韻があるのだろう。
「二人とも踊れるようになってもらわないと困るぞ。夜会が始まったときが厄介だ。クレソンは大丈夫か? 踊れないようなら教師を早めに付けるが」
「大丈夫です殿下、母からこの国の踊りも隣国の踊りも習っていましたので完璧です!」
脳筋一歩手前のクレソンは踊れるということに視線が集まっている。
そっとマロニエを見ると
「俺は音楽とダンスだけは教えられていたから問題ありません。この前暇だったのでチューベローズ様とデンドロ様と少し練習しましたが、問題なかったですよ。」
「そう…、そうなの……。」
歯切れ悪く言うとマロニエの視線が刺さる。
隣で話を全く聞く気なくマカロンをほおばるバンダが話しを振った現況だった気がするがどうだったっただろうか。
休憩もそこそこに三階に戻り、資料室に入る。
「先ほどのバンダのコレクションのご説明が途中の様でしたのでこちらは巻きで進め、終わり次第自由時間といたしましょう。ですので、質問は書き留めて置いてもらい、見学中にお願いします。」
事前にまとめていた資料を木の板に乗せて渡す。
鉛筆を知らない殿下たちは不思議そうに見ながら紙の端で書き心地を試している。
「これなら絵を描くのも楽ですわね。」
「そちらは鉛筆です。炭などを練り、細くした物を木で折れないように包んであるのです。」
「ゴムでこすると消えるんだ。」
バンダが自前の筆記用具から消しゴムを出して消すと殿下は驚いた顔をする。
「学校に支給し、勉強に使わせています。そちらの紙はダンジョンで発見された程よい繊維の植物で葉紙と呼んでいます。葉を主に利用しますが、枝もよく煮詰めると丈夫な繊維が取れ、樹皮は細かく砕いてプレスすることでどの方向からまげても割れることのない木材に加工できました。この方法は他の木でも応用できます。机替わりに渡したその板がそうです。」
「とても軽いな。葉紙は多く自生しているのか?」
「領地で使用する分には十分ですが王都へ回す分となるとまだまだ足りなく、ダンジョンの外の温室はこの葉紙のための物です。」
領地内ではバンバン使っている紙も王都ではまだまだ高価で貴族と商家で使用しているぐらいだろう。
宝石や帽子などの小物を包むクッション材にも布が使われ、紙で作られた箱は高級品だ。
ファレノプシスブランドでは外注していたが工場の生産ラインが安定してきているため商会が動き出したら領内生産に移ることになっている。
「私の方で出資をすると規模が増やせるだろうか?」
「今のところ、まだダンジョンを離れた栽培ができるのかという実験はしておりませんの。領地内で規模を大きくするとなると平地にこれ以上私の産業関係の建物を建てるとなると民の生活空間が窮屈になる可能性があります。保護区で試験的に育てる予定はありますので、それが成功するまでは拡大の予定はありませんわ。」
「保護区で成功してもそれ以上離れたら栽培できない可能性もあるのか。」
「でしたら、保護区よりも近い公爵領で実験してはどうだろう? 山一つ挟んでしまうが保護区よりは近い。」
デンドロが話しに入ってきた。
全くと言っていいほど、資料室の説明が始まらない。
「そうですね。検討してみましょう。ですが、共同経営となりますとアガベ様にも許可をいただかないといけないのでは?」
「アガベ殿は経営から引退され、俺たちに任せてしまっている。医師の話ではもう長くないそうだ。最後は神殿で眠りたいということで近いうちに王都へ移動される。」
「数年前はご健在の様でしたが、ご病気ですか?」
「いや、老衰が始まっているらしい。前陛下の弟とは言えっても年齢的には普通なことだろう。」
魔法のおかげか平均年齢が高いこの国では老衰は一般的な死因である。
だいたいの魔法で病気が治るためだ。
平民となるとまた別だが、平民用の病院でも安価で治療ができるためやはり死因は老衰が多い。
次に飢餓と事故が続く。
前陛下もドラゴンの血が強かったといわれており、長女と末子の陛下までの間は三十ほどある。
「近いうちにもう一度お顔を拝見したいですが、叶いますでしょうか?」
「ああ、それは問題ない。老衰と言っても睡眠時間が長くなり、食事の量が減ってきたぐらいで、それ以外は元気だ。領館近くに住む子爵家の娘がかいがいしく面倒を見てくれるため、それがうれしくて仕方がないようだ。」
まったくそんな印象の無いおじいちゃんだったが、良いのだろうか。
王家の人間が若い子に鼻の下を伸ばしているようなら問題だ。
…?
今殿下は、子爵の娘といったか?
「子爵家の娘が領館に出入りされているのですか?」
「ああ、デンファレの母君と同じローズという名のモス家の娘だ。元気で明るい娘で、デンファレと同じ年だったと思うぞ。」
ああ、こんなところでその名を聞くとは思わなかった。
「アガベ殿の紹介で近々騎士の家の息子と婚約するらしい。本人同士はあまり乗り気ではないがな。」
「そうなのですか……、時間がありませんので資料室の説明を始めますね。」
もうこの話はおわりだ。
アリウムがエイサー・メイプル子爵令嬢と婚約していない現在、バイオレット隊長の長男ヴィオラのルートで私が死ぬことはない。
学校で現在話に上がったローズ・モスがヒロインと仲良くなろうと私に飛び火することはないのだ。
アリウムが今現在誰よりも安全なのだ。
そう言えば就職は学校なのだろうか。
噂では毒の発見だけで学校に就職するとはなかった。
まだ抽出に成功したという知らせもないが残りの在学期間も学校に残ることになるだろう。
「では、事業を開始した鉱山の種類から説明いたします。まず、ダイアモンドの岩盤を――」
夕食はコテージで取るため、男女で分れることになる。
私としてはやっと殿下と離れることができてホッとしている一方、まだアマリリスの相手をする仕事が残っている。
二人っきりの夕食も変哲の無い世間話で速やかに終わらせ、
「今日はお疲れでしょうからお風呂に入って休みましょうか。」
「そうですわね。」
使用人とともに部屋に付いたお風呂へ向かうアマリリスを見送り、ベッドに倒れこむ。
気を抜いたらすぐに寝てしまいそうになるため起き上がりドレスを直していると
「失礼します。」
「エキナセア?」
タウンハウスで仕事をお願いしていたエキナセアがいた。
転送ボックスでも済む内容ならば来ないのだが、急用だろうか。
「クロから、王都に飛来したドラゴンが行方不明だと報告がありました。何かを探している様子だったそうなのですが、私が話しかけても反応はしてくれず、クロの話も半分は聞き流しているようで、様子がおかしいとのことだったのですが、二人で判断し、デンファレ様への報告は様子見をしてからと思っていたもので、報告が遅くなり、申し訳ありません。」
「あの子が探しているってものは他のドラゴンも検討がつかないの?」
「はい。なんせ、あのドラゴンは若い個体で、まだ知識も乏しく、ドラゴンの常用語も話すことが難しいようで」
その割には小娘小娘言われた気がする。
わからないフリをしている可能性もあるが今は解らない。
水鏡を取り出し、姿を探すが、人間はともかく、ドラゴンは手当たり次第に探し回るしかない。
中々手間だ。
「ドラゴン部隊に捜索させて、女王のところに行った可能性は低いのでしょ?」
「念のため先に確認しましたが立ち寄った形跡もありませんでした。」
「解ったわ。一晩捜索して早朝に報告に来て頂戴。」
「かしこまりました。」
エキナセアが下がったところで隣の給湯室で牛乳を温める。
ココアを先に水で溶いてから温めた牛乳に加え、さらに少し加熱してからマグカップに移した。
それを持って部屋に戻るとアマリリスがお風呂から出たところだった。
「では、私もお風呂に行ってまいります。すぐに戻りますのでこちらを飲んでお待ちください。」
「これは?」
「休憩で出したマカロンにココア味がありましたでしょう。そのココアとは主に飲み物として利用されます。それがこちらです。熱いのでご注意ください。」
自分の分は冷めてから飲むため先に砂糖だけを溶かして置いて置く。
約束通りにさっさとお風呂に入って出ると嬉しそうにココアを飲むアマリリスがいた。
「お気に召しましたか?」
「はいとっても、これならネリネも飲めそうね。砂糖で甘さが調節できる。」
「今頃向こうでも飲んでいるころでしょう。」
仮面を少しずらしてカップを口に運ぶ。
温くなったココアの表面には薄く膜が張っていた。
「デンファレ様がよろしかったら仮面を外されてはいかがですか? 寝るときもそのお姿で?」
「いいえ、寝るときはさすがに外すのですが、部屋を暗くしてからでもいいかと……失礼します。」
皮膚のツッパリ、角質化、痣となっている部分が目立つ幻覚だが、アマリリスは大丈夫だろうか。
そう思いながら顔を見ると眉間にしわを寄せていた。
「スカミゲラとともに薬液をかけられたというお話でしたが、なぜこうも治りが違うのか。お労しいですわ。」
「スカミゲラは治癒魔法が効きますが、光属性が強い私はそうは行きませんでした。それだけです。聖女教育の中には治癒も学ぶそうですので、そのうち、自力で治すこともできるようになるやもしれませんわ。」
「今はできませんか?」
「今はまだ」
探られている?
真剣なアマリリスの瞳だが、疑いや揺るぎというよりも心配の色が強い。
「アマリリス様はなにかお気づきなのですか?」
その言葉になんといえばいいのかといった様子で目を泳がせた後
「……ネリネはまだ気が付いてはいないと思うのですが、同じ女性として、気になったことがございます。」
「何でしょうか?」
「…デンファレ様は殿下がお好きではありませんよね? どちらかというと避けておられるように見えますわ。病弱にしては領地のいたるところに目を向け、手を差し伸べている。勉学もわたくしを超えるぐらいの教養があり、ドラゴンの際の魔力は国王陛下に、もしくはそれ以上に思えましたわ。それなのに、それをひけらかす素振りもなく、殿下に媚びを売ることもない。デンファレ様はご存じないかと思いますが、ガーデンパーティーで殿下の周りには側妃になりたいという令嬢や令息が山のように群がります。それこそ、豆をまいたところに鳩が群がっているかのようで、皆飢えているのは明らかですわ。陛下と王妃様の容姿から将来殿下の顔がハンサムになるのは必然、そうなればさらに群がってくるでしょう。学校には現在領地にいる令嬢方も登校されますので今よりも状況が悪くなるため、今の内に近づきたい人は多いのです。それなのに、デンファレ様は殿下のお誘いは断り、文通も気分でお返しになられない。王宮でもめったに会うことができないというお話でした。明らかに避けておられるわ。」
女の感を九歳で発揮されても困る。
当たっているだけに余計に面倒だ。
まあ、大人なら考えればすぐにわかること、子供が気づくとは思わなかったが
「では、アマリリス様が正妃候補の座に就けばいい。」
「え?」
マグカップを一瞬落としそうになりつつ、驚いた顔を私に向けてくる。
それこそ、鳩が豆鉄砲を食ったようだ。
「確かに私は王妃になりたいわけでも殿下の妻になりたいわけでも、国民の母にも、産まれてくる次世代の殿下の子の母親にもなりたいわけではありません。この領地で、のんびり生涯が終われればいいと思っております。将来的には優秀な子を養子にして未婚のまま領地をその子に引き渡せればと考えています。ですが選ばれてしまった以上は仕方ありません。あがいても今のところ替わりをしてくれる子はおらず、変わってくれるはずの立場の方はほかに好いた方がいるのですから、押し付けるわけにはいきませんわ。」
「ごめんなさい、わたくしは……」
戸惑った顔をされる。
アマリリスもクレソンとのことで頭がいっぱいだったのだから仕方ない。
「いいのですよ。私も弟のようなクレソンには好きな方と結ばれてほしい。ただ、正式にするまでには少々時間がかかるというだけです。ですから言いますが」
一日目で言うつもりはなかったがこの流れなら何も言われないだろう。
「私は殿下が全く好きではなく、結婚する気は一ミリもございません。ですが、婚約を破棄すると王家が相手では投獄の罪、それは避けたい。どうにか理由をつけ、婚約を解消したいのです。殿下の心が他の方に向くように、今は関わりを最小限にしています。ですから、このことは秘密にしてください。表向き婚約者らしくはふるまいますが、できる限り会いたくはないのです。」
仮面のない私の顔では目がはっきりと見える。
真剣なまなざしを作って、アマリリスに送る。
本心なのだから、作らずとも伝わってくれればいいが、すこしオーバーなぐらいの方がわかりやすいだろう。
「解りましたわ。わたくしで協力できることはなんでも致します。」
「何でもでは困ります。それでは婚約者を変わってくれと言われますわよ。」
「あ…」
ふふふッと笑うとアマリリスもつられて笑った。
他の協力者としてバンダとマロニエがいることを伝え、ココアを飲み終わったところでベッドに二人で入る。
いつもならバンダが寝ている側に私が横になる。
「デンファレ様、今日はとっても仲良くなれた気がしますわ。」
「そうですわね。フフッ」
「これを期に、わたくしのことはアマリリスと呼び捨てにしてください。」
「では、私も呼び捨てで構いませんわ。同じ爵位の家ですが、年齢と立場で相殺でしょう。」
アマリリスの方が年上だが、私の方が正式な婚約者であるため地位は上になる。
「おやすみなさいましデンファレ」
「おやすみなさいアマリリス」
並んで横になり、ゆっくりと目を閉じる。
今日は魔法陣を見ずとも熟睡できそうだ。




