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領地へ転移すれば、目の前にバンダがいた。
「あ、やっと来た。」
「やっと来たじゃないわ。人を呼ぶのは良いけど、相手ぐらい教えて頂戴。おもてなしも何もできないじゃない。」
「うん。言うと嫌がると思ったから」
「嫌がるって何よ…?」
「殿下」
「絶対嫌!」
「デンファレ様、淑女が大きな声を出すものではありませんよ。」
「……ローマンは聞いているの?」
「何がですか?」
二階の執務室から降りてきたローマンの視線は私に向いた後バンダを見る。
きっと一緒に来たと思っているのだろう。
「殿下が来るそうよ。ドラゴン保護地区に関してのお誘いを、心を閉ざしてまで送ったのに、領地で問題があったからと延期になり一年近くたってしまったけれど、こんなタイミングで領地に呼ぶとは思わなかったわ。貴族の予約が多すぎて殿下を割り込ませるのが難しかったというのもあるけれど…ローマン予約表」
「執務室で話しましょう。バンダ様もご一緒に」
「えー」
「えー、じゃないわ。そもそも、どうしてそういう話になったの? あなたたちそこまで仲良くなかったでしょ。何か共通て、ん、と、いえば……収集癖か…。人が神殿に閉じ込められている間になに人の敵に塩送っているのよ。」
「何それ?」
執務室に入り、バンダとローマンはソファーに座るが、私は自分の執務机についた。
机に置かれた確認書類に目を通してサインとハンコを押して道具箱に入れる。
「お待たせ、それで、殿下は何の目的で来るの?」
「ダンジョンと鉱山、貿易港と保護区が見たいってことで今度側妃様が来る日まで滞在する予定でいるよ。」
「側妃様が来られるのはまだ未定じゃないの。いつから?」
「向こうの準備ができたら父様経由で連絡が来る。」
「お父様はご存じなの?」
「ううん」
ローマンと頭を抱える。
殿下でなくとも、貴族が来るだけでお父様の許可は必要だ。
一様、貴族の中でも筆頭の公爵家、個別の爵位を持っているわけでもないため対応は当主たるお父様になってしまう。
クレソンは度々訪れることから連絡はしていないが、マロニエの際は遅れて連絡をした。
「殿下と兄さんとネリネとクレソンとマロニエが来る予定」
「人数が多いわ! コテージの増設と食事の手配、見学施設の調整、商会の方にも連絡して、まだ完全始動していないけれど動き始めないと手が足りないわ。」
「何で商会?」
「お土産や見学先の管轄が商会に被るのよ。殿下にピンクトパーズを見せているのでしょう?」
「うん。ターコイズと一緒に」
ならばトパーズ製品で日常使いできる物を用意しよう。
日常使いとなると何だろうか。
以前ガラスペンを送っているし、鏡では芸がない。
何が良いだろうか。
「お茶をどうぞ」
ローマンが珍しいピンク色のお茶を出した。
「これは?」
「コスモスおすすめのハイビスカスティーです。酸味は強く、この国では売れるだろうかと、ひとまず領館の皆で飲んでみているところです。」
「蜂蜜を頂戴。そうすれば飲みやすくなるわ。ミルクはあまり合わないと思う。酸味は赤ワインと同じ成分だから好きな人は多いはずよ。」
「なるほど、街の喫茶に出す用意をしていますので伝えておきましょう。」
「ハイビスカスティーと蜂蜜のセットとして、甘味の少ない物と合わせましょう。酸味と甘みの対比は渋みに変わる人もいるから」
「さすがですね。」
確か机の引き出しにもらった角砂糖を入れたままにしていたはずだと、引き出しをあさり、取り出したのは赤茶色の砂糖。
ワインで赤くした物が酸化して茶色くなっている。
試作品で作ったは良いが、色が悪く売れないと判断した物だ。
そもそも、飲み残しのワインの再利用でワインと塩を煮込み、再び塩にする方法を港地区の飲み屋に教えたのだが、おかしなものまで作り始めて驚いた。
赤茶けた角砂糖も一度は完全に溶け、焦げ付く前に板状にし、砕いて整形しているとは言え、お茶に入れても溶けが悪い。
これならばお湯を入れる段階で先にポットに入れて置かないと溶けるのに時間がかかるとくるくるスプーンで混ぜている途中、ポットに目をやる。
「そういえば、この国には耐熱ガラスが無いわね。」
「耐熱ですか…? 魔法がありますし、そもそも、ガラスは冷たい物、陶器や磁器が暖かい物を飲むには最適でしょう。」
「でもガラスだって見た目がきれいよ。」
「熱い物を入れたら割れてしまいますよ。その耐熱ガラスは割れないのですか?」
「割れないように生成されたガラスを使用しているからね。でも、その成分はどうだったかしら? 急な加温冷却に耐えられる構造をしているのだけど、厚みを持たせると逆にもろいのよね確か。」
「はあ…、いつか用意できるとよろしいですね。今は目下の問題に戻りましょう。」
「そうね…あ、トパーズでポットとカップのセットにしましょう。ポットはピンクトルマリンでカップとソーサーは他のトパーズの色で作っても可愛いわね。」
「……残念なことにトパーズは少量の青と無色が出ているだけで、ほとんどピンクですね。」
「あら、そうなの。じゃあ、セットはピンクで作って、ポットを無色にしましょうか。紅茶の色もわかりやすいし」
「かしこまりました。至急、確保いたします。」
ローマンが急ぎ執務机で書き物をし、転送ボックスに入れる。
その間、バンダに目を向け、
「お父様から聞いたわよ。お爺様の元でお勉強をすることになったそうね。」
「デンファレも一緒に行こうよ。」
「無理よ。お兄様もお爺様の元で貴族らしくなったのだから、バンダももう少し貴族らしく、勉強もちゃんとしていらっしゃい。どうせ、殿下とここにいる間は時間稼ぎなのでしょう?」
「なんでわかったの?」
「家にいればお父様にうるさく言われることぐらい、目に見えているわ。ああ、バニラの服を急がないとお爺様の元へ行く前に完成しないわ。」
すでに到着している荷物が部屋の隅の木箱に入っていた。
アパレル工房に届けるように言ったはずだがと思いつつ、バンダは今それどころではないようだ。
自分のことて手一杯なのだろう。
採寸表も入っているためアパレル商会でデザインを今どきに変更するかどうか相談しつつ、先に送っておいたユッカ様の洋服もどうなったか確認したい。
結構忙しいな。
「デンファレ様、人数分程度でしたらご用意できそうです。」
「では、試作を作るから工房に移動しましょう。バンダはどうする?」
「暇だからここにいる。」
と、いうことで港地区と別荘地区の間、海岸線から領地内に二つあるうちの一つの湖の手前に広がる工業地区へやってきた。
貿易で手に入れた多くの糸や布などから洋服やドレスを作る工房の他、ガラス製品や工芸関係、食品加工場などもある地区である。
アパレル工房に入るとミシンの音が止むことなく聞こえる。
この世界にはミシンは無かったため、うろ覚えの構造の記憶から再現したミシンは丈夫なシャツや兵士の肌着を作る際に急ピッチで用意したため複写でコピーした物も多い。
「お疲れさま、急ぎでお願いした物はどうなったかしら?」
「デンファレ様! お体がもう大丈夫なんですか?」
アパレル商会の責任者であるバーベナが急ぎ足でこちらに来てくれた。
「体は何も問題ないわ。大事を取って神殿にいただけだから」
「神殿で療養なんて、本当に重症な方がする方法ですよ。ドラゴンと対峙し慣れているとはいえ、お気を付けください。心臓が口から出るかと思いました。」
「心配をかけたようでごめんなさいね。ちょっと魔力を使いすぎただけで何ともないのよ。神殿の勧誘が目的だったような気がしてならないだけだから」
「ならよろしいのですが…、弟殿下のお洋服の件ですね。いくつか出来上がっておりますので、こちらへどうぞ。」
工房の二階への階段を上る。
そこには事務室や休憩室、更衣室がある。
事務室はデザイン案や製品の納品など業者とやり取りすることもあるため一角に輸入家具のソファーとテーブルが置かれている。
「こちらが試作品になります。」
「検針も終わっているのよね?」
「もちろんです。ベビー服はさらに保護魔法の付与ができる職人がおりますので、肌触りやケガなどを一定期間保護できるようにしてあります。」
「じゃあ、試作品を王宮に届けてサイズに問題なければ他のデザインの製作に入って頂戴。」
「かしこまりました。バニラ様の物はどうされますか?」
「同じ手順で任せるわ。今どきのデザインは解らないし」
「デンファレ様の頃よりもシンプルな物が昨年からの流行りですかね。何かございましたら報告します。」
「よろしく。ああ、あとね、ポットの保温カバーを作りたいの。手間を増やすのだけど試作お願いできる。」
「もちろんです。また何か思いつかれたのですね。」
「ただかぶせて置くだけで保温が続くなら便利だと思っただけよ。キルト生地ってあるのかしら?」
「キルト…ですか?」
この世界にはキルトがないようだ。
「表地と裏地の間に薄い綿を入れた布地のことよ。クッションやソファーのカバーだったり、やわらかくクッション性もあるから裏地に使ったり、子供服でも暖かくなるわね。適当な布と綿はあるかしら? できたら綿が良いわ。」
「でしたら端切れとくず綿があります。」
渡された布の上に薄く綿を伸ばし、表地を重ねてから近くのミシンで針を通す。
「綿が寄れないように格子状に縫えば完成よ。表地に柄布や布を組み合わせて模様を作ったりしたものを使うと可愛いわよ。」
「厚みがあって布を傾ければ強度も増しますね。確かに補強材としてやよく動く子供服にもいいですね。綿なら汗もよく吸いますからベッドカバーもいいですね。」
「使い道が多そうでよかったわ。保温には裏面にアルミ布を使ってもいいし」
「アルミ布って防火素材のですか?」
この国にはビニールが無い分、魔法で作られた活気的な物がいくつかある。
その一つがアルミ布。
金属のアルミを細く柔軟な糸に加工し、それで布を織るのだ。
壁の補強材、防火剤素材に使われている。
そのほか軍部の制服にも織り込まれ、ちょっとやそっとの刃物では傷つかない。
「保温性が高いそうよ。お父様が軍人時代に汗をすぐ掻くから嫌な思いでしかないとおっしゃっていたの。ポットを包む内側にアルミ布、外側にキルトを使うとさらに保温できるはずよ。」
「なるほど、お弁当の包みなどにも仕えそうですね。」
「暑い時季は食中毒もあるから夏は逆に冷やして持って行けるし、食品配達なんかと行うようになると便利よね。」
「食品配達ですか?」
ローマンは今日、質問ばかりだ。
「カフェや飲み屋から家庭への配達サービスよ。商品代とは別で配達代をとっても取らなくてもいいのだけど、家でお店と同じ味が食べられるの。こういう工房や会社のご飯に合わせて配達をしてもらって、大人数でもお店を占領することもなく、自分たちの好きな時間飲み食いできるから便利でしょ。法令化で徹底してから飲食店に提供しようと思っているわ。」
「レストランが増えて飽和状態ですから、それもいいかもしれませんね。料理ができない一人暮らしでも一人で店に入りにくい人には便利だ。」
「でしょ。」
ここでの話を終わらせ、工業地区から第一領館近く、宝石加工工房へ向かう。
ローマンの連絡で取り置きされていた無色のトパーズを眺める。
「亀裂もなくていい感じね。」
「はい。ですがデンファレ様は相変わらず突拍子もないことを思いつきますね。鉱物で食器を作るなんて、なんて贅沢な。加工はどうやりましょうか?」
「貴族は贅を尽くした物を好むからいいアイディアでしょ? 今回は急ぎだからポットは私が作るわ。カップとソーサーの加工はお願いできる?」
「何とかやってみましょう。持ち手部分が難しいですね。」
「内側と飲み口はなめらかになるように、できるだけ薄く作りたいわ。表面は多面体カットで足を付けたいの。ソーサーは中央のへこみ部分はなめらかで、外側に行くにつれ多面体カットが良いわね。完成品にはすべて破損防止や劣化防止の付与も付けるから、使い心地を優先して」
「難しい注文ですが頑張りましょう。」
「よろしくね。それじゃあ、ローマンは港で紅茶の種類を聞いてきて頂戴。」
「あの酸味のあるお茶以外にも何かお求めですか?」
「ハーブティーや花のフレーバーティーが欲しいわ。あと緑茶も」
「遠い異国のお茶ですね。探してみましょう。」
特に返事も待たずにローマンは港に向かった。
「いいですね緑茶。影へのプレゼントですか?」
「あら、よくわかったわね。」
「以前急須に似た物を作られていましたから、金属ばかり扱っている分、時々粘土作業もいいですね。失敗してもやり直せるところが特に」
なんだかお疲れの様だ。
工業地区には磁器や陶器の工房もあり、安価な食器から貴族向けの宝石を埋め込んだり、飲み口に金を使って絵柄を描いた物だったり、レースのような細かい細工の食器を製造している。
貿易で見つけた物のデザインだったり、クルクマが教えてくれたデザインだったり、それを組み合わせてみたいり、トリトマから帝国のデザインも聞き、今ではファレノプシスブランドの一角で販売する種類を超えてきたことから専門店を作る計画もしている。
デザインをいろいろと知っているクルクマは外国のこともよく知っている。
なんでも、幼いころに貿易船に謝って乗り込んでしまい、一年以上帰ってこられなかったらしい。
「湯飲みも作ったし、労うにはお酒もあるといいんだけど」
「そこまでしていただかなくても」
影は突然現れる。
「でも、もう一年一緒にいるのよ。私が勝手に用意するから適当に消費して頂戴。」
視線を外せば一瞬で消える。
返事も何もないが、お互いが気を使わない程度には付き合いがある方がいい。
裏切りを防ぐためにも一方的な雇用と防御では意味がないだろう。
ああ、お米食べたくなってきたな。
お味噌汁にお新香に、焼き魚に醤油をかけて、梅干しのふりかけ、厚焼き玉子の定食スタイルが良いな。
……。
ローマンを向かわせたばかりだ。
今の事案が落ち着いたら貿易商会を通して入手できないか探してみよう。
この日の夜、殿下から転送ボックスに手紙が直接届いた。
お父様を通して連絡が来ると思っていたため肩透かしを食らった気分だ。
手紙は形式的な挨拶などはなく、たまにもらう手紙と変わらない軽い内容だった。
要約すれば一週間領地に滞在するということだった。
側妃様が来るのはその最終日と決まったため本当に日付を合わせてきたが、一週間も滞在されるとは思わなかった。
バンダを入れて六人か。
もう既に面倒くさくなってきたな。
夕食も終わり、就寝時間も近づく中、スカミゲラの姿でリコリス家へ戻った。
「ただいま戻りました…」
「お帰りなさいませ」
実家よりも滞在時間の長いリコリス家だが、こんな時間に帰ったのは初めてだ。
今日までデンファレの変わりの執務とギルドからの応援要請で帰れないとしてあったが、これから準備も忙しくなる。
このままギルドの依頼で出払うことにして、またしばらく帰らないことにしよう。
この一年よくあったことだ。
母上も父上も何も言わない。
メイドとともに部屋に戻り、お風呂に入っている間に軽食が届いた。
すでに夕食後のためいらないのだが、こっそりポケットにしまってしまおう。
「ギルドの要請で出ている遠征がまだまだかかりそうで、交代で帰宅して出直すことになっています。明日また朝一で出たいのですが、兄上はまだ起きていますかね?」
「はい。先ほどコーヒーをお持ちいたしましたのでまだ起きておられると思いますよ。」
と、なれば、殿下からの手紙ももう着ているだろうか?
いや、ネリネは転送ボックスがないため手紙鳥でやり取りをしていたはずだ。
ネリネの部屋をノックして覗くと
「スカミゲラ、戻ったのか?」
「はい。ですが明日朝一でまた出発します。」
「そうか。私の元へ着たということは領地訪問の件だな。お前はいるのか?」
なんだ。
もう知っているのか。
バンダの話がいったいいつから相談していた内容なのかわからないため、もしかしたらデンファレが領地に戻るのに合わせて手紙を寄越したのかもしれない。
「今のところはその予定ですが、ギルドの案件が済み次第戻る予定です。」
「解った。殿下にも伝えておこう。デンファレ嬢の様子はどうだった?」
「神殿での療養は逆に疲れてしまったようで、バンダ様から訪問の話を聞いて忙しそうにしておりました。少し挨拶をしてきただけですが、お加減はもうだいぶ良さそうです。あの方もほんの数分で体調を急変させますので」
嘘である。
病弱キャラの定着がうまくいっていない現在。
このままでは高等部も在宅授業にできない。
学校にさえ行かなければヒロインにも他の攻略キャラや悪役令嬢にも会わずに済むのだから




