TS転生。誰が何と言ってもTS転生。
深夜、村外れの屋敷の地下室。
いくつもの蝋燭に照らされてもなお暗い部屋の中、老人の嗄れた、しかし力強い声だけが響く。
老人は奥に描かれた魔法陣の中央に座し、一心不乱に呪文を唱えていた。
何が行われているのか、入り口付近で見守っている少女には全く理解できないが、魔術は徐々に出来上がりつつあるらしい。老人の呪文に応えるように、魔法陣が不可思議な光を放ち始めたのだ。
知らず少女はきゅっと手を握る。出かけた声は無理矢理飲み込む。術の最中に集中を乱すような音は禁止されていた。
(なら一人でやればいいのに)
思わないでもないが、彼女は元々身の回りの世話と、この老人の魔術師人生の集大成を見届けるために雇われたのだ。
公に発表するつもりはない。ただ誰でもいい、最期の成果を見てほしいと。
(あと後始末)
少女は魔術に関して何も知らないが、この魔術は成功しても失敗しても、どちらにせよ老人は死ぬらしい。
老人の術と死の見届け。それを終えてからの後始末やら報告やら。
考えるだけで気分が憂鬱になるが、ため息はつけない。心の中で嘆息するだけだ。
と、少女があれこれ思い悩んでいるうちに、術がクライマックスを迎えるようだ。
陣の光がひときわ強まり、老人が呪文を止め両目をかっと見開いた。
強くなった光が視界を覆い、眩しさのあまり少女は目を閉じてしまった。
(あ、おじいちゃん……最後まで、見ててあげるって、約束したのに……ッ)
必死に目を開けようとするが、まぶたの裏まで射してくる光に抗えなかった。
どうしようもない悔しさと共に、光に飲まれるように何故か少女は意識を失った。
「………………」
どれくらい寝ていたのだろうか。
床に敷かれた柔らかい毛布の上で少女は目覚めた。
地下室は暗く、時間の経過は分からない。と言うか、あれ、自分は何でここで寝て――
(そうだ。昨夜、とうとうおじいちゃんが最期の魔術やって……そっか、おじいちゃん、死んじゃったんだ……)
思い出してじわっと涙が滲んだ。
確か術の最後で凄い光が出て、見届け人のハズなのに、途中で目をつぶって挙げ句気絶してしまったのだ。
情けない。
(……?)
昨夜の記憶を反芻して、ふと気付いた。
そうだ、自分は術の途中で気を失い、その場に倒れたのだ。ならば何故毛布の上に寝ていた?
「おじいちゃん!?」
反射的に老人を呼び、部屋を見渡す。
誰もいない。当たり前だ。
一瞬の期待からの転落に、がっくりと項垂れる。
再び涙がこみ上げようとした、その時。
「おお、起きたか?」
部屋の扉を『少女』が開けた。
「どどどどーいうことですか!?」
暗い色のローブを羽織った威厳漂う風貌の老人が、14、5歳の平凡な村娘に凄い勢いで詰め寄っている。
そこはかとなく事案な臭いはしつつ、客観的に見たらそんな感じ。だが当事者二人にとってはそれが大問題だった。
「何でおじいちゃんが私になってるんですか!? 何で私がおじいちゃんになってるんですか!? ヨレヨレヨボヨボ死にかけのおじいちゃんに!!!」
……である。
老人必殺の魔術をやったら、彼と少女の魂?が入れ替わっていた。
だから、つい先程まで老人の死に涙していたとは思えない罵倒が出ても仕方がないのである。
目が覚めたらおじいちゃん。何たる悲劇……喜劇? いや悲劇。
「あいや、そこまで面と向かって直球でディスられると術の失敗よりツラい」
「ジジイの傷心どうでもいいわ! それより返せ! 私のピチピチ15のボディと性別!」
一方、異性とは言え何十年も若返って目覚めたジジイは若干浮かれ気味である。大魔術に失敗したくせに。
顔と態度でそうと判る少女の激切れも当然だった。
少女に襟首掴まれガックンガックンしてる中身ジジイ、昨日に引き続いて命の危機である。
「ちょ……首、締ま……息、これ、お前さんのカラダ……」
「だーかーらー、その体を返せっつってんだよこのセクハラ糞ジジイ! ――はっ! まさか最初からこれが目的で……!?」
「そ、それは断じて違う! 信じて!」
まさかのジジイ陰謀説に少女がおののいた隙に、首締めから逃れた老人が慌てて否定する。こういう時、慌てれば慌てるほど信憑性がなくなるのは何故だろう。
案の定少女の目にも全く信頼の光はない。そして威厳ある風貌の老人なのでとても恐い。
しかし老人としては、とんでもない結果に多少浮かれてしまったとは言え、本当に予想外の事なので必死である。
「いやホントに信じて! ワシが行ったのは、転生魔術なの! 別人に生まれ変わるハズだったの!」
「で、手近な私の体と人生を乗っ取ったと……?」
「違うゥゥゥーーー! あのね、ホラ見て、お前さんに説明しようと本持って来てたから!」
全然信じてくれない少女に、震えながら老人は本を取り出し、とあるページを指し示した。
「《転生魔術》」
確かに書いてある。
説明文も、人格の交換とか乗っ取りとかではなく、記憶や能力を維持したままの生まれ変わり、とある。
魔術に必要な触媒なども、自分が手伝って集めた物とほとんど同じだ。
だが。
「………………《転性魔術》」
「あ、気付いた?」
隣のページに、間違い探しみたいな魔術が。
…………………。
「キサマ間違えやがったなーーーーッッ!!!」
「申し訳ございませんーーーーッッ!!!」
もちろん《転性魔術》と言って、魂の交換などと言う非道な魔術が開発されるわけがない。
老人の想像だが、術式は最初から老人が勘違いしていた(これに対し「老眼のせいだから。あと白内障とか。絶対呆けじゃないから」と言い訳していた)。
しかし行使に当たっては、老人は《転生魔術》をイメージしていた。魔術においてイメージは重要である。術の指向性を定め、形を整えるのに術者のイマジネーション能力は必須なのだ。
なのに、老人は術式とは異なるイメージで魔術を行った。
結果どうなるか。
普通なら失敗して終わる。《転生魔術》程ではないが、《転性魔術》も高度な術であるから、老人はやはりそれなりの反動を受け、大怪我を負って下手したら再起不能になっていたかもしれない。
しかしここで奇妙な偶然に見舞われた。
一つは、《転生》も《転性》もどちらもある意味「生まれ変わる」という性質の魔術である。
そのため実は魔法陣や触媒、呪文など魔術に必要な条件が似通っていた。
だから老人の「人生の集大成」という強い意思が、無理矢理失敗から二つの魔術を繋げてしまったと思われる。
もう一つは……少女にとっては不運としか言いようがない。
生まれ変わるのに必要な新しい命の生成ではなく、この複雑怪奇な魔術は手頃な素体で術者の願いを叶えてしまったのではないか?
「つまりキサマが最初から間違えなきゃ良かったんだろがーーーッ!」
見た目老人の渾身の右ストレートが、一見少女の可愛い顔に華麗に叩き込まれた。
なお元自分の体という躊躇いはひと欠片もない模様。
それでも一応、老人の弁明を受け入れた少女だが、体がジジイ問題は解決しない。
居間に上がってひとまずお茶を飲みながら向かい合ったものの、丸っきり不機嫌なまま老人に問う。
「で。いつ戻るんです? またあの御大層な魔術やってくれるんでしょ?」
「あ、それなんじゃけどね、ムリ」
台詞途中で老人は殴られた。
傍目から見たら老人による少女の虐待である。ヤバイ。
さっきとは反対の頬を押さえ、「ぐぬおおおぉぉぉぅ……」と少女とは思えぬ声で老人が呻く。何かもうワケわかんない。
そんな元自分の体を見下ろしながら、少女は無表情で叫んだ。
「いつ戻るんですかーーー!?」
「ちょ待って! 取り敢えず殴るスタンス止めて。話聞いて。もっと自分を大事にして。ヨレヨレジジイでも本気パンチ痛い」
「いつ戻るんですかーーー!?」
「ちょマジ恐いから! 謝るからワシの話聞いて!?」
何とか無表情で激高する少女を宥めすかし、老人は話を再開した。
「……ええとね。ワシも知らんかったんじゃが、今ワシ魔術が全く使えんのよ」
「……どういうことです?」
何となく嫌な予感がしつつも、問い返す。老人は少女の拳が動かないのを確認しつつ続けた。
「魔力がね、ほとんどないの。たぶん、今は魔力は肉体依存なんじゃろうね。お前さんの元々持ってる分しかない」
「え……と言うことは……」
「そう。魔術使うなら、お前さんがやるんじゃ」
「……嘘……」
少女は取り敢えず老人を殴るのも忘れ、茫然と呟いた。
だって無理。
働くために読み書きは習ったが、魔術とは全く無縁に生きてきた。実は偉い魔術師の老人が命懸けでやるような魔術を、何の教養もない自分がやれるわけがない。
自分はただちょっと変わり者の依頼を承けただけ。それで人生棒に振るのか。まだ恋もしてないのに、やりたいこともいっぱいあるのに、こんな老い先短い糞ジジイとして死んでいくのか。
茫然としたままポロポロ泣き出した少女に、老人は狼狽した。
「あっ……くっ、申し訳ない。ワシのくだらんミスのせいで、お前さんには本当に悪いことをしてしまった」
老人は顔を歪めて頭を下げた。
ハンカチを差し出そうとしたら、出す前に引ったくられた。
「その、魔術については諦めるな。一度行った術じゃし、ワシがしっかり指導するから、絶対元に戻してみせる」
「……ヒック……その前に絶対死ぬ。寿命で死ぬ」
「泣きながら辛辣!」
しかし少女の言うのももっともである。そもそもだからこそ、彼は第二の生を求めたのだから。
老人もこれには考え込み、やがてはたと手を打った。
そしておもむろに席を立つと、薬品庫へと向かった。
戻ってきた彼の手には一本のポーション瓶があった。
「これを飲め。若返りの秘薬じゃ」
「若返りの!? 凄い! おじいちゃん、偉そうなばっかりじゃないんですね!」
「お前さん、そんなふうにワシを見てたの……?」
少女なりに心から感心するも、老人は傷付いた。
渋い顔になりながら、少女に薬を渡す。
やらかした老人の薬とあり、少し警戒しながらも少女はそれを飲み干した。
すると。
「凄い! どんどん体が若返ってく!」
曲がっていた体の節々がすっきり伸び、濁っていた視界もクリアになった。痩せていた体に肉が戻り、しわしわの皮膚も綺麗になり、何か髪もフサフサしてきたようだ。あ、おじいちゃん昔は髪あったのねと一瞬素になった。
急いで鏡を見に行くと、そこにはやや神経質そうなインテリ青年の顔が映っていた。
男の体のままだが、ジジイと青年では雲泥の差である。また奇跡のような薬の効果に、少女のテンションも上がった。
老人もやっとホッとして、うむうむと微笑ましく眺めていた。
「あれ? でも何で? 若返りの薬があるなら、わざわざ赤ちゃんに生まれ直さなくても良かったんじゃないんですか?」
ふと思い付いて少女が訊ねると、ニコニコしていた老人が凍り付いた。
「おじいちゃん……?」
「やー……それは、その、じゃのう……」
振り返った少女に見詰められ、老人はあらぬ方を見ながら汗をかいている。ダラダラ嫌な汗をかいている。
途端にすっと少女の目が細められた。神経質そうなインテリ青年なのでとても恐い。
ゆっくり老人の元まで歩み寄り、黄金の右をスタンバイさせ、少女は微笑んだ。
「今の私は先程と違い、ピチピチの青年です。インテリひょろ長ですが、全盛期の一応男の力です。――後は言わなくても分かりますね?」
「どうしてさっきからお前さんはワシへのディスりをチョイチョイ入れてくるの?」
「いいからとっとと吐けやジジイ。」
笑みを崩さぬまま脅迫する少女。
覚悟を決め、告白するジジイ。
「――スマン! それ、二十年くらい前から乱用しすぎて、今じゃ三日くらいしか効かないんじゃ! 許せ!」
パッと頭を下げ、早口にそれだけまくし立てると、ジジイは一目散に逃げていった。
「みっ……ッこの、糞ジジイ!!」
はっと我に返り、すぐに追いかける。
「私の体返せ糞ジジイーーーーーーッ!!!」
少女と青年の体では勝負にならず、当然ジジイはソッコーで少女に捕まった。
元の自分の体に配慮することを知らない少女のその後の制裁は、老人の口からも一切語られることはなかった。
彼らは今でも延々魔術の再現を目指し、日々研鑽を積んでいるらしい。
長く続けるかスパッと短く切るかで迷った弱オチ。
好きなジャンルで書こうと思って書いたのに、こんなんなった……絶望しかない。