39話:お買い物練習に行こう!
どういう交渉をしたのか、そして対価はいかほどなのかはわからないが、先生はあの最難関のフィーネから外出許可を取って帰ってきた。なんと、二回分。晩ご飯が少し豪華になった。
彼女の気が変わらないうちにと翌日に外出し、買い食いにチャレンジ。支払うときに貨幣価値がわからず、財布の中身を全部ぶちまけてしまったのは忘れたい。
「そこからなの!? そこから教えなきゃダメなの!?」
「ひ――ソフィーちゃんの方が分かってるよ!?」
「箱入り過ぎだろう、お前」
「先生、流石にこれは……」
「教育者としても、保護者としても、あまりにも酷いです」
「そうですね……過保護にしすぎました……すいません、明澄人……」
なお、フェルクメルはツボに入ったのか爆笑していた。とりあえず臑を蹴っておいた。軽く避けられた。
金なんて今まで一度も使ったことはなく、皆知っている物として教えてくれることもなく、当然勉強したこともないのだ。わかるわけがないだろう。
そんな失敗から勉強会が開かれ、入学式の二日前に再チャレンジと相成った。
今回購入するのは、通学用の鞄である。貴重品などの小物を入れておける小さな鞄が必要らしい。
大きめの鞄を買うと思っていた明澄人は説明に首を傾げた。
「……学校には、座学の教科書とかを持っていった気がするんだけど」
虹の園に入る前、初等教育を受けていた頃の記憶を掘り起こして聞いてみる。たった五年前だが既に記憶が曖昧だ。その後に色んな事件がありすぎた所為だろうが。
するとソフィーヤとサイラス以外の三人が怪訝そうな顔をして、すぐに狐としいなが気付いた。
「お前は知らないか。最年少賢者が、四年ほど前に低コストで作れる魔法鞄を開発してさ。容量は通学用の鞄ぐらいだけど、教科書とかノートとかの持ち運びが楽になったんだよ」
「今や学生の必須アイテムだよ!」
「なお、その収益で虹の園の食堂および調理施設が一新されました」
「美紅姉ちゃんなにやってんの!!!!!」
姉が知らないところで革命を起こしていた。
当然そんなことをすれば、今まで通学用鞄を作っていた会社に大打撃だろうが、大体がカードサイズの魔法鞄を保護するパスケースや小物を入れる鞄などの生産に移行したらしい。出来なかった会社がどうなったかはお察しだ。
姉の知られざる偉業に頭を抱えたが、すぐに切り替える。
「じゃあ。小さな鞄の中身はどうしたらいいのかを教えてくれ。財布とハンカチはわかるけど、あとは何を入れておくもんなんだ?」
明澄人からすれば初等部からいきなり高等部へ進学だ。勉強はおそらくついて行けるが、それ以外の常識が欠落しているのはこの前自覚した。
故に、鞄の大きさに見当が付かず、先達に教えを請う。
「水筒と昼休みまでに食う間食を三つほど」
「……それ、自分で作れよ?」
「米は炊いててほしい」
「わかった」
狐の中身は、大食いの彼らしい中身だ。
おそらく具も必要になるだろうから、今後発注する食品の量が多くなりそうである。
明澄人自身も年相応に食べるが、昼食まで保つはずなので参考にはならない。
なお、昼食は全員弁当の予定だ。サイラスの魔法鞄で預かってもらうことになっている。
「んー、櫛と鏡ぐらいかなー」
「私は予備のヘアゴムと……冬はリップクリームが入るくらい」
「なるほど」
女子二人は正直、参考にはならないだろうと勝手に思っていたが、参考になった。
櫛と予備のヘアゴムは明澄人にも必要だ。とはいえそこまで幅を取るような物でもない。
そうなると、鞄の大きさは財布の大きさを基準に選べばよさそうか。現地で取り出しやすさなども見ながら決めることにした。
「それとは別に、武器と防具も買わないと行けないわね」
大まかな方針を決めたところで、黒の支部で仕事中の先生とフェルクメルと合流しようと歩き出したところだった。
踏み出した足を下ろして先に進んだ灰色の髪を見つめる。夏杉学園では入学後、適性試験を受けた後に適正武器を貸し出される。だが、既に自分の武器が定まっていれば試験をパスし、自前の武器を所持して良いことになっている。既に隊員である明澄人と涼香は当然、自分の武器がある。彼女が言っているのは、しいなと狐の武具のことだろうとは察した。
立ち止まった一同に、涼香が不思議そうに振り返る。
五人はそれぞれ顔を見合わせた。誰が説明する? と言外で交わされるそれが、四人分明澄人に集中する。なるほど覚えていろお前ら。
「あー。まだ隊員証は届いてないけど、俺と涼香は治安部隊の隊員なので、武器防具に関しては支給されます」
「ええ、そうね。でも、砂山君と久我さ「しいな!」……しいなさん」
台詞を遮ってのしいなからの訂正に涼香は呼び方を変える。それでも敬称が付いていることにしいなは頬を膨らませて、彼女に詰め寄って下から睨み上げた。
困ったように視線を彷徨わせ、一度覚悟を固めるように目を瞑った後、困った表情のまま涼香はしいなを見下ろす。
「しいな……ちゃん」
呼び捨てはやはり抵抗感があるのか変わらず敬称は付いたが、先ほどよりも近しい敬称だ。これでだめだろうかと副音声が聞こえそうな、恥ずかしそうにやや頬を染めた表情で窺う涼香に、しいなは嬉しそうに破顔して抱きついた。
「涼香ちゃん!」
突然の接触に驚きながらも抱き留め、笑顔のしいなにつられて涼香が少々照れくさそうにはにかんだ。
微笑ましい光景を微笑んで見守る。説明が途中ではあるが、友情を育んでいるところを邪魔するほど野暮でもない。
その二人の近くにソフィーヤが近付いて行った。
「では、私も気安く、ソフィーちゃんと!」
「ええっ!?」
「街歩きの間だけですよ。お忍びですから。ね、涼香ちゃん」
「ううっ……」
クスクスと楽しげにソフィーヤがまた無茶振りを言う。
しいなが涼香から離れて狐の隣にしれっと戻った。防波堤を失った涼香はとても困った様子から段々と顔色が悪く見えてきたので、流石に間に入る。
背に庇った涼香が驚愕よりも安堵が強い様子で見つめていることに気付かず、明澄人はソフィーヤの額をつつく。
「そこまで。慣れてないんだから、ソフィーさんでもいいでしょ」
「致し方ありませんね」
明澄人の仲裁に、ソフィーヤは自分の無理を分かっていたか、やや残念そうに大人しく引いた。しかし明澄人の横からひょこりと顔を覗かせ、胸をなで下ろしていた涼香に微笑んだ。
「でも、貴女も私の友達ですからね」
「え」
言うだけ言ってソフィーヤはひらりとサイラスの方へと戻って行った。説明は明澄人に任せると語る背中を思わず睨む。睨んでいても振り返らないし、説明する気もないだろう。
溜め息をついて困惑している涼香に振り返って向かい合った。
「裏切らない人材で、信頼している。ってことだ。姫さんは姫だからな。色々あるんだよ」
「い、一ヶ月も経っていない、のに?」
「そこは治安部隊の隊員っていう保証がある」
「あ、なるほど……」
戸惑いも分かる。幼い頃から交流のある明澄人やしいなならともかく、出会って一ヶ月も経っていない涼香がそんな深く信頼されては、戸惑いもしよう。
しかし、それを補って余りあるのが治安部隊の隊員、しかも隊長が直々に命じた護衛という肩書きだ。
更に明澄人がかなり気を許している様子であることも判断材料だろうが、わざわざ言う必要はないので黙っておく。初対面が喧嘩腰だったからか、涼香に対しては遠慮しない自分がいた。おそらく彼女が裏切ったとしても、多少ショックは受けるだろうが、容赦なく止められる。
「で、だ。狐としいなの武具について説明していいか?」
「あ、うん」
そのまま話を戻す。
涼香が頷いたので狐としいなに声を掛け、二人に武具を出させた。
狐はやる気の無いようにも見える顔のまま、訓練にも使っていた刀を握り、両手に籠手、胸元だけ護る金属製の胸当てを装着した。しいなは悪戯っぽく笑いながら、先端に緑の魔石の付いたスティックを持ち、魔力の分散を防ぐローブを羽織る。
一般人だと思っていた二人が武装した様子に涼香は声こそ上げなかったが、目を何度も瞬きをして驚いていた。その表情を見て二人は武装を解除する。武具専用の収納魔法を掛けてあるので出し入れは自由だ。もちろん魔法使用禁止の場所では呼び出せない。
「あの二人も訳ありでさ。例外的に武具を所持する許可が下りてるんだ。どういう訳かはまた後でな」
周囲を見ながら説明を終え、外では言えないと匂わせれば彼女はしっかりと理解したようで頷く。
「それなら、買う物はあなたの鞄と、ピアスね」
「ピアス?」
思わぬ物を提示されて小首を傾げた。彼女には初対面時のあれこれは制御装置だったことは伝えてある。ピアスもその一部だったと伝えたはずだが、まさか趣味だとでも思われていただろうか。
涼香は頷いて明澄人の左耳に触れる。今は何も付いていない耳たぶには、まだピアスホールが残っている。
細くて少し体温の低い指が、耳たぶを軽く揉んで去った。視線が耳たぶから明澄人の瞳に移動する。
「魔法の威力を高める道具にはピアス型があると、以前お世話になっていた白の支部で先輩に聞いたわ。
あなたは魔法使いなら、使うこともあるかもしれない。その時にまた痛い思いをするのも馬鹿らしいじゃない」
「だから、穴が閉じないように付けてろって?」
「ええ」
自分でも左耳の耳たぶを触る。穴がある場所にしこりのような感触がある。開けるときは部分的に痺れさせたので痛みはなかったが、その後の穴が安定するまでが面倒だったのを思い出した。明澄人の魔力量では威力を高める道具は必要なくとも、制御装置ならあり得る。
「……買うかー」
手間を考えると塞がない努力をした方が楽だ。了承した明澄人に涼香は微笑んで歩き始めたのでその隣に続く。後ろの皆も歩き始めた。
「あの格好は嫌いだけど、ピアスは似合っていたと思うわ」
涼香が言っている制御装置は、一見すると黒のリングピアスだった。そういった系統で探してみるかと考え、ふと思いついて隣の涼香を見る。
正直、ファッションはよく分からない。だからといって適当に選んで、よく隣にいることになるだろう彼女の顰蹙を買いたくはない。
「じゃあ、涼香が選んで。俺に似合う奴」
意外そうに彼女がこちらを見て、ニヤリと意地悪く笑った。
「あら、私のセンスを知らないのに、そういうことを言って良いのかしら?」
「少なくとも、自分が選んだピアスで怒ったりはしないだろ。適当に選んで似合ってないとか言われるくらいなら、任せた方が良い」
「……選ぶの面倒臭いからかと思ったけど、そういう理由なの。
良いわよ、選んであげる。でもちゃんと付けなさいよね」
「おう、頼んだ。あ、動き回ることを前提に選んでくれよ」
「当然ね。邪魔にならないようにするなら、飾りのないシンプルなもので……色の好みはある?」
真面目に考え出した涼香の問いに、少し考える。色にこだわりは特にない。
何でも良いと言おうとして、こちらを見たルビーのような明るい赤の瞳と目が合う。その目に掛かる灰色が、日光を反射して白銀にも見えた。
「……赤、と。銀」
目に映った色をそのまま答えてしまったが、涼香は気にした様子もなく受け取った。
「装飾品としては定番だけど……遠慮してるんじゃないでしょうね?」
「お前相手に俺が遠慮するとお思いで?」
「ないわね。じゃあ、その方向で探すわ」
ジトッと睨み付けられたが、肩をすくめて誤魔化す。これで目に映った物をそのまま言っただけなどと正直に答えたら、もっと怒りそうだ。
あっさりと了承した涼香に内心で安堵する。自分でも何故、彼女の色を言ってしまったのかわからないので焦った。
「……ソフィーちゃん」
「……見守りましょう」
後ろで見ていたしいなとソフィーヤが黄色い声を上げそうになった自分を抑えていたことを、先を歩く明澄人と涼香は気付いていない。
サイラスは弟弟子の青春にニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、狐は訓練の様子を思い出して、期待するだけ無駄だと思うと考えたが口を閉ざした。
恋バナは女子の栄養だ。関わると碌でもないのは知っている。