38話:買い出し許可ください
「買い物経験が、ない」
昼食を食べながら聞いた話に、フェルクメルは片手で目元を隠した。
考えてみれば当たり前のことだ。美紅や氷翠斗は一人で買い物に行ける年齢で保護されたし、その後は二人とも学校へと通えていた。だから友達とちょっとした買い物程度の経験はあるだろう。
しかし、明澄人はその類い稀なる才能から、十歳からずっと虹の園に押し込められている。
金を使える場所はこのカフェぐらいだが、ここで食べるときは必ずフェルクメルが同席していた。
服や日用品は親であるフィーネが買っていたし、欲しがった物(ほとんどが調理器具だが)も裕紀が買いに行っている。
今後、明澄人が外に出ても誰かしら隊員が護衛に付くのは決定事項で、買い物をするときは隊員が代行する予定ではあったが。
「買い食いは、学校生活において重要やな」
フェルクメルにも経験がある。放課後、帰りながら夕食までの繋ぎとして買ったコロッケは、何の変哲も無いコロッケなのにやけに美味しく感じたものだ。
好きな人が出来たときに、誕生日プレゼントを必死に選んだこともあった。今思うともっと良い物があっただろうと当時の自分にツッコミを入れたくなるが、それでも考えに考えて、なけなしの小遣いで買ったプレゼントを受け取って貰えたときの喜びは、今でも言葉に出来ない。
そういう甘酸っぱい青春を過ごすためにも、買い物経験は必須である。
「よっしゃわかった。一週間――五日――いや、三日! 色んなこと調整するから、三日待て。買い物に行けるようにしてやる」
「時間かかるなら一週間ぐらい待てるけど」
「いいや! 何とかする!!」
入学式までの時間を逆算すると、一週間では一回程度しか外に出られないだろう。せめて二回は経験をさせておきたい。ついでにソフィーヤも外出して街の様子に慣れて欲しい。
その際の警備や行く箇所の選定、諸々からの許可を貰うための手続き、その書類の数。膨大なことに頭を巡らせながら、フェルクメルは確実に明澄人とソフィーヤにしか出来ない仕事を託す。
「だからお前らは、フィーネさんとサイラスを説得しろ」
「げっ」
「サイラスを、ですか……」
「フェルさん! それ最難関じゃん!!」
「そこさえ何とかしてくれりゃ、あとは隊長と一緒に何とかするから!!」
声を上げたのは狐、ソフィーヤ、しいなだ。明澄人は確かに親の許可は必要だよなと納得している。涼香は何故フィーネ? と首を傾げたが、実はあっちの二人が両親なのだと説明したら驚かれた。
明澄人の母親、フィーネはそれはもう過保護だ。彼が外出できない理由の半分は彼女だと言っても良い。
虹の園から基地に向かう道すら出て欲しくないが、内部通路は使えないからと、敷地の外にまで結界の範囲を広めるよう手続きをしたというのだから、過保護っぷりがよくわかるだろう。いっそ軟禁だ。
明澄人からすればフェルクメルや隊長が一緒ならば外出は出来ているし、不便に感じたこともないので気にしたこともなかった。
「母さんはちゃんと理由を話せば許可を出してくれると思うけど。
問題はサイ兄だなぁ……」
「国の城下町ですら、護衛騎士付きじゃないと認めてくれないですからね……」
ソフィーヤは一国の姫という立場もある。サイラスが非常に気を張るのも無理はない。ましてやここは国外である。
どうしたものかと悩ませる中、一人、涼香が手を上げた。その手が向かいに座る、明澄人の頭上に向けられる。
「あの。それなら隊長と一緒に社会見学という形ならどうですか?」
「おや? 僕、呼ばれました?」
驚いて振り返れば、そこに居たのは白髪によれた白ローブの、いつもの先生の姿があった。
不思議そうに首を傾げていた彼は、近くに居た精霊から話を聞いているのだろう。空中に向けて何度か頷き、そして驚愕の顔で明澄人を見た後、天を仰いだ。
「買い食いは青春……」
ぼそりと呟いた先生は、決意した顔で一同を見回し、大きく頷いてみせる。
「それなら三日も要らないですよ。今から僕、本部に行ってくるんで、そこで許可貰ってきます」
いつもは虹の園にいる先生が珍しく支部に顔を出したのは、フェルクメルに本部行きのことを伝えるためだったらしい。
「明澄人も新しい調理器具が欲しいと言っていましたし、ちょうど良い。虹の園の必要物資の調達練習、とでも銘打って、責任者の僕が一緒に行く。姫様は街の視察で、僕が護衛。
それならフィーネさんもサイラスも納得するでしょう」
事も無げに言ってみせる先生は、いつになく頼もしく見えた。
いつも頼りにならない所ばかり見ているが、この人は確かに隊長で、やるときはやるのだ。
では行ってきます~。晩ご飯はハンバーグがいいです~。と先生は軽い調子で本部に向かった。
これ以上は明澄人たちに出来ることはない。昼食も終わったので解散となり、フェルクメルは仕事に戻った。明澄人たちもサイラスの説得のために虹の園に戻る。
子供たちのおやつを用意していた彼は、事情を聞くと渋面になった。
作業の手も止まってしまったので明澄人がそっと引き継ぐと、サイラスは隅の椅子に座って考え込んだ。相当に悩んでいる。
「…………先生がつくなら、いいだろう」
「サイラスの許可が下りました!!」
「第一関門突破ーー!!」
渋面になってはいるが、文句は出ないようだ。従者からの許可にソフィーヤとしいなが手を合わせて小さく跳び上がる。
二人のはしゃぎっぷりに、サイラスは息を漏らして仕方がないと言わんばかりに口角を上げた。ここまではしゃがれては、反対するのも野暮だと考えたのだろう。
「……サイラスさんって、ソフィーヤ様のこと」
「言うな。言わないでくれ涼香」
その瞳がとてつもなく甘いなんて気づきたくないので、明澄人は涼香を止める。
「それよりも、ありがとな。先生を巻き込んでくれて」
ここは露骨に話題変換をしよう。
感謝を述べると涼香は意外そうに目を丸くしたのち、笑った。
「『親』を頼れと言ったのは、あなたでしょ」
その言葉に今度は明澄人が目を丸くし、笑う。
「その通りだ」
本部に着いた裕紀は、珍しく厳しい顔をしてフィーネの執務室へと歩いていた。
すれ違った隊員達が振り返って二度見するほどに珍しい顔である。ここにフェルクメルが居れば表情を整えろとツッコミを入れたことだろう。
ノックの返事も待たずに扉を開けた裕紀にフィーネは驚き、すぐに表情を隊長のそれへと切り替える。部屋に居た部下達もよほどの自体が起きたのだと身構えた。
「あなたがそこまで慌てる事態なんて、よっぽどのこと?」
「はい。――人払いを」
「わかったわ」
裕紀の要請を受けてフィーネは部下達に視線を向ける。彼女達はすぐさま退室していった。
誰も居なくなった執務室に、裕紀は念入りに防音の魔法を掛ける。
「そこまでするの。一体何があるというのかしら?」
「フィーネさん。いえ――母さん」
呼び方を変えた裕紀にフィーネが眉を寄せる。
彼がこの呼び方をするときは、家族としての頼み事があるときだ。そしてその頼み事は、フィーネにとってよろしくないことが多い。
それでも真剣な様子に話を続けるように視線で促す。
夫に似た緑の瞳は一度伏せられ、懇願する光を宿して彼女を見た。
「明澄人と街に買い出しに行って良い?」
「――は?」
反応は一拍遅れた。
脳がじわりじわりと言葉を理解し、完全に理解したところで爆発する。
「ダメッ!!」
「ですよねっ!!」
裕紀の予想通りの反応である。
「学園に通うのだって怖いのに、街へ買い出しなんてダメに決まっているでしょう!? 何を考えているの!」
「わかるんだけど、学園に通うからこそ、買い物経験が一切無いのは問題なんだよ。
あいつ、あの歳になっても財布すら持っていないし、金を触ったこともないんだ。同級生からその辺りを突っ込まれて、からかわれるのも可哀想だろう?」
「それは……そうだけど! ソフィーヤ様も経験がないのだから明澄人だけ孤立しないでしょう!」
「姫様は一国の姫だからね!? 買い物経験があった方がダメなお人なのは母さんも分かってるでしょ!!」
「ソフィーヤ様の側に居て、狐君やしいなちゃんに買ってもらえば問題は無い!」
「護衛が護衛対象に買い物をさせるな!」
「とにかく!! だーーーめーーー!!!!!」
フィーネからの全力の拒否に裕紀は溜め息をつく。
どう切り出したところで拒否はされるからと、最短で願ってみたがやはりダメだった。
だからといって遠回しに言ったところで拒否はされるのだ。その未来が彼には見えていた。
フィーネの心配も分からなくもない。何せ彼女は三度、娘と息子を失っている。どちらも自分の手の届かないところで、だ。
「俺とフェルが護衛に付くし、なんなら父さんからユートを返してもらって連れて行く。この防衛陣でも不安?」
だから、安心できるように提案をする。
裕紀とフェルクメルの正体をフィーネは知っている。実力もまた分かっている。
そしてユートとは結城家に代々伝わる刀の精霊だ。今は陸郎が持っているが、本来の主は裕紀である。
最強と言えるメンバーにフィーネは押し黙った。唇を尖らせてそっぽを向く。
「……あなたのお嫁さんが見つかったと連絡が来ても、そちらに飛んでいかない?」
「子供たちを全員帰してから行く」
むすっとした声音は確認と自分を納得させようとする響きがあった。
なので裕紀は素直に答える。どのみち、本当にその連絡があったとして、子供たちを放置して飛ぼうものなら妻に斬り倒される。
「……私もついていきたい」
「如月さんが緊張するからやめて」
願望は苦笑と共に却下する。フィーネが同行したら涼香の胃に穴が開きそうだ。
「……あなたの作ったケーキで許す」
「俺の? 明澄人じゃなく?」
意外な要望に目を丸くする。
するとフィーネはさらに口を尖らせた。あひるの口のような何とも愉快な顔になっている。
「息子のお菓子を食べたことないの、私だけよ?」
「それは……」
それはフィーネがなかなか家に帰ってこなかったからだが、そのツッコミを入れるのは野暮だろう。
あの頃は、いつだって作れると思っていた。こんな歪な関係になるなんて思いもしていなかった。
フィーネの分と残していたケーキを食べた美紅。ちょうど帰ってきて美紅の頬を伸ばして叱るフィーネ。苦笑しながらフィーネを宥める陸郎。おろおろとしている明澄人。そして、また今度焼くからさっさと帰ってこいと言う自分。
いつかの日を思い出して小さく息を吐く。
「とっておきを作るよ」
幸いなことに、あの日作ったケーキのレシピは、まだ覚えている。