37話:疑似精霊召喚
疑似精霊召喚。
それは美紅と明澄人が生み出した新しい魔術の形だ。
精霊使いでは無い明澄人では、結城家が代々継いでいる精霊剣術を扱うことが出来ない。しかし、何としても一度はやってみたいと考え、思いついたのが、擬似的に精霊のような存在を造る術だった。
結果としては、失敗だった。
精霊のような存在を造ることは出来たが、魔力の多い明澄人が召喚してもギリギリ中級精霊に分類できる程度の強さしかなかった。
そもそも結城流精霊剣術は、精霊の中でも特殊な属性《剣》を司る精霊の力を借りた剣術だ。彼らは長年大事に扱われ続けた武器が意識を持ち、それが更に長い年月を経て精霊へと昇格した存在。その力は上位精霊に分類されている。人間が再現できる存在ではない。
再現できてしまったら、それはそれで禁術として封じられていただろうが。
なにせ魔力と材料さえ用意できれば、詠唱と想像力だけで上位精霊並の力を誰もが使えることになる。
この術は、特殊な紙に特殊なインクで召喚したい形を描いた上で、詠唱と想像力だけあれば発動するのだ。召喚したい形は絵の方が安定はするが、術者がソレと想像できてしまえばただの丸でも強引に召喚できる。
材料も、総飛国にはない代物だが夢幻世界に伝手があれば入手は可能だ。
さらに悪いことに、想像する形が一緒ならば描いた本人以外でも召喚できてしまう。
危険極まりない代物だが、魔力を譲渡や増幅支援しても威力は増すこと無く、どれだけ高い魔力を有する者が使っても中級を超えなかったために、明澄人専用の魔術として認められた。
「――という魔術だ」
「へぇ……」
採寸の待ち時間。廊下に並べられた椅子に座って、明澄人は肩に止まる隼について涼香に説明していた。
この紙が。と明澄人の説明を聞いた涼香は、手渡された長方形の紙と隼を不思議そうに見比べる。
薄い紙だが繊維が絡み合っていて少々硬い。絵は絵筆で描かれているからか、ところどころ掠れているところがある。
いま彼女が持っている紙には駆ける犬の絵が描かれていた。
明澄人が指を鳴らすと隼が少し輝き、ひらりと紙に戻って明澄人の手に収まる。
「そっちは犬神。こっちは隼。あと八咫烏と大蛇がいる」
「やたがらすとおろち?」
「ただのカラスと蛇だ」
「八咫烏と大蛇!」
聞いたことのない単語に首を傾げた涼香へ狐が笑いながら説明する。それを明澄人は声を荒らげて訂正した。
ソフィーヤ経由で知った地球のとある国の伝承から造った疑似精霊だ。狐に見せた時は想像力が足りずにカラスと蛇になったが、今ならちゃんと八咫烏のように三本の足があるし、大蛇もかなり大きくできる。
「想像力の問題なんだよ。想像できれば形は変えられるんだ」
その証拠に明澄人は隼の呪文を唱え、涼香の膝に紙を乗せる。紙は淡い光を放ち、緑色の丸い雛鳥が現れた。
「――!!」
「おー。ちっちゃ」
「ちっちゃいけど下級精霊ぐらいの力はあるぞ」
「へー」
拳大の小さな雛だが、明澄人の魔力で造ったので火力はある。そして精霊なので見た目と裏腹に機動力もある。
小さな羽を一回羽ばたかせただけで、雛は明澄人の肩へと留まった。
その挙動を涼香が瞬き一つせずに見つめている。口を引き結んで、目を見開いて。手に持った犬神の紙が指の力で折れていた。
「……如月?」
「え、あ、ご、ごめんなさい!」
明澄人が声を掛けると我に返り、手に持った紙の状態に気づくと折れた部分を慌てて擦って直す。
そうしながらもチラチラと雛を気にする様子に、明澄人は一つ思い至って紙を返してもらいながら雛を指差した。
「……触ってみる?」
「!!」
驚愕の声を出さないためだろう、咄嗟に口を両手で押さえた涼香が目を見開いて明澄人を見る。
目が良いのかと訊いてくるので頷いて、雛を彼女の目の前まで移動させる。
両手を差し出すのでそこに着地させると、彼女は感極まった様子で口を引き結んだ。嬉しいが声を出すまいと必死なようだ。
「軽い……」
「まぁ、精霊なので」
「……ふわふわ……」
「そういう風に想像したので」
「……ぬいぐるみみたい……」
「……こういうの好きなら、先生が得意だから作ってもらうか?」
「たっ……!?」
隊長が!? と言おうとしたのだろう。だがここが支部で、中では採寸中ということもあり、涼香は声を咄嗟に抑えた。
驚くのも無理はない。隊長でなくとも、あの見た目で裁縫が得意など、誰もが驚くと思う。生活能力は皆無なくせに、裁縫の腕だけは高いのだ。子供たちの服やカーテンなどの修繕をするために覚えたと本人は言っていた。
「最初は仕方なく覚えたけど、楽しくなって色々作るようになったんだと」
「……でも、お忙しいでしょう」
「材料だけ選んで渡しとけば、仕事の間に作ってくれるよ。材料選びだけは自分でな。そこからやらせると仕事しねぇからあの人」
「…………そんなこといっても」
雛を親指で優しく撫でながら悩む様子に、明澄人は苦笑する。
確かに一隊員が隊長にお願いするなど出来ない。と生真面目な涼香なら思うだろう。
だが、ここはしっかりと認識してもらわなければならない。
「きさ――」
名字で呼ぼうとして明澄人は頭を振り、改めて呼びかける。
「涼香」
またも驚愕の表情で明澄人を見る涼香に、彼は笑う。
「昨日、言っただろ。あんたは俺の家族だ。俺の家族って事は、先生――隊長はあんたの親。
子が親を頼って何が悪い?」
確かに先生は隊長だが、虹の園に住む子供たちにとっては親代わり。一緒に住んでいるのに年長者の涼香に遠慮をされると、下の子供たちも遠慮し始めるかもしれない。それは困る。
「もちろん、支部で隊員として過ごすときはちゃんと隊長扱いしなきゃいけないけど、虹の園にいるときは親代わりとして頼っていいんだよ。むしろ積極的に頼れ。あんたが遠慮すると他の子も遠慮し始めるかもしれない」
「…………そういうものなの?」
「そういうもんなの」
断言してやれば、納得は出来ていない様子だが理解はしたのか涼香は頷いた。
「狐も頼れ……いや、お前の場合、先にしいなが動くか」
「と思う」
ついでと狐にも注意しておこうとしたが、彼が先生を頼る事態になったら、近くに居るしいなが精霊を通して先生を呼び出すだろう。狐もそれがわかっていたのか同意した。
そうこうしているうちに、先に採寸していたソフィーヤ達が出てきて、入れ替わりに涼香が入って行く。
隼を返すときとても名残惜しそうだったので、明澄人は彼女が遠慮しようとも絶対にぬいぐるみを作ってもらおうと決意した。
採寸を終えると予想通りお昼の時間だった。
今から虹の園に戻って作るのは面倒臭い。ということで、一階のカフェ兼隊員食堂へと足を運ぶ。
もう少しでカフェというところで、涼香が小さく声を上げた。案内をしていた明澄人は足を止めて振り返る。
「どした?」
「……お財布忘れたわ」
「あ、俺も」
「……私もだー」
涼香の答えに狐としいなもポケットを触り、持っていないことに気づく。取りに戻らなきゃと肩を落とす彼女たちに、明澄人とソフィーヤは顔を見合わせた。
お財布。お金を入れるやつ。それくらいの知識はあるが、何故ここで必要なのか。
「……そうか。普通は金を払わなきゃだよな」
「そうでした。サイラスを呼ばないと」
姫であるソフィーヤは当然として、十歳からずっと虹の園で暮らしてきた明澄人にも買い物経験は無い。
お小遣いとして貰っていたのでお金はわかるが、明澄人にとってそれは貯金箱に入れて貯めておくものだった。
更に言えば。
「……大人なしの外食、初めてだ」
「私も、自分で選んで良い食事は初めてです……!」
明澄人とソフィーヤの顔が感動で輝く。
「姫さんはお姫様だから分かるが……」
「そっか! 治安部隊隊長の息子! 誘拐人質身代金!」
「なんでラップ調」
「えへへ、なんかノっちゃった」
「なるほどね。箱入り娘ならぬ箱入り息子だったの」
「……反論の余地もねぇ」
思わぬところで箱入りが判明した。
明澄人だって外食の経験が無いわけではない。ただ大体ここか本部のカフェだし、必ずフェルクメルが一緒だった。会計は彼がしていたので明澄人はやったことがない。
「その分じゃ、お財布自体持っていないんじゃない?」
「……持ってません」
「お前、ちょっと先生に交渉して、小物買いに行く許可貰え。買い物の練習だ」
「そうね。学園の購買部や学食を利用することもあるでしょうし、練習しておきましょう」
「あ、ちょうどいいところに! フェルさーん!」
方針を決めたところで、向こう側からやってくるフェルクメルを見つけてしいなが手を振る。
面倒事の気配を感じたのか露骨に顔をしかめたが、彼は一緒に歩いていた隊員たちに断りを入れて、小走りで駆けてきてくれた。
「なんだよ。採寸終わったなら帰れや」
「帰っても昼飯無いんだ」
「奢って! フェルさん!」
「はぁ!? 財布は!?」
「突然だったから忘れた」
「お昼には間に合うかなって思ったんだもん」
「あー、今ここにおるってことはそうか。だぁぁ……もー、しゃーねーなー」
主題はそっちじゃないはずだが、狐としいながしれっと奢らせる流れに持っていったので明澄人は口を噤んだ。
ガシガシと頭を掻いて先頭を歩き出すフェルクメルに全員が続く。
「あ、一人1500テナンまでな」
「え。」
フェルクメルの刺した釘に、大食いの狐が固まった。
「お前大食いやったん思い出したわ」
「全員合わせて合計7500テナン以内ならどうですか!」
「不公平やろ。あかん。足りんかったら帰ってからなんか作れ」
「明澄人! 頼む! 何かおやつを!」
「ええー……手伝うならいいけど」
「手伝う! ありがとう!!」
みたいな会話があったかもしれない。