雛たちは未だ眠る
その箱庭は、温かな光に包まれていた。
守られた世界の中、雛たちは眠りにつく。
いつかは出ていく箱庭だと知りつつも、雛たちは夢を見る。
まだもう少し、ここにいたいと夢に見る。
目覚めのベルは、いつだって唐突に鳴り響くのに。
ひっそりと静まり返った深夜。
ふいに眼を覚ました彼女は、妙に意識が覚醒していることを不思議に思いつつもベッドに寝転がったまま時計を確認する。
最愛の恋人との営みを終えて眠ってから、一時間も経っていない。常であればまだまだ眠りの世界から戻ってきていない時間帯だ。
目を閉じてみても、体はだるさを訴えているのに眠気は来ない。
(珍しいな……)
息を吐き、眠ることは諦めて身を起こした。
日中は暑さで溶けそうになるくらいなのに、日が落ちるとまだまだ肌寒い。ベッド脇の椅子にかけたカーディガンを羽織って、彼女は恋人を起こさないようにゆっくりとベッドを降りた。
明日は仕事であることを考えると寝酒は避けたかったが、このままでは眠れそうにない。
静かにドアを開けリビングに出た彼女は、カーテンが薄く開いていることに気付いた。今宵は満月なのか、細い隙間なのにかなり明るく部屋を照らしている。
その光の白さに、息を飲んだ。
窓までの短い距離を駆け、カーテンを勢い良く開く。
空に浮かぶそれを確認した彼女はしばし信じられない思いで見上げ、
「――クロス!」
踵を返して恋人を起こしに行った。
同時刻。
自分の所有する道場の屋根の上。
男は月に一回のお楽しみ、満月を見上げての月見酒に興じていた。
ここ数カ月、雨のために中止になっていたが、今宵は薄く雲が残るくらいで月見にはちょうどいい。
徳利から最後の一滴をお猪口に移していると、手元が陰る。見上げると月が雲に隠れていた。
「――っ!?」
雲が去り、ゆっくりと現れたそれを、男は眩しそうに手をかざして見上げる。
先ほどまでは通常の月であったのに、雲に隠れたほんの数秒で色が変わった。
「……月見酒には明るすぎるなぁ」
煌々と街を照らす光は、真昼ほどとは言わないがかなり明るい。
飄々とした口調で男は呟いたが、表情は硬い。
「しかも酒が不味くなりやがる」
お猪口に残った分を呷った彼は、不味そうに顔をしかめて月を睨みつけた。
また月が雲に隠れ、元の月に戻っていったのを確認して、男は重力を感じさせない動きで屋根から飛び降りた。
その夜、一分足らずの短い時間だけ現れた、鋼色の月。
最高位の魔術師のみが見ることができる、幻の月。
それは、箱庭を壊す予兆。
箱庭に守られた雛たちは、未だ夢の中。
目覚めのベルが鳴るまで、あと少し。