第6話 「問われた覚悟」
今回は五千字と少なめになっております。
ザザムさんは楽しそうに微笑むと、足を組み替えて体を乗り出す。
「紡呪とは、呪いとも呪術とも全く違うものじゃ。呪いや呪術は代償や制約といったものを払い、攻撃や防御、回復などの力を発現させるものじゃ。しかし、紡呪というものはそうではない。これは代償や制約といったものがなく、常に肉体や精神、呪術や呪いに影響を与える特殊な力のことを言う。言うなれば、魔法師の『加護』みたいなものじゃな」
『加護』
魔法に愛された者が稀に持つ特殊な力。これは常時発動型が多く、肉体や魔法に影響を与える。魔法とは違い、魔素を消費することはなく、特定の属性魔法を使う際にその威力を上げるものなどがある。加護と呼ばれるものはとても珍しい反面、効果は絶大で、これを持っている魔法師は大半がゴールドランク以上に所属している。
故に、魔法師にとって加護を得ることは一つの目標であり夢だ。
僕も憧れていた。
もし自分に加護が授かるならどんな力だろうと、寝ないで妄想していたこともある。
それぐらい加護というものは強力で、魅力的だった。
しかし、憧れの加護に似た紡呪にワクワクしている僕を見て、ザザムさんは申し訳なさそうに苦笑する。
「期待させてすまんが、紡呪はハル君が想像しているよりも遥かに厄介なものじゃよ」
「厄介なもの?」
「加護とは違い、紡呪もまた、成長する。それは、先に述べた呪術の比ではない。紡呪は、その者の歩んだ人生を紡いで加護に変える力であり、その保有者をも変革させる力なのじゃ。保有者の人生そのものと言っても過言ではない。故に、その者の本質が試される。自分の信念に従って行動してきた者はその様に紡呪も成長し、反対に自分の指針を失った者は紡呪も歪んでいく」
自分が歪めば紡呪も歪む。
自分の本質が試されるという意味がよく分かる。
きっと今の僕に紡呪があれば、盛大に歪んでいたに違いない。
僕に自分自身と向き合う覚悟はあるのだろうか。
自分がどうしたいのかも分からないような僕に……。
そんな意味のないことを考えている間にも、話は続く。
「そしてこの紡呪の性質が、最初に話した内容につながる」
「呪術師になれば、二度と元には戻れないっていうあれですか?」
ザザムさんは静かに頷く。
「呪術師とは、紡呪に呪術、そしてそれらを宿す呪核の三つを持っている者を示す。そして紡呪とは、保有者を根本的に変革させる力であり、それに伴って呪術も形を変える。つまり、呪術師とは常に変革している者のことであり、失ったものが取り戻せないのは世の理じゃ」
確かにその通りだ。一度失ったものは戻らない。僕の親友であるカムルが二度と戻ってこないのと同じように。
「……ちなみに、呪核を取り除くことは出来ないんですか?」
僕の疑問に、ザザムさんはかぶりを振る。
「絶対に無理じゃな。これには魔回路が深くかかわっているからのう」
魔回路。
この世の人間ならば誰もが持っている魔素を通す神経のようなもの。ここを通って魔素は体中をめぐり、魔法を発現させる。強力な魔法を使うためには、大量の魔素を持っていることのほかに、それらを通せるよう魔回路が丈夫でなければならいと言われている。
だが、呪術は魔素を使わない。魔回路は関係ないはずだ。
「呪核とは、いわば異物じゃ。生まれ持って授かるものでも、ましてや自分で作り出すことも出来ない。当然、そんなものがいきなり体の中に入ってくれば拒否反応を起こす。そこで利用するのが、魔回路じゃ。魔回路と呪核を融合させ、体が拒否反応を起こさないようにしているのじゃよ」
ザザムさんのその説明で納得がいく。
師匠の呪核は胸と胸の間にあった。魔回路は神経のように全身に張り巡らされているが、それら全てが交錯している場所、そこが胸の間と言われている。
「つまり、呪核と魔回路は完全に融合してしまっている。それを無理やり引きはがそうとすれば、その者は確実に死んでしまうじゃろう」
魔回路を持っていない人間はいない。それどころか、魔回路が傷ついただけで命にかかわるとまで言われている。これでは事実上、呪術師になることは出来ても、戻ることは出来ない。
呪術師になれば強くなることが出来る。だがそれがどんなに辛いものでも、二度と元に戻ることは出来ない。
では、僕はどうしたいのか。
正直、ザザムさんの話を聞いて、二度と戻れないとしても呪術師になりたいと思った。
僕はどうしても、セレナさんのように強くなりたい。
大切な人を守れるほどに。
自分の信念を貫けるほどに。
僕はもう二度と、自分が弱いせいで大切な人を失いたくなかった。
奪われたくなかった。
でもそう思う一方で、自分が奪う側になるのが怖い。
強くなりたいという思いだけで、生き物を殺すのが怖い。
呪術師になるということは、あのブラックベアーの親子のような魔獣も殺さなければならいということだ。平和に暮らしている魔獣を殺すということだ。
――本当に、僕にそんなことが出来るのだろうか。今でさえ迷っているのに、悩んでいるのに、彼らが目の前に現れたとき、僕は迷わず殺すことが出来るのだろうか……。
そう考えていた時、僕はあることを思いついた。
なぜ今まで思いつかなかったのか。
そう思えるほど、単純なこと。
僕はもうこれしかないと覚悟を決める。
「さて、話すことは全て話した。本題に入ろうかのう」
「はい!!」
僕は真っ直ぐにザザムさんを見つめたまま、返事をする。
この案なら行けるはずだ。魔獣を殺さず、呪術師になる方法。
簡単なことだ。
それは、魔獣を殺さないこと。
呪術師が呪術と紡呪以外で呪いを手に入れようと思うと、古種と契約するか魔獣や魔怪を殺すしかない。また、魔獣を殺さなければ、呪いは成長しない。でも、僕は殺したくない。何もしていない魔獣を殺すなど、僕にはできない。
ではどうすればいいのか。
簡単な話だ。殺さなければいい。
魔獣を殺して手に入れることが出来る呪詛は最初から諦める。そして、強くなるために魔獣を殺すのではなく、人を襲った魔獣を中心に倒せばいいのだ。
そうすれば、遅くはなるが確実に呪術を成長させることができ、なおかつ何もしていない魔獣は殺さなくて済む。
これなら、全ての問題を解決することが出来る。
それは逃げだと言われるかもしれない。
臆病だと思われるかもしれない。
それでも、僕にはこの方法しかない。
危険を冒すことになるだろう。
なんせしばらくの間は呪詛を使うことは出来ず、呪術や呪いを成長させることが出来ないまま、強い魔獣と戦うことになるのだから。
でも、僕はどんな犠牲を払ってでも、強くなってみせる。
例えその犠牲が、自分自身だとしても。
「試練を聞く覚悟は決まったかのう?」
「はい! もう大丈夫です」
僕は新たな覚悟を抱き、はっきりとそう返事をする。
しかし、ザザムさんは僕の返事を聞き一瞬怪訝な表情を浮かべると、僕の顔を真っ直ぐに見つめたまま黙ってしまう。
茶色の瞳が僕の栗色の瞳を覗き込む。
それは全てを見透かされているのではと錯覚してしまうような、そんな瞳だった。
僕はその突然の沈黙にただただ困惑する。
「ど、どうかしたんですか……?」
「……いや、何でもない。呪核の試練のことだったのう」
「は、はい……」
ザザムさんは戸惑う僕には目もくれず立ち上がると、細かい彫刻が施してあるタンスから布に包まれえた何かを取り出し、それを僕に差し出してくる。
「これは?」
「開けてみれば分かる」
僕は訳が分からないまま、言われた通りに渡された包みを開ける。
そこにあったのは、使い古され錆びついた一本の抜き身のナイフだった。
「……?」
「それは長尾族に昔から伝わるナイフじゃ。今は見た通り錆びついとるがの。――これでソフィアを殺せ」
ザザムさんは表情を変えず、そう言い放った。
「えっ……。あ、あの、そ、それはどういう意味ですか……?」
言っている意味が分からず、僕は目の前に立っているザザムさんに聞き返す。
しかし彼はなおも表情を変えずに、さも当然といった様子で言葉を放つ。
「そのまんまの意味じゃよ。君の師匠、ソフィアをそのナイフで殺すこと。それがハル君、君が呪核を授かるための試練じゃ」
えっ…………。
僕が、師匠を殺す……?
この人は何を言っているんだ?
全く意味が分からない。
「ザ、ザザムさん、冗談ですよね? 師匠は僕を助けてくれたんですよ! そんな人を殺せるわけないじゃないですか!! それに、ザザムさんは師匠の師匠なんですよね? 弟子を殺されてもいいんですか!?」
僕の叫びに彼は眉一つ動かさず、代わりに大きなため息を吐く。
「ハル君、君は呪術師を誤解しておる。呪術師の師弟関係は、普通のそれとは違う。そこに愛情はない。あるのは、ただ強者を育てるという義務のみ。故に、我弟子だろうとも、それ以上に強くなる見込みのある者が現れたときは、平然と見捨てる。そうでなければならない」
師弟の間に愛情がないなんて嘘だ。
師匠とザザムさんは喧嘩するが、ちゃんとお互いにお互いを信頼してる。
それに、師匠だって僕に優しくしてくれた。
あれが全て嘘だなんて思えない。
「ザザムさんはあれほど師匠と仲がいいじゃないですか。――あ、あれも嘘だって言うんですか?」
「嘘ではない。わしも別にソフィアが嫌いなわけではないからのう。だが、弟子という視点ではダメじゃ。見込みがない。その点、君には見込みがある。将来的にはソフィアよりも強くなるじゃろう。だからわしは、ソフィアよりも君を取る。――安心せい。ソフィアがいなくなっても、わしが面倒を見る」
僕が将来的に師匠よりも強くなる?
師匠がいなくなってもザザムさんが面倒を見てくれる。
僕は、そんなことを心配してるんじゃない!!
「……し、師匠。師匠も何とか言ってください。こんなの間違ってるって思いますよね……?」
僕はすがるような気持ちで師匠を見るが、彼女はザザムさんから視線を動かさない。
「ハル、昨日私が言ったことを覚えているか?」
「昨日……?」
「そうだ。『私は私に出来ることなら全力でハルを助ける』そう言った。あの言葉に嘘はない。例えそれで、私が死ぬことになっても、私はハルが決めたことに従う」
どうして……。
どうして、そんな簡単に諦められるんだ。
「こんなの……。こんなの間違ってる……」
「では逆に聞くが、君はどうしたいんじゃ? 強くなりたいのではなかったのか? 正直に言うが、君が強くなる方法は呪術師になるしか残されておらんのだぞ? 魔法も使えず、剣術も体術もダメ。残されたたった一つの方法が呪術師になるということなんじゃ。君も分かっているはずじゃろ」
強くなりたい。
その願いをかなえる唯一の方法が、呪術師になることだということは分かっている。
でも……。
それでも……、僕は師匠を殺したくない。
「君は、我儘じゃな」
ザザムさんのその言葉が、僕の胸に突き刺さる。
「強くなりたい。でも魔獣は殺したくない。その上、呪術師にはなりたいが、呪核の試練はやりたくない。これではまるで子供の我儘じゃ」
「別に試練をやりたくないわけでは……」
「一緒じゃよ。例え試練がソフィアを殺すというものじゃなくても、君は何かしら理由を見つけてはやりたくないと言ったはずじゃ」
「…………」
ザザムさんの言葉に、僕は何も言い返せない。
その通りだ。
きっと、僕ならどんな試練でも言い訳を考えていただろう。
今までもそうだった。
強くなりたいという一心で魔法学院に入学してからも、ずっと言い訳してきた。
孤児だから、剣術をやったことがなかったから、魔法の才能がないから、僕は強くなれないんだ。
僕が悪いわけじゃない。
僕は十分よくやっている。
結局、僕は魔法学院に入学してから魔法を失ったあの日まで、何一つ努力してこなかったのではないか。
環境のせいにばかりしてきて、自分で環境を変える努力をしてこなかったのではないか。
そう思った時、僕はもう何も言い返せなかった。
ザザムさんはそんな僕に見向きもせず玄関に向かい、そこで立ち止まると、
「もう一度よく考えなおしてみることじゃな。一晩やろう。明日の朝、結論を聞かせてもらう。自分にとって最も大切なものは何なのか、しっかり考えるんじゃな」
それだけ言い残し、彼はこの家から出て行った。