第4話 「古の民」
今回は六千字となっております。
魔獣は、自分よりも強い魔獣を倒した者に一定期間近づかない。
それは弱肉強食を絵にかいたような魔樹海で、独自の進化を遂げた魔獣ならではの能力だ。
そしてそれ故に、ブラックベアーを倒した後の魔樹海は鳥のさえずりが聞こえるほど静かで穏やかだったが、その一方で僕の心中は違った。
『君は呪術師になる覚悟はあるか』
師匠に言われたあの言葉が何度も頭の中を過る。
僕はどうしたいのか。
どうなりたいのか。
友達を目の前で失い、セレナさんに助けられたあの時から、僕は強くなるためだけにひたすら突っ走ってきた。
魔法学院に入学し、魔法や魔獣の勉強をした。魔法が使えないと分かったとき一度は絶望したが、師匠という素晴らしい人に出会った。
そしてその人から、僕でも強くなれると教えてもらった。
呪術師になれば、僕でも強くなれると。
魔法を使える者にも負けないほど、強くなれると。
だから僕は師匠についてきた。
強くなりたい、その一心で。
では今はどうか?
正直、分からない。
僕は今まで強くなるということに疑問を持ったことがなかった。
自分の理想を叶えるためには、強くなることは必要なことであり必須項目。
だから強くなること、強くなりたいと願うことは良いことなのか悪いことなのか、疑問にすら思ったことがなかった。
でも、今は違う。
師匠に言われた言葉。
あの言葉で分からなくなった。
人を傷つけ、生き物を殺してまで強くなる必要はあるのか。
そんなことをしてまで強くなりたいのか。
――分からない。
僕はどうしたいのか。
どうなりたいのか。
集落に行く道中、幾度となくそう自分に問いかけたが、答えは出ない。
――結局、僕はどうしたいのだろう……。
「着いたぞ。ここが森の賢者と呼ばれる〈長尾族〉の集落だ」
ブラックベアーを倒してから一言も話さず目の前を歩いていた師匠は、そう言って立ち止まった。
「あ、はい。…………って、ここが!!?」
先ほどのことでどう反応していいか分からなかったため、つい生返事をしてしまったが、そんなことが気にならなくなってしまうほどにそこは凄かった。
まさに集落。
魔樹海特有の大樹、それが生えていない開けた場所に建てられている家々は、そこで建てられたものとは思えないほどしっかりとした高床式の家で、数は少し覗いただけでも五十はある。
それだけではない。
集落を囲うように突き立てられた塀は全てが丸太で、王都で働く一流の職人が作ったかのように隙間がない。
これを作るのに高い技術が必要だということは素人の僕でも分かった。
「これを古種が……」
僕は丸太で出来た塀に近づき、触ってみる。
――うわぁ、ツルツルだ。
丸太は一本一本丁寧にやすりがかけられていて、ささくれが一つもない。また、使われている丸太の木も同じ種類のものが使われているため、見た目が揃っていて一つの芸術品のようだった。
僕は思わずテンションが上がってしまう。
「見てください師匠! これ凄いですよ!」
「お、おう……」
「王都で同じものを作ろうと思ったら、この丸太一本でパルス金貨一枚はします」
「そ、そうだな。それよりハル……」
「いいなぁ。一本でもいいから持って帰りたいなぁ。これ一本で、王都で贅沢暮らししても半年は余裕で暮らせますよ」
「分かった。分かったから、そんなに騒いだら……」
「貴様ら何をしている!!」
「やっぱり……」
「えっ?」
塀が立てられていない集落の出入り口。そこから現れた一人の古種は、僕と同じくらいの身長だが筋骨隆々、手には長い木の棒が握られており、その様子からこの集落の門番だということが分かる。
しかし僕が驚いたのはそこではない。
その姿。
黄土色の毛が体中に生えたそれは、まさにサルそのもので、お尻には尻尾が生えていた。
それは彼らの身長より頭二つ分長く、長尾族という名前がよく分かる。
しかし彼らは友好的どころか、かなりご立腹だった。
「貴様ら何者だ! ここで何をしている!!」
「い、いえ、僕たちはただ…………うわっ!」
あまりの剣幕に思わず後退るが、木の根に足を取られお尻を打つ。
「いてて……。ひっ!」
目の前に突き出された棒。
僕はそれに情けない声を上げてしまう。
「ここに来た目的を言え! さもないと……」
門番が手に持つ棒を振り上げたその時、師匠が僕と彼との間に体を滑り込ませ割り込んでくれた。
「落ち着け。私たちは怪しい者ではない。この集落の長であるザザム氏とも顔見知りだ」
「嘘をつくな!」
「嘘ではない。ザザム氏に確認してもらえれば分かるはずだ」
「ならん! 貴様らみたいな怪しい者をザザム様に会わせるわけにはいかない! もし本当にザザム様と知り合いだというのなら、力で証明して見せろ!!」
彼は一歩引くと、棒を構える。
その身のこなしには無駄がなく、それだけで彼が手練れだということがよくわかる。また身長も師匠より少し大きいくらいなのだが、その体格のいい体のせいで余計に大きく見える。
師匠を知らない人が見れば、絶対的に不利だと思う場面。
ただ、僕には分かる。
――師匠はこの人たちよりも強い。
呆れ顔で頭を掻く師匠は全くの無防備で、一見ただ突っ立っているようにしか見えないのだが、いざ攻撃を仕掛けようとするとスキがなく、攻め込む場所がない。
相手もそれに気づいたのだろう。
最初は余裕の表情を浮かべていた彼も、師匠の強さに気づいて息を呑み、不安げに棒を握りなおす。
まずい。
これはかなりまずい。
このまま戦えば、師匠は怪我一つしないだろうけど、相手が無事では済まない。
――どうにかして止めないと!
急いで立ち上がり、今度は僕が二人の間に割って入る。
「し、師匠。待ってください! 僕たちは争うために来たわけじゃないんですよ。戦う必要はありません! ここは穏便に……」
「ふっ。安心しろ、ハル。私もそこまで鬼じゃない」
そう言って、師匠は優しい微笑みを浮かべる。
笑みは普段のそれ。
僕はその笑顔に胸を撫でおろす。
――わ、分かってくれた。やっぱり話せば分かってくれるんだ。最初はどうなることかと思ったけど、これで話し合いに……。
「私は常識人だからな。半殺しでやめておくよ」
って、全然分かってないよ!
「そういうことじゃないです!!」
僕は思わずツッコミを入れてしまうが、師匠は意味が分からないのか怪訝な表情を浮かべる。
「どうしてだ? 殺さないんだぞ? なんの問題もないだろ」
怖い!
この人怖いよ!!
殺さなければ大丈夫みたいな考え方が怖い。
所々世間とずれてると思ってたけど、ここまでとは思ってなかった。
どんな環境で育てばこんな考え方になるんだよ。
「ほらハル。そこに居たら危ないぞ。すぐに終わるから、下がってろ」
師匠は真面目な顔でそう言うと、手を振って下がれと指示を出す。
こうなった以上、僕の言うことに耳を貸してはくれないだろう。
僕はため息を我慢して、黙って言われた通りに数歩下がる。
一気に張りつめる空気。
師匠の体からはどんどん力が抜けて脱力していく一方で、相手の門番は体が硬直していく。
そして緊張がピークに達し、ついに始まってしまうと思った瞬間、その人は現れた。
「コラァァァァァァ! 貴様ら何しとんじゃ!!」
「えっ!?」
集落から出てきた一人の古種。
その人は門番とは違い、杖を突き肩にはローブを羽織っていて、顎の毛は髭のように地面すれすれまで伸びていた。
――お、おじいさん!?
誰が誰なのか区別がつかない僕でも、彼が門番よりも年を取っているのは分かる。
しかしその見た目とは裏腹に、彼は元気だった。
「何か外が騒がしいと思ったら、またお前かソフィア!」
おじいさんは大きく跳躍すると一歩で師匠の所まで行き、
「このたわけがぁぁ!!」
手に持っていた杖で師匠の頭を思いっきりぶっ叩いた。
「ええっ!?」
僕はその光景に、思わず驚きの声を上げてしまう。
攻撃をまともに受けた師匠を見たのが初めてというのもあるが、僕が驚いたのはむしろおじいさんの方だ。
彼が杖を振り下ろそうとしたとき、確かにあの瞬間、師匠は瞬時に体を反らして迫りくる杖を躱そうとした。
だが師匠が躱すよりも早く、おじいさんは杖の軌道を修正したのだ。それはまさに早業で、そのことから彼が師匠よりも強いのだと分かる。
でも僕が分かったのはそこまでだった。
「何しに来おった!」
「今日は……」
「たわけっ!」
ドン!
「どうせまた食べ物でもせびりに来たんじゃろ!」
「ちがっ……」
「やかましいわ!」
ドンン!!
「貴様にくれてやる食いもんなんぞ、もうどこにもないぞ!」
「だから違うって言ってん……」
「問答無用!」
ドンンン!!!
「一体全体、食いもんじゃなかったら何しに……」
「だから、それを説明しようとしてんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
師匠のその声は集落だけでなく、魔樹海中にこだますることとなった。
「ええっ!? じゃあこの人が……」
「はぁ、そうだ。この爺さんが、長尾族の長であるザザムだよ」
僕はあまりの驚きに、失礼と分かりながらも目の前に胡坐をかいているその人、師匠をタコ殴りにしていたおじいさんを見てしまう。
あの後、なんとか誤解を解くことが出来た僕たちは、このザザムさんに案内されて集落に入った。集落はそこら辺の村よりも栄えていて、肉や野菜、川魚や果物が売られているのはもちろん、集落の子どもたちが通う学校まであった。なんでもそこでは狩りのやり方や魚の取り方を教えているほか、国や魔樹海、魔法や呪術についての知識も一通り教えているらしい。
そんなこんなで集落を案内されながら歩いて着いたそこは、ザザムさんの自宅だった。
そこは他の家同様に高床式のものだったが、明らかに大きさが違う。家だけで二倍、庭も入れれば三倍は他の家よりも大きい。そして家に置かれている家具は王都で買えば家一軒建てられるほどの高級なものばかりだった。
色彩豊かな絨毯、細かい彫刻が彫られているタンス、漆黒樹と呼ばれる高級木材で作られた本棚など、まるでどこの貴族の家に来てしまったのかと錯覚するほどに凄い。
そして今。
僕と師匠はそれらの高級家具に囲まれながら事の経緯を説明するため、広い居間でザザムさんの目の前に座っていた。
「さっきは見苦しい所を見せてしまってすまんかったのう」
そう言って謝るザザムさんに、僕は慌てて首を横に振る。
「い、いえ。そんなことは……」
確かに、突如現れて師匠をタコ殴りにしたことには驚いたが、こうして直接話してみると悪い人ではない。それどころか、こんな僕にも分け隔てなく話しかけてくれるし、集落の人々からも慕われているのを見ると凄くいい人だということが分かる。
だからこそ、なぜあんなに怒っていたのか分からない。
僕のその疑問に、ザザムさんは不貞腐れている師匠へと目を移す。
「こいつはな、たびたびこの集落に来てはさっきみたいな問題を起こすんじゃ。しかもそれだけじゃ飽き足らず、わしの家にある食べ物を片っ端から持っていきよる」
「適当なことを言うな、このクソジジイ! 門番を若い衆にやらせてるのが問題なんだろうが! 毎回不審者扱いされて襲われるこっちの身にもなってみろ!!」
「だからそうならないように、わしの知り合いだと分かるよう通行板を作ってやったろ。あれはどうしたんじゃ!」
師匠は一瞬怪訝な表情を浮かべるも、それ思い出したのか「ああ」と小さな声を漏らす。
「あの訳の分からん木の板のことか。あんなの何の役に立つか分からなかったから、飯を作るときに薪と一緒に燃やしちまったよ」
「なっ……」
あっけらかんと言ってのけた師匠に、ザザムさんは絶句する。
通行板というものがどういう物かは分からないが、ザザムさんの反応を見る限り相当凄いものだったのだろう。
それを師匠は薪の足しにしたと言ったのだ。
これはザザムさんじゃなくても絶句する。
「このたわけ! あれほど大切にしろと釘を刺してやったのに、燃やしたじゃと!! 何を考えとるんじゃ、このバカ娘!!」
「うるせぇクソジジイ! あんな物なくても入れるようにすればいいだけだろうが!」
「それが出来ないから通行板があるんじゃ! それにこれ以上無断で食料を盗られたら、わしらは餓死してしまうわ!!」
師匠、あなたはどんだけ食べ物くすねてたんですか……。
「たかだか、野兎の肉ぐらいだろ!」
「貴様の記憶はどうなってるんじゃ! 肉に野菜、川魚に果物、しまいには飲み水に酒と、きっちりわしら集落の一か月分の食料を持って行ったじゃろが!! そのせいで、どれだけ大変な思いをしたと思っとるんじゃ!」
「そんなこと知らん!」
師匠はそう言ってそっぽを向く。
それにザザムさんは怒りで顔を赤く染める。
「な、なんじゃと……。もう我慢ならん! 表に出ろ! もう一度、その根性を叩き直してやる!!」
「望むところだ、クソジジイ! 残り少ない人生をここで終わりにしてやるよ!!」
「え、ええっ!?」
呆気に取られる僕をよそに、師匠とザザムさんは立ち上がり、家を出ていこうとする。ザザムさんは強いから師匠と戦っても怪我をすることはないとは思うが、集落が大変なことになる。
どうしたらいいの分からず僕がオロオロしていると、家の奥から救世主は現れた。
「あらあらあなた、どこに行くつもりですか?」
微笑を浮かべた尾長族のおばあさん。口調からしてザザムさんの奥さんだと思われるその人の声はおっとりとしていて優しく、決して大きな声ではない。
しかし、その声に師匠とザザムさんは動きを止める。
「お客様が困ってるじゃありませんか。喧嘩はいけませんよ、あなた。ソフィアちゃんも、久しぶりに来たんですからもう少し落ち着いて話せないんですか?」
「ヤ、ヤコちゃん!? いや、これは……。そ、そう、久しぶりの再会だから散歩でもと思って……。そ、そうじゃろ、ソフィア?」
「そ、そうだとも。何も喧嘩してたわけじゃ……」
振り返り急いで弁明する二人。
今までの喧嘩が嘘のようだ。
しかしそんな付け焼刃の言い訳が通じるわけもない。
ヤコさんは困ったように顔に手を添える。
「あなた、ソフィアちゃん。嘘はいけませんよ。台所まで喧嘩してる声が聞こえてきていたんですからね」
「「…………」」
「ちょっと二人とも、奥の部屋でお話ししましょう」
その提案に、慌てだす二人。
「い、いやヤコちゃん、それには及ばん。もう真面目に話す! ちゃんと話す!!」
「そ、その通り。今から真面目に話そうと思ってたところだ!」
「ダメですよ。そんなこと言って、二人ともまたすぐに喧嘩するに決まってます」
往生際悪く暴れる二人の首根っこを掴むと、ヤコさんは一人で彼らを引っ張っていく。
そして奥の部屋に消える直前、僕の方を振り返り、あの微笑。
「すみません。少しお待ちいただけますか?」
「は、はい。ごゆっくり」
「では、少し失礼しますね」
そう言って奥の部屋に消えていく三人。
その後聞こえてきた絶叫を、僕は一生忘れない。