第3話 「呪術師の在り方」
今回は七千字いかない程度です。
魔樹海には弱い光を発するキノコや草花が多く生息しているが、それを考慮しても暗い。
しっかり見て歩かないと木の根に足を取られてしまいそうだった。
しかしそんな中でも、師匠はスイスイと魔樹海を進み、古種に持っていく薬草を躊躇いなく取って僕の背負っている背嚢に入れていく。
「こんな暗いのに、よく見えますね」
「まあ魔樹海に住んで長いしな。慣れだよ」
「慣れ……ですか」
全く慣れる気がしない。
「大丈夫だ。私も最初から今みたいに見えていたわけじゃない。魔樹海にいる時間が長くなれば自然と見えるようになる」
師匠はそう話している間も、薬草をテキパキと取っていく。
「これらの取った薬草ってどんな効能があるんですか?」
「そうだな。食あたりに食べ過ぎ飲み過ぎ、傷に貼るやつもあれば、煎じて飲むやつもある。色々さ」
すごい。
それを全部覚えていて、一瞬で見分けられるなんて。
「ハルもやってみるか?」
「えっ!? 僕にできますか?」
「そうだな……」
師匠は辺りを見回し、一つの草を引き抜く。
それは赤い葉に黒い斑点がある草で、なんとも毒々しい。
「これは〈チョルム草〉と言って、火傷に効果がある薬草なんだ。これなら間違わないし、見つけやすいだろ?」
確かに。
これなら僕にも見つけられそうだ。
「チョルム草は木の根元によく生えているから、そこを中心に探すといい」
「はい!」
こうして僕はチョルム草、師匠はそれ以外を探しながら魔樹海を歩く。
チョルム草は見た目が派手ということもあってすぐに見つかり、その面白さからあっという間に時間が過ぎる。
そして、集落まで残り三分の一ほどになったとき、事件は起きた。
「ハル、静かに!」
僕はちょうどチョルム草を取ろうと中腰になったところで動きを止める。
「ど、どうかしたんですか?」
「魔獣の気配だ。こちらに凄いスピードで近づいてきている」
え、ええっ!?
「ま、まずいじゃないですか! すぐに逃げないと!!」
慌てて駆け寄る僕に、師匠は自分の着ていたローブを投げてよこす。
「うわっ!?」
「呪術を見せるいい機会だ。ここで迎え撃つ」
えー。
確かに師匠は強いが、足手まといの僕もいるし、見せるならもっと他の方法でもいいような気がするんだけど……。
「なに、どうせ逃げたって追い付かれる。それに古種の集落に連れていくわけにもいかないしな。――ハルは私の後ろに隠れていろ」
僕はなす術なく師匠の言う通りにする。
緊迫する空気。
僕と師匠が沈黙を守る中、そいつは向かいの草むらから現れた。
「グルゥゥガァァァァ!!」
それは昨日僕を襲ってきた奴と同じクマの魔獣。
しかし大きさが違った。
昨日の奴は四足歩行で全長二メトルほどしかなかったが、今回の奴はその三倍近くある。
「ほほう。やはりな。ブラックベアーにしては小さいと思っていたんだ」
「ど、どういうことですか?」
「こいつらはブラックベアーと言って、大人になると六メトルを超える化け物になるんだ。そしてこいつらは大人になるまで親にくっついて歩く習性がある。つまり、こいつは昨日ハルを襲ったブラックベアーの親とみて間違いないだろう」
「ど、どうして僕たちの場所が……」
師匠はブラックベアーから片時も目を離すことなく続ける。
「昨日殺した子どもの匂いがまだついていたんだろうな。それで、敵討ちに来たという訳だ」
「グガァァァァァァァァ!!」
咆哮。
それは昨日のものとは比べものにならないほど恐ろしく、僕は思わず腰を抜かしてしまう。
しかし師匠は怒りの咆哮にも身じろぎ一つせず、それを真正面から受け止める。
「ハル、大丈夫か?」
落ち着き払った僕を呼ぶ声。
その声は、昨日出会った時の少しハスキーなそれ。
僕はそれに背中を押され、震える足を無視して無理やり立ち上がる。
「だ、大丈夫です!」
「よし。今からハルに移した呪術を発動させる。発動したら、私から目を離すなよ」
「はい!」
「グルガァァァァァァァァ!!」
僕の返事と同時に、ブラックベアーは走り出す。
その速度は凄まじく、優に七メトルあった距離は一瞬にしてなくなり、ブラックベアーは鋭い爪を師匠に向かって振り下ろした。
だが師匠は最初からそれがどこに来るのか分かっていたかのように、最小限の動きでかわす。
そして、
「我、汝に許しを与える者なり」
制約を紡ぎ始める。
しかしそれを相手が黙ってみているわけもなく、次々と攻撃を加えるが、師匠はそれに臆することなく、まるで踊りを踊るようにヒラヒラと躱していく。
嬉しそうに。
楽しそうに。
深海のような美しく青い髪はやんちゃに跳ねまわり、黄昏時を思わせる真紅の瞳は光がないはずの魔樹海で輝きを増す。
それはまさしく、少女が森と戯れているようだった。
「その瞳、世の理を写し」
思わず見とれてしまうような光景。
美しくも不思議なそれ。
それらに呼応するように、僕に移された呪いが次第に熱を帯びていく。
「形持つ者の誠を、汝に教える」
熱い。
呪いが、自分の存在を主張するように熱くなる。
僕はその熱に、一人と一匹から視線を外し、我慢できず目を閉じてしまう。
そしてその瞬間、制約は果たされた。
「闇を捉え、開眼せよ! 『呪噤・暗闇谷の誠眼』」
「ぐぅっ!」
僕は思わず片膝を着く。
焼ける。
呪いが、先ほどの比ではないくらい熱を帯びている。
それだけじゃない。
呪いを移された時のように、それが顔中を動き回ったかと思うと、一気に僕の瞳の中に流れ込んできた。
「ぐっ! あ、ああっっ!!」
壊れる。
破裂する。
僕の眼球が限界だと、これ以上は無理だと脳が警鐘を鳴らす。
僕は必至で目を抑えるが、そんなもので止まるはずもない。
このままじゃ……。
その時、
「ハル!!」
僕を呼ぶ声。
「ハル! しっかりしろ!! 恐れるな! 受け入れ、信じるんだ!!」
いつになく真剣な師匠の声。
分かってる。
拒めば拒むほど、それは僕の瞳に流れ込んでくる。
でもどうしたらいいんだ。
そんなこと言われても、怖いものは怖い。
こんなものを受け入れるなんて僕には……。
「呪いを信じる必要はない! 私を信じろ、ハル!!」
「し、師匠を……信じる……?」
……そ、そうだ。
師匠は僕を信じてくれた。
見捨てないで、傍にいてくれた。
呪いは怖くても、師匠を怖がる理由は一つもない。
だから、
「……な、なに言ってるんですか、師匠」
僕は目から手を離し立ち上がる。
相変わらず呪いは瞳に流れ込んでくるし、怖い。
それでも、僕は師匠を思うと立ち上がれた。
「ぼ、僕は……出会った時から、し、師匠を信じてますよ」
今にも破裂しそうな瞳を無視して、僕は無理やり瞼をこじ開けると、真っ直ぐにその人を見つめる。
そこにはいつもの優しそうな師匠の笑顔。
その笑顔を見た瞬間、今まで流れ込んできていたそれは止まり、ほのかなぬくもりを残して呪いの気配は消えた。
「よくやったなハル。――大丈夫か?」
僕は自分の目を触る。
「何とか……大丈夫、みたいですね」
師匠は安堵の表情を浮かべる。
きっと、今のは師匠でも予測していなかった事態なのだろう。
僕は本当に最初っから最後まで師匠に迷惑をかけっぱなしだ。
「今すぐ様子を見てやりたいが、そうも言ってられない状況だ。――しばらくの間、頑張れそうか?」
「……は、はい! もう何ともありません。ご心配おかけしました。ここから先は、一秒たりとも師匠から目を離しません!!」
「よし」
師匠は僕に一瞬優しい笑みを浮かべると、すぐさまブラックベアーへと視線を戻し、笑みを消す。
ブラックベアーは僕に背を向け、師匠と対峙している。
つまり、今僕と師匠は魔獣を挟んで対面している状態だ。
「ハル! その目で見て、私の体に変わったところはあるか?」
「変わったところ?」
「グラアアアアアアアア!!」
自分を相手にしない師匠に怒ったのか、ブラックベアーは師匠への攻撃を再開する。
しかし僕も師匠もすでにそいつは眼中になかった。
師匠は魔獣の放った横なぎを先ほどと同じように余裕で躱し、僕は必至で変化を探る。
そして、
「――――あっ!」
それに気づいた。
師匠の胸と胸の間。
そこに黒いひし形の入れ墨があることに。
――あんなの今朝見たときはなかったはず……。
「気づいたか? これが呪核だ」
呪核。
古種から授かる、呪術をしまっておくことが出来る核。
師匠は魔獣の攻撃を躱しながら話を続ける。
「今から三つの呪術を使ってこの魔獣を倒す。ここからは一瞬だ。しっかり見ておくんだぞ?」
師匠は大きく飛び退くと、戦闘態勢を解く。
魔獣が目の前にいるとは思えないほどの自然体。
その姿に、相手は馬鹿にされたと感じたのか、怒りの咆哮を放つと師匠に近づき二本足で立つ。
その体高約十メトル。
そして巨大なクマは大きな腕を振り上げた。
通常ならば急いで回避する場面。
しかし師匠は動かなかった。
「来い」
その掛け声とともに、師匠の呪核は形を変え、触手のようなったそれは師匠の左腕に伸びて纏わりつく。
それと同時に相手も動く。
振り上げた巨大な腕を、何の躊躇いもなく師匠に向かって振り下ろした。
その巨体からは想像できないほど早く振り下ろされる腕。
しかし師匠は余裕の笑みを浮かべ、
「『呪噤・魔邪苦返し』の呪い」
振り下ろされたそれを、師匠は左の手のひらで受け止める。
瞬間、師匠を引き裂くはずの爪は硬い何かに当たったかのように勢い良いくはじき返され、その反動でブラックベアーは背中からひっくり返った。
魔樹海全体が揺れていると錯覚するほどの地響きに、舞い上がる土煙。
だが派手に見えたそれも、相手からしたら大した威力ではなかったのかすぐに起き上がり、懲りずに師匠へと向かう。
これにも師匠は動じない。
そして、今度は師匠の追撃の方が早かった。
「動くな」
一言。
怒りも悲しみもないただの言葉。
しかしそれが何かしらの制約だという事は、まだ呪術をほとんど知らない僕でも理解できた。
そしてそんなことを知る由もないブラックベアーは、当然止まるようなことはしない。
故に、制約は果たされた。
「悪いな。私の勝ちだ。『呪詛・宿絞鎖』の呪い」
その瞬間、ブラックベアーの腕から師匠のような触手に似た入れ墨がもの凄い勢いで成長し、体中にそれらを伸ばす。
入れ墨は動きを阻害しているのか、ブラックベアーの動きが少し鈍る。
だがその巨体からもわかる通り、そいつは相当の怪力なのだろう。
そんなことはもろともせず、そのまま師匠に襲い掛かった。
「ほう。この呪いを受けて動けるか。さすがだな。――だが、言ったろ? もう私の勝ちだよ」
彼女の言葉は現実のものとなる。
師匠は次々と繰り出される爪を余裕の表情で躱し続ける。
そして、躱せば躱すほど相手の動きは遅くなり、一分もしないうちにそいつは動きを止め、その場に倒れた。
呆気ない決着。
今思い起こせば、最初から最後まで師匠の独壇場だったような気がする。
この人は本当に強い。
僕はそんな師匠が誇らしく、急いでその人の傍に駆け寄る。
「やりましたね師匠。流石です」
「それほどでもない。このブラックベアーは世界魔獣機関が定めている魔獣ランクでも、Fランク相当だ。力は強いが、注意すれば勝てない相手ではないからな」
魔獣ランク。
この世にいる魔獣をSSからHの九つの段階にランク付けしたもので、Hは一般人でも魔法が使えれば倒せるレベル、SSは国家単位で動かなければ解決できないレベルと目安がある。
ちなみに、Fランクは熟練の魔法師が複数人でやっと倒せる程度の強さがあると言われている。
またこの強さは、正確に測定されたものではなく、世界魔獣機関という組織が経験則的に定めたもので絶対ではない。
故に、魔法騎士団を総動員しなければならないほどの強さを誇るAランクの魔獣でも、一人で倒してしまう化け物みたいな凄腕魔法師もいる。
まぁ、そうだとしても魔獣の攻撃をあのように跳ね返すことが出来るのは、王国で数人しかいないプラチナランクの魔法師を除けば師匠くらいのものだろう。
「あの時攻撃を跳ね返した呪術は何てやつなんですか?」
「あれは『魔邪苦返し』と言って、その場から動かないことを代償に、魔獣の物理攻撃をそっくりそのままの力で跳ね返すことが出来る呪いだ」
だからあの時、師匠はその場に止まっていたんだ。
呪いは魔法よりも一長一短が激しい。
ただでさえ魔獣との戦いは一瞬の油断が命取りとなることが少なくない。
だからこそ、呪術の特徴を理解しておくことが必要なのだと、改めて確認する。
「では、あの呪いはどんな効果か分かるかな?」
師匠はブラックベアーを指さす。
そこには呼吸で微かに動く以外、まったく身じろぎしない魔獣がいた。
「観察すれば分かるはずだぞ?」
「えっと……」
僕はブラックベアーを凝視する。
まず全体像。
体長は六、七メトルぐらい。
外傷はなく生きている。
故に、あの『宿絞鎖』の呪いが直接体を傷つける類の呪いではないことが分かる。
次にその呪い。
最初は小枝ほどしかなかった入れ墨が、今は木の枝ほどに太くなっている。
このことから、何かの条件、たぶん今回は動くという条件を満たしたことによって力を強めたと推測する。
つまり、
「この『宿絞鎖』の呪いは、動けば動くほど相手の動きを阻害する呪い……だと思います」
師匠は僕の回答に、嬉しそうに微笑むと、頭を乱暴に搔き乱す。
「惜しいな。半分正解で半分不正解だ。――この呪いは、動けば動くほど相手の体力を奪い、自分の力にする呪いだ」
「なるほど……」
師匠の回答に納得がいく。
相手の動きを阻害するだけでは、ブラックベアーを今のように大人しくさせることはできない。
この拘束を解こうとしたり、吠えたりするはず。
でも今は先ほどとは打って変わって大人しい。
これも呪術に体力を奪われたと考えると納得できる。
「便利な呪いですね」
「まあな。でも相手が動かなくなると、今度はこの呪いから相手に力が流れてしまうんだ。あと数分もしないうちに動けるようになるだろう」
僕は思わず寝そべっている魔獣に目を向けてしまう。
大きな体に鋭い爪。
先ほど暴れまわっていた姿は、今思い出しても恐ろしい。
でも、それと同時に今の辛そうに息をしている姿を見ると、少し可愛そうにも思えてくる。
元はと言えば、この魔獣の子どもを殺してしまったから、こいつは僕たちを襲いに来たのだ。
殺されそうになっていたとはいえ、一概にこの魔獣が悪いとは言い切れないのではないだろうか。
「師匠。もう行きましょう。呪いが解けると大変ですし、集落にも急いで行かないと」
僕はブラックベアーに背を向け歩き出す。
しかし、
「いや、まだだ」
師匠は違った。
「えっ………」
師匠の声につられ後ろを振り向き、彼女の顔を見た瞬間、全身に恐怖が駆け巡る。
魔獣を見下ろすその顔。
そこには表情という表情がなく、何の感情も見つけることはできない。
そして、その顔を見て、師匠の言葉を思い出した。
『今から三つの呪術を使ってこの魔獣を倒す』
あの言葉が本当なら、まだ一つ呪いは残っている。
まさか……。
「来い」
師匠は呪核から右腕に呪いを伸ばす。
先ほどと同じそれ。
しかし、あんな生易しいものではなかった。
明らかな敵意。
「し、師匠! 待ってください!」
だが彼女に僕の声は届かない。
師匠は右手の親指を噛み、少量の血を流す。
そして、
「『呪術・恩讐の手刀』」
流した血に呪術が触れたとたん、それらは一気に膨れ上がり、禍々しいオーラと共に右手の側面に刃を形成する。
「これが昨日魔獣を殺した呪いであり、私が最初に手に入れた呪いだ。そして……」
師匠はその腕を振り上げる。
「だ、ダメです。待ってください!」
「これで終わりだ」
「師匠ぉぉぉぉぉ!!」
彼女は容赦なくその刃を振り下ろし、僕の声は魔樹海に虚しくこだました。
「どうして……。どうしてですか? なんで殺す必要があったんですか!? 元はと言えば僕たちが子供を殺したからで、それでもう動けなくて…………。殺す必要はなかったじゃですか!」
殺さなくてもよかった。
このまま逃げてしまえば、あの魔獣からは十分に距離を離すことが出来た。
それなのに……。
師匠は血が滴る右手をそのままに、静かに呪術を解く。
「ハル。君は分かっていない。呪術師というものを理解していない」
「えっ?」
師匠はあの時の表情のまま、僕の瞳を見つめる。
「呪術師は生き物を傷つけ、屍の山を築くことでしか強くなれない。それでしか強くなることが出来ないんだ。そして……」
師匠はおもむろに顔の左半分を隠している髪をかき上げる。
「その中には自分も含まれている」
顔の三分の一を隠す眼帯。
その姿に僕は息を呑む。
「呪術師とは、自分をも犠牲にして力を得た者のことだ。――再度問おう。ハル、君は強くなる、呪術師になる覚悟はあるか?」
一つしかない真紅の瞳。
その瞳に問われたそれを、僕はその場で即答することが出来なかった。
そしてこの時、僕は初めて師匠を怖いと思った。