第6話 「訪問者」
今回は4000字程度です。
「っ!」
僕は家の裏で服を脱ぎ、樽に溜めた雨水で手拭いを濡らして体を拭くが、鈍い痛みで思わず手を止めてしまう。
体にはここ一カ月で、無数の傷が刻まれていた。修行の過程で師匠につけられたものもあるが、その大半が魔獣によるものだ。この傷を見るたび、自分の弱さを痛感させられる。師匠は強くなったと言ってくれるが、まだまだだ。自分の理想には程遠い。
確かに、魔法学院にいた頃と比べると、格段に強くなった。でも所詮、それは弱者に毛が生えた程度でしかない。そのことは、ここ一カ月の修行で嫌というほど分かっている。
今日のゴブリン戦もそうだ。呪術が使えないとはいえ、師匠がその大半を引き付けてくれていたにも関わらず、僕はたった四匹のゴブリンにも勝つことが出来なかった。
初めて師匠に会った時、彼女は僕が強いと言った。そして、今も強くなっていると言ってくれている。
だけど、僕はそれを素直に信じることが出来ないでいる。
だって最低ランクのゴブリンにすら満足に勝てないのに、どう自分を信じろというのだろう。
僕はセレナさんのように、どんな信念でも貫き、弱い人を助けられるような人になりたい。師匠のように、圧倒的強さで大切な人を守れるようになりたい。
そう思って、頑張ってきた。
でも……。
「――無理なのかな」
僕には、セレナさんのような才能も、師匠のような強さもない。
師匠は僕に、セレナさんにも自分にもない強さがあると言った。足りないのは経験だと。
でもそれは本当だろうか?
本当に、僕には彼女たち二人にないものを持っているのだろうか?
「…………」
考えても答えは出ない。
考えることに意味はない。
今はただ、前に進み、自分にできることを一つずつしていくしかないのだから。
僕は体を拭いて服を着ると、一度深呼吸して気持ちを切り替え、扉を開けて家の中に入る。
するとそこには、昼食の準備を済ませた師匠が笑顔で椅子に座っていた。
「おかえり。遅かったな。もう食事の用意は出来てるぞ」
テーブルの上にはザザムさんからもらったパンと、師匠お手製のシチューがお皿に盛られていた。
シチューからは白い湯気が立ち上り、香しい香りが僕のお腹を刺激する。
「――美味しそうですね。今日は何のシチューですか?」
「昨日狩ってきた漆黒ウサギの肉を使ってる。――さぁ食べよう」
「はい……」
僕は席に着き、手を合わせ、
「……いただきます」
すぐさまスプーンを握り一口。
「…………!!」
芳醇で複雑な香りが僕の鼻孔をくすぐり、濃厚な味が口いっぱいに広がる。よく煮込まれたウサギ肉は噛まなくていいほど柔らかく、少し刺激するだけでホロホロと崩れてしまう。
王都の魔法学院にいた頃でさえこんなシチューは食べたことがない。
まさに絶品。
僕はひたすらシチューを口に運ぶ。
「そんなに慌てなくてもシチューは逃げない。ゆっくり食べろ」
師匠はそう言うと、楽しそうに笑う。
幼い頃から、こういう生活が夢だった。
小さな家に、暖かなご飯。そして、僕の帰りを待っていてくれる誰か。
寒い裏路地で眠り、一日で口にできるのは貴族が捨てた残飯と泥水。そんな生活を物心つく頃からしていた僕からすれば、今の生活は理想だ。
あの頃の僕なら、この生活で満足していたかもしれない。
強くなることを諦め、こうして平和に暮らすことを望んだかもしれない。
でも、もう無理だ。
もう、あの頃の僕ではない。
カムルを失ったあの時から、僕は変わった。
後戻りはできない。
僕はスプーンを握りしめると、シチューと共に過去の理想を喉の奥へと流し込んだ。
食器を片付け、お茶を師匠の前に置いて僕も席に着く。
食後にお茶を飲みながら午後の修行メニューを決めるのが日課だ。
修行メニューはその日によって違い、午前の実践の内容によって変わる。
ランニングや筋トレの時もあれば、薬草や魔獣の座学、師匠との模擬戦の時もある。
しかし、今日はそのどれでもなかった。
「今日の午後からの修行なんですが……」
「いや、今日の修行は休みとする」
「へ?」
僕は師匠の言葉に、思わず間抜けな声を出してしまう。
「そ、それはどういう意味ですか?」
師匠が午後の修行を休みにすることなど、今までで一度としてなかった。師匠は実践よりも、復習の方が大切だと、常日頃から言っている。それこそ、僕がどれだけ傷だらになっても、午後の修行を失くしてくれたことなどない。
今回はそれほどまでに実践が酷かったということなのか?
――もしかして、僕があまりにも成長しないから破門にするとか…………。
そんなくだらない妄想が頭をかすめて血の気が引き、思わず体が固まる。
しかしそんな僕を見て、師匠は小さく笑った。
「そんなに怯えるな。安心しろ。ハルに問題があるわけじゃない」
「…………?」
小首をかしげる僕に、師匠はお茶を一口すすって体を乗り出す。
「ナイフだよ」
「ナイフ……ですか?」
「ああ」
僕はズボンのサイドポケットから錆びた抜き身のナイフを取り出す。
「これがどうかしたんですか?」
「ちょっと貸してみろ」
僕は師匠に言われるがままナイフを渡すと、彼女はそれをまじまじと見つめる。
「………………」
「ど、どうしたんですか?」
沈黙に耐えられなくなった僕は、二度目の同じ質問を投げかける。
「ここ一カ月、お前の修行を見ていてずっと疑問に思っていたことがあるんだ」
「疑問……ですか?」
師匠は僕の言葉に、うむ、と頷く。
「お前の動きは限定的なんだ。もっと言うなら、積極性がない」
「どういう事ですか?」
「いいか? ハルの戦い方は無難なんだ。攻めるときは絶対に安全なときや自分が優位なときのみで、少しでも無理だと感じたら守りに徹している」
「それがダメなんですか?」
魔獣との戦闘、特に魔樹海での戦いはいつどこで襲われるか分からない。連戦になることも珍しくない。そんな状況下での無理は命にかかわる。安全な作戦を取ることは悪いことじゃない。
しかし師匠の考えは違うらしく、眉間にしわを寄せる。
「なんと言えばいいかな。――確かに安全策を取ることは悪いことじゃない。わざわざ自分の命を危険に晒す必要はないからな。だが、最善の策ばかり選択していると、相手からすれば分かりやすい。行動が読みやすいんだ」
師匠は右の髪をかき上げ、一つ息を吐く。
「ずっと考えていた。なぜハルは最善の策しか取らないのか、と。そして今日、ハイゴブリンとの戦いを見てやっと分かった」
彼女はちらりと僕を見ると、左手に握っていたナイフを思いっきり振り下ろしてテーブルに突き刺した。
ダンッ、という鈍い音が家の中に響き、一瞬の沈黙のあと、
「このナイフが原因だ」
彼女はそう言った。
「えっ?」
「例えば今回のハイゴブリンとの戦い。あの時ハルはあいつの首を狙ったが……」
師匠は前のめりになると、自分の胸に親指を突き立てる。
「私だったら心臓を狙う」
「え……」
――何を言っているんだろう?
師匠の言葉に、僕は一瞬意味が理解できずに呆けてしまう。
あのハイゴブリンの上半身には胸当てが装備されていた。師匠の呪術「恩讐の手刀」ならそれもできるかもしれないが、普通の武器では無理だ。
「で、でも……」
反論しようとする僕を、師匠は手で制する。
「お前の言いたいことも分かる。私の呪術でしかそんなことは出来ないと言うんだろ? ――だがそれは違う」
彼女は椅子の背もたれに体を預け腕を組む。
「あいつの身に着けていた胸当ては、弓矢を防ぐ程度のものだった。魔法なら第七級のものでも一撃、武器ならそこら辺の一般兵が持っている剣でも貫くことが出来るほどの防御力しかなかった」
「…………」
「ではどうして、ハルはあそこを攻めることを無理だと感じたのか。それは……」
師匠は僕の目を真っ直ぐに見つめると、
「このナイフのせいだろう」
師匠は一つため息を吐き、ナイフをテーブルから引き抜いて僕の目の前に置く。
「この錆びたナイフでも、魔獣を殺すことは出来る。だが、武器の威力としては最低ランクだろう。鋭利な石と変わりない。だから、攻めるに攻められない。守りの弱い所しか攻撃することが出来ず、行動が読まれやすくなっていたんだ」
「………………」
師匠の言葉で、全てが腑に落ちる。
ハイゴブリンは僕の武器を把握し、あれならば胸当てを攻撃してくることは無いと考えた。つまり、胸以外の急所、顔か首を狙ってくると読み、そこから僕の行動を予測した。
――だからあんなに余裕だったのか……。
師匠はもう一度ため息を吐く。
「……これは大きな問題だ。行動が制限されていては、勝てるものも勝てない。早急にどうにかする」
「…………」
甘かった。
相手の観察だけでなく、自分自身のことも知らなければならなかったのに、僕は何もできていなかった。
僕を含めた全てを把握し、それらを考慮したうえで策を考えなければ意味がない。
何て馬鹿なんだろう。
僕は多くの人に教えられ、助けられ、生かされてきたというのに、何一つ成長できていない。
教えられたことを、教えられた通りにすることなど、誰にでもできる。
僕はもっと強くならないといけないのに、全てを守らなければならないのに、いつの間にかこの環境に甘えてしまっていた。
武器のせいだけじゃない。
自分の行動が制限されていると、自分自身で気づくべきだった。
教えられたことを守るだけでなく、自分の頭で考えるべきだった。
結局今の僕は、師匠と会う前の自分と何も変わっていないんだ。
――僕は……。
思考の波にのまれて頭の中が真っ白になりかけたその時、
「すみません」
ドアをノックする音と共に声が聞こえてきた。
「来たか。意外と早いな。すまないが、開けてやってくれ」
「えっ? あ、はい……」
師匠に声をかけられ現実に戻ってきた僕は、ぼーっとしたまま反射的にドアに向かい、それを開ける。
しかしそこに立っていた人物を見て、僕の頭は強制的に覚醒した。
「よっ! 元気にしてたか、ハル」
そこに立っていたのは、鱗族の見張り番であり、現在唯一の友人である、ガノンその人だった。




