第2話 「師匠と弟子」
今回は4000字です。
「グゥオオオオ!!」
猛スピードで駆け寄る僕に、ハイゴブリンは大地を揺るがすような咆哮を放つと、右手に握る棍棒を構える。
――ハイゴブリンの力はゴブリンのそれとは比較にならない。僕の装備であれを受けきるのは無理だ。つまり僕の取れる選択は……反撃のスキを与えないほどの連撃!
仁王立ちで棍棒を構えるそいつに、僕はスピードを緩めることなく突っ込んだ。
「しっ!」
まずは勢いを生かした斜め切り下ろし。
しかし案の定、僕の攻撃はそいつが持つ棍棒で防がれてしまう。
だが、
「まだだ!!」
こうなることは織り込み済みだ。
ハイゴブリンほどの実力者ならば、僕程度の攻撃を防げない道理はない。
初手で手傷を負わせられるなどとは、こちらも思っていない。そして、だからこそ取れる戦略もある。
「おらぁぁぁぁ!!」
「グォ!?」
ハイゴブリンの瞳が驚愕に見開かれる。
無理もない。本来、ここまで体格差がある敵との戦闘の場合、一撃離脱が定石だ。それは知能が高く、おそらく僕よりも戦闘経験が豊富なハイゴブリンも知っている。しかしだからこそ、裏をかくには丁度いい。
絶えずナイフと足を動かし攻め続ける、連続攻撃。
流石のハイゴブリンも動揺したのか、攻撃の覇気に押されて一歩二歩三歩と後退する。
形だけでは、僕がこいつを押している状態だ。
でも、僕の頭の中は不思議なほど冷静だった。
――まだだ。まだ、好機じゃない。
どんな生き物でも、自分の予想と反したことが起これば驚愕もするし、動揺することもある。だが一方で、それらの精神状態が長く続かないこともまた、真理だ。
――それを待つ!
僕は攻撃の手を緩めることなく、相手に反撃のスキを与えないため猛攻し続けた。
予想外の状況に、ハイゴブリンは左の膝が地面に着き、後ろに左手を着いた状態に陥る。
棍棒の奥に光る瞳には未だ困惑が揺らぎ、表情には焦燥の色が見て取れた。
――まだ……。
相手が僕の攻撃に面食らい、対応しきれていないのは明白だ。
それでも、僕は結果を焦るようなことはせず、一層攻撃を激しくしつつも現状を維持する。
そんな状態での攻防が数秒続いたのち、それは来た。
「グォォォォォォォ!!」
怒りの咆哮。
体の芯から震えあがるようなそれは、紛れもなく僕へと向けられたものだった。
こんなことで攻撃の手を緩める様な失態はしないが、相手の瞳からはすでに驚愕や困惑の色が消えている。
そしてそれに伴って、自分のアドバンテージを思い出したかのように、今まで押していた僕は押し返され、そいつは立ち上がってしまう。
しかし、
――ここだ!!
僕はそれを待っていた。
「ふっ!」
逆手に持ったナイフによる右下から左上への斜め切り上げ。
もちろん、こんな攻撃が通るとは思っていない。予想通り、僕の渾身の攻撃は先ほどと同じように、棍棒によって防がれてしまう。
でも、僕の目的は攻撃を当てることではない。
「おらぁぁ!!」
ナイフを振り上げた勢いを利用し、右足を蹴り上げバク転する。僕の蹴りは見事そいつの持つ棍棒を打ち上げ、今まで堅固に守られていた身体が現れた。
守りを破り、態勢を崩すこと。それが、僕の目的だった。
本来、呪術を使っていない僕の力などではどんなに頑張ろうとも、ハイゴブリンの持つ巨大な棍棒を蹴り上げることなど不可能だ。しかし、相手の力を利用すれば、それも可能となる。
二足歩行の生物が立ち上がるとき、重心は一度前に移動し、その後上に行く。それに伴って、身体、ないしは装備品も全て移動する。
つまり、その力を利用すれば、力の弱い僕のような存在でもハイゴブリンをコントロールすることが出来るのだ。
蹴り上げられた棍棒は持ち主の脇を大きく広げ、態勢を崩させる。
その奥に光る瞳には、二度目の驚愕。
強者になればなるほど、不測の事態に慣れ、平常心を取り戻すのに時間がかからなくなる。だが、一度ではなく二度、しかも自分よりも確実に格下の相手ならば尚更、二度目の混乱からはそう簡単に抜け出せない。
――そこを攻める!!
着地した僕は膝を限界まで折り曲げて力を溜め、そいつ目掛けて地面を思いっきり蹴った。
地面すれすれまで体勢を低くし、風の抵抗を少なくする。
より早く、そいつの下に行くために。
心臓は鼓動を跳ね上げ、手からは汗が滲む。
――しくじるわけにはいかない。これが最後のチャンス……。
そう考えたその時、そいつの顔が変わった。
先ほどまでの表情が嘘のように、口が頬まで裂け、びっしりと生えた鋭い牙がそこから覗く。
「え……がお…………?」
――どうして? なぜこの状況で笑える!? もしかして僕は何かをしくじった? 見逃していることがあるのか?
僕の頭の中に一瞬迷いが生じる。だが、時は止まってくれない。そうこうしている間に、僕とそいつの距離は三メトルを切り、すでに引き返せなくなっていた。
――もう間に合わない! やるしかないんだ!!
僕は逆手から順手にナイフを持ち替えて最後の一歩を踏込み、跳ぶ。
そいつの首目掛けて。
ハイゴブリンとの距離は全て埋まり、僕が突き出したナイフが肉を貫いた。独特の感覚が僕の手に伝わってくる。最初は抵抗があるのに、そのあとは嘘のようにスゥと入っていく刃の感覚。
本当ならこれで終わりのはず……だった。
「グゥガッガッガッ!」
ハイゴブリンの笑い声。
――してやられた!!
僕がナイフを突き刺したのは、そいつの首ではない。そいつが左手に隠し持っていた、僕が最初に殺したゴブリンの死体だった。
――クソッ!
僕は混乱しつつ急いでナイフを抜こうするが、思うようにいかない。
その時、ハイゴブリンの瞳がキラリと光る。
「マズイ!!」
その瞬間、そいつが何を考えているのか理解した僕は、すぐさまナイフから手を離し、離脱。
すると案の定、そいつは仲間の死体もろとも僕のナイフを後方へと放り投げた。
「してやられた……」
これで、形勢は逆転してしまった。
武器を持った生まれつきの強者であるハイゴブリンと、武器すら持たない最弱の人間。
これでは勝負にすらならない。
――落ち着け……。落ち着くんだ。
僕は自分に言い聞かせつつ、フル回転で頭を働かせる。
まずは武器を取り戻さないことにはどうにもならない。相手との距離は二メトルほどで、攻撃範囲に入ってしまっている。あいつの攻撃を食らえば、僕なんかじゃ助からない。
つまり……。
――相手が棍棒を振り上げたタイミングで、全速力で脇を抜けて武器を取り戻すしかない。
僕は腹をくくると、不自然にならないよう膝を曲げ、いつでも走り出せる準備をする。
ゆっくりと流れる時間。
僕とそいつは見つめ合い、互いの次の行動を見極めようとしていた。
永遠とも思える時間が流れ、僕がしびれを切らしそうになったそのとき。
「グォオ!」
先に動いたのはハイゴブリンだった。
力を溜め、棍棒を一気に横一線に振り抜いてくる。
「今だ!」
そのタイミングを逃すまいと、僕も思いっきり地面を蹴った。
しかし、
「あっ……」
僕はぬかるんでいた地面に足を取られ、盛大に転んでしまった。
よりにもよってこのタイミングで。
だが僕がどんなに間抜けでも、敵が攻撃の手を緩めてくれることはない。
迫りくる巨大な棍棒。
これに当たれば、即死だ。
――命には代えられない……。
怒った師匠の顔が一瞬浮かぶも、僕はそれを無視してそいつを呼ぶ。
「来い!!」
掛け声に呼応し、呪核が躍動する。脈を打ち、その触手を体全体に伸ばしてくる。
僕はその名を口にした。
「『呪詛・硬重蟻鎧』の呪い!」
呪核が一度鼓動し、全身に伸びた触手が熱を帯びる。
そして次の瞬間、動けないほど体が重くなるのと同時に半透明の赤い鎧が僕を包み込む。
横一線に振り抜かれた巨大な棍棒は発動させた呪いに阻まれて紙一重で僕には届かない。
しかし、
「グゥララララァァァ!!」
そいつはそんなこと気にする素振りすら見せず、一気に棍棒を振り抜いた。
とてつもない衝撃が体を貫通し、僕はフィールドの端にあった大樹に叩きつけられる。
肺からは全ての空気が吐き出され、そのまま魔樹海の木を背にして座り込むことしかできない。
目の前には棍棒を引きずってゆっくりと近づいてくる一匹の強者。
逃げようにも体は動かず、立ち上がることはおろか、指一本動かせない。
「う……あ…………」
先ほど発動させた呪詛は叩きつけられた衝撃で解けてしまい、再度発動させようにも声すら出すことが出来なかった。
まさに絶体絶命。
「…………」
僕は異様に重たい首を上げ、眼前に立つそいつを見上げる。
「――!?」
そいつの顔には、笑みが浮かんでいた。
口は耳まで裂け、そこから覗く鋭い牙からはヌラヌラとした唾液が滴る。
まさに、ご馳走を目の前にした怪物だ。
僕はそいつが喜々とした表情で武器を振りかぶるのを瞳に映しつつも、頭では冷静に次のことを考えていた。
なぜなら、
「ハルはいつも詰めが甘いな」
この場には僕のほかにもう一人、頼りになる彼女がいるから。
「全く……。困った弟子だよ、君は」
少しハスキーなその声が聞こえた瞬間、僕の目の前で棍棒を振り上げたハイゴブリンの胴体に一線の光が走る。
「グルァ!?」
そいつの間抜けな声が聞こえたのはほんの一瞬で、すぐさま線に沿って体がずり落ち、真っ赤な血が飛沫を上げた。
決着だった。
ハイゴブリンは何の抵抗もなく絶命したが、僕の鼓動は高まったまま。
――やっぱり、この人は強い。僕なんかじゃ、まだまだ追い付けないほどに。
「怪我はないか、ハル」
鮮血の壁がなりを潜め、その奥から一人の美女が姿を現した。
深海を思わせる美しい紺碧の長髪には血の一滴もついてはおらず、黄昏のような真紅の隻眼はキラキラと輝きを放つ。
命の恩人であり、唯一の家族。
そして、絶対の信頼を寄せる僕の師匠。
ソフィアさん。
彼女は呆れた表情を浮かべて右手の呪術を解除しつつ、座り込む僕の下まで歩いてくる。
「君は、私にどれほど心配させれば気が済むんだ?」
僕はそんな小言を聞きながら、差し出された彼女の右手を掴んだ。




