第1話 「忘れ去られし力」
今回も長めの七千字です。
魔法学院では魔法の理論や体得、周辺諸国の情勢などのほかに、魔樹海についても勉強する。
そこでは、魔樹海は太陽の光が入らず、一年を通して暗いこと。
その樹海は生命力が強く、伐採してもすぐ元通りになってしまうこと。
魔獣が蔓延り、とてもではないが人が住むことは出来ないこと。
魔樹海は魔獣に汚染されているため、食べ物はおろか、飲み水すら確保できないことなどを教わった。
しかし、実際師匠に連れられて歩いた魔樹海は、学院で習っていたものとはだいぶ違った。
確かに木々が生い茂り太陽の光は一切入ってこないが、よく見ると所々に光るコケやキノコ、草花があり、歩くには困らない程度の光はある。
また魔獣に汚染されていると聞いていたが、場所によっては清流があり、多くはないものの果物がなっている木々もある。
そして何より、数えきれないほどいると思っていた魔獣には今の今まで一度も会っていない。
学院で教えられるのと、自分の目で見るのとではだいぶ違った。
「どうしてこんなに魔獣に出会わないんですか? 学院では樹海の中は魔獣がうようよいるって聞いてたんですけど」
「ん? ああ、それはこの臭い袋のおかげだよ」
師匠は首にかけていた小さい巾着を見せてくれる。
「この中には魔樹海に自生している『ポルメ草』という薬草をすりつぶして丸めたものが入っているんだ。これは、人間には分からない臭いを発していて、魔獣はその臭いが嫌いなんだよ」
「へぇー、そんなものがあるなんて、学院でも教えてもらったことないです。――でも、だったらなんでさっきの魔獣は逃げなかったんですか?」
師匠は僕の質問に、悪戯っぽくニカリと笑う。
その表情は少女のように可愛らしく、少しドキッとする。
「この世に万能なものなどないさ。この臭い袋は、遠くにいる魔獣は近寄ってこないが、いったん近づいてしまうと、この臭いが嫌いなために優先的に襲ってくるようになるんだ」
「だからあの時、僕から師匠へと興味が移ったんですね」
「そういうことだ。この臭い袋はある程度強くないと全く役に立たない」
「師匠強いですもんね! 魔獣をこう、素手でスパンスパン切り倒して、本当にすごかったです! ……あれどうやったんですか?」
「そう慌てるな。詳しい話しは入ってからだ。着いたぞ」
「えっ?」
師匠が視線を向けたその先に、それは建っていた。
魔樹海の中にひっそりと佇む一軒の平屋。
家の周りに木々は生えておらず、代わりに微かに光を放つ白銀の草が家を囲むように生い茂っていた。
その光景は幻想的で、ここが魔樹海ということを忘れてしまいそうになる。
「この家の周りに生えている草が、ポルメ草だよ。すりつぶした方が効果があるんだが、この状態でも弱い魔獣は寄ってこないからこうやって植えておくと便利なんだ」
「……すごく、きれいです」
僕の視線がその場所に釘付けになる。
昼間なのに暗い魔樹海。
星のような光を放ち、魔樹海を淡く照らす白銀の草。
そこにポツンと建っている一つの家。
これらの光景は、まるで僕が魔樹海ではないどこか別の場所に迷い込んでしまったかのようだった。
きっと今の僕は、子どものように瞳をキラキラと輝かせているに違いない。
思わず「きれいです」ともう一度呟いてしまった僕に、師匠は不意に小さな笑みを漏らす。
「フッ。……そうだな。確かに、言われてみるときれいだ。こんな感情、しばらく忘れていたよ」
「えっ? それはどういう……」
「こうやって君と話しているのも悪くないが、立ち話もなんだ。中に入ってお茶でも飲もう」
師匠はそう言うと、呆けている僕を置いて一人で行ってしまう。
さっきの言葉はどういう意味なのだろう。
僕はそう思いつつも再度問いかけるようなことはできず、黙って師匠のあとに続いた。
家の中は、いたってシンプルだった。
薪をくべて料理をするためのかまどに、飲み水を溜めておく水瓶。
その他には、簡素なベッドが一つとギチギチに入っている本棚が二つ、そして家の中央に四人掛けのテーブルが一つあるだけだった。
これ以外は何もなく、女性の家にしては物が少ない。
まぁ生まれてこのかた女性の家に入ったことなんてないんだけど。
「魔獣から逃げて疲れたろ。適当に腰かけてくれ。今お茶を淹れよう」
「じゃあお言葉に甘えて」
僕はテーブルの椅子に腰かける。
師匠の言う通り、魔獣から逃走するため全力疾走したので、足も体力も限界だった。
情けないけど、立っているのもやっとという感じで、寝ろと言われた今すぐにでも寝れる。
そんな僕に気づき、気を使ってくれるこの人は本当にやさ……、
「ブフゥゥッッッッ!!! ちょ、ちょっと師匠!? なんて格好を……っておわ!!」
あまりの驚きに、僕は椅子ごと後ろにひっくり返る。
「あいたっ!」
「お、おい、大丈夫か?」
転んだ僕を心配して駆け寄ってきてくれる師匠だったが、それどころではない。
タイトなズボンのため鍛え上げられた脚とお尻はその線をはっきりと主張し、丈が短いタンクトップから見えるお腹は筋肉質ながらも女性らしい丸みを備えている。
そして何より、タンクトップごときでは隠すことが出来ないほど大きなその胸に、僕は思わず赤面してしまう。
ローブを羽織っていたから分からなかったが、ここまで凄いなんて。
師匠は美人だけれど話し方が妙に男っぽかったり、魔獣を素手で倒してしまったりなどで気にかけていなかったが、やはりこの人も女性なのだと変な再確認をしてしまう。
あまりの恥ずかしさに、僕は真っ赤になった顔を腕で隠す。
「ちょ、ちょっと待ってください! なんなんですかその恰好は!?」
「ん? なんだと言われても、ただの普段着だが?」
「も、もっと自重してください! こ、これからは僕も一緒に暮らすんですよ!?」
僕が喚くのをよそに、師匠は綺麗な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「んん? なんだなんだ、もしかして私に欲情したのか?」
「し、してません!!」
「ハルも男の子なんだな。なに、恥ずかしがることはない。君ぐらいの男の子なら普通だ。何ならもっと見てもいいんだぞ? ほれほれ」
師匠は悪い笑みを浮かべたまま、自分の豊満な胸を両手で挟みムニムニと形を変える。
「ほれほれ、これがいいのか? これがいいのか?」
「し……」
「なんだ? もっとおっきい声で言わないと聞こえないぞ?」
「し……」
「し?」
「師匠の……」
「師匠の?」
「師匠のバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僕の虚しい声が静かな魔樹海にこだました。
「すまん。悪ふざけが過ぎた」
「ホントですよ……」
やっと落ち着いた僕は、目の前に置かれたお茶を一口すする。
結局、師匠の説得は出来ず、あの姿のまま僕の対面に座っている。
こればかりは慣れるしかない。
とりあえず今は目の前で揺れる大きな胸を見ないようにしよう。
「ゴホン。それでは、そろそろ本題に入ろう」
師匠は一つ咳払いすると、体を乗り出し僕の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「ハルは、『魔法師』や『祈祷師』を知っているか?」
「はい。一応、学院で習いましたから」
『魔法師』
体内の魔素と呼ばれるものを使い、周りの自然に影響を与え超常的な現象を起こす者のこと。
魔素は生まれたときから持っていて、ある程度成長すると体内でも生成することが出来るようになる。
魔法は六歳の春に神殿と呼ばれる場所で祝福を受けることによって誰でも使えるようになり、ほとんどの人がこの祝福を受ける。
基本的に魔法は、炎、水、風、土の四属性から成っており、これらの自然に働きかけるものを総称して魔法と呼ぶ。
だから魔法は自然に働きかけることは出来るが、人体に直接働きかけることはできない。
ちなみに、人によって働きかけることが出来る属性は決まっていて、通常一つから二つだが、僕の憧れであり目標であるセレナさんは王国で唯一全属性が使えるらしい。
この魔法とはまた別の超常的現象を起こすのが『祈祷師』と呼ばれる人たちだ。
これも魔法と同じく体内の魔素を使うが、起こす現象は全く違う。
魔法は人に直接働きかけることはできないが、祈祷はその逆。
自然に働きかけることが出来ない反面、人体に干渉することが出来る。
祈祷とは、人体に直接働きかけ、治癒力を向上させることによって傷や病気などを癒すことが出来る技術。
だから祈祷師は別名回復師とも呼ばれる。
祈祷師になるためには教会で祝福を受ける必要がある。
なんでも神と契約し、人を癒すための力を授かるのだそうだが、詳しいことは分かっていないらしい。
また魔法とは違い、契約するためには神に愛されてなければならず、誰でもとはいかないのだそうだ。
「今の説明でだいたい合っている。魔法師も祈祷師も人外の強力な力がある。だが、この世の中には忘れ去られたもう一つの力があるんだ」
「もう一つの力……。それって……」
「そう、私が使った力。昔の人々はそれを『呪術』と言った。――私は『呪術師』だ」
『呪術師』
人を呪う者。
その言葉からすでにやばい感じがする。
というか怖い。
人を呪うなんて、明らかに悪者だ。
悪だ。
勝手だとは思うが、なんかこう、もっと勇者的なやつとかヒーローっぽいものを想像していた。
あからさまにガッカリしている僕を見て、師匠は苦笑いする。
「そんな落ち込むな。魔法のようにはいかないが、呪術でも強くなれる」
「……本当ですか?」
「ああ。ハルの前で魔獣を倒したろ? それに、大事なのはどんな力なのかということではない。その力をどのように使うかだ。そうだろ?」
「そう……ですね。そうですよね。大切なのは力じゃない。気持ちですよね」
「そうだ。そして、君にはその気持ちがあると私は思っている」
「はい!」
元気よく返事をする僕に、師匠はうむと頷くと、お茶を一口飲む。
「では、まず呪術について説明していこう」
「お願いします!!」
「呪術とは、魔法、そして祈祷と肩を並べる強力な力のことだ。魔法は人に直接干渉することが出来ず、祈祷は他者に干渉できるが回復しか行うことが出来ない。だが、我々呪術師は違う。呪術は自然に干渉できない反面、人体に干渉することができ、攻撃も回復も行うことが出来る」
「えっ?」
僕は思わず言葉を失う。
それはつまり、魔法と祈祷の良いとこ取りみたいなものだ。
自然に干渉できなという事を差し引いても、強すぎる。
僕は期待に胸を膨らますが、師匠はお茶を一口すすり、ただしと言葉を続ける。
「呪術を使うまでには、魔法や祈祷には無いクリアするべき多くの問題がある」
「問題?」
「そうだ。最初の問題が、呪術師になるということだ。呪術は普通の人間には見ることも使うこともできないからな」
「それは神殿で祝福を受けるみたいなものですか?」
師匠は頭を振る。
「少し違う。『呪核』という呪術をしまっておく核のようなものをある古種から譲り受けなければならない。これがないと呪術を使うことも体得することもできないからな。古種については学院で習ったか?」
「一応……」
古種。
太古の昔から魔樹海に住んでいて、人外の姿で人語を操る怪物。
種族ごとに集落を形成していて、種族の数は最低でも数十はあると言われている。
人とは敵対関係にあり、正確は凶暴。
人を襲っては食べているらしい。
「ふむ。やはりな」
「何がです?」
「前半は合っているが、後半は完全に間違いだ。いいか? 古種は確かに凶暴なやつもいるが、それは種族や個体による。人間と一緒だ。そして、人は食べない」
「ええっ!?」
「古種は古から魔樹海に住んでいて、それぞれが独自の技術や知識を持っている。人間はその知識を狙っていてな。古種狩りなるものが多く行われていたんだが、返り討ちにされてきた。多分、その腹いせだろう。種族にもよるが、大半の古種は良い奴だぞ」
「呪核の古種もですか?」
「もちろんだ。多分、古種の中では一番気のいい奴らだと思うぞ。森の賢者と呼ばれるくらいだからな」
僕は胸を撫でおろす。
「安心しました。もしかした食べられちゃうかと。――それで、その森の賢者に呪核を授けてもらえばいいんですか?」
「それがそう簡単にはいかない。順番に説明しよう」
師匠は身を乗り出し、その真紅の瞳で僕を真っ直ぐに見つめる。
「呪術には大きく分けて呪噤と呪詛と呼ばれるものがある。呪噤とは古種に対価を払い授かるもので、強力なものが多い。一方、呪詛と呼ばれるものは、同じ魔獣を大量に殺したり、魔獣が進化した魔怪と呼ばれるものを倒すと手に入れることが出来る。呪噤と比べると入手が容易なため、効果は呪噤よりも幾分か劣る。つまり、魔法とは違い、その都度古種が要求する対価を支払ったり、魔獣を多く倒すことでしか呪術師は強くなれない。だから、簡単には強くなれないんだ」
「望むところです! 僕は人一倍努力しないと強くなんてなれませんから。――とすると、その呪核というものを授けてもらうには、対価を払わなきゃならないんですね?」
師匠は僕の言葉に、静かに微笑む。
「そういうことだ」
対価。
力を授かるためにクリアしなければいけないハードル。
例えどんな対価だろうとも払ってみせる。
誰よりも強くなるために。
「そんなに気負わなくてもいい。種族によって対価は違うが、どんな対価だろうと、私が出来ることなら全力でサポートしてやる」
「はい!!」
笑顔で返事をする僕に、師匠も笑顔で返してくれる。
この人は本当に優しい。
まだ出会って一日も経ってないけど、僕はこの人の弟子になれて本当に良かったと思える。
「どうかしたか?」
「い、いえ。何でもありません!」
思わず顔がにやけてしまっていたらしい。
「――そ、そういえば、クリアしなきゃならない問題は対価だけですか?」
気づかれた恥ずかしさに、半ば無理やり話題を変える。
我ながら下手くそだ。
「いや、呪術を行使する際にもある」
「まだあるんですか?」
「ああ。ここからが本番だ」
師匠は先ほどとは違い、意地悪そうな笑みを浮かべる。
ついさっき出会ったばかりだが、師匠のこの顔を見慣れてきている自分がいる。
「古種から授かる呪噤も、魔獣を倒して手に入れる呪詛も、大別すると自分に作用させるものと、他者に移しその者に作用させるものの二つがある。そしてこのどちらでも、呪術の効果を発揮させるためには、呪術ごとに決まったものを差し出したり、クリアしなければならない条件がある」
「どういうことですか?」
「自分に作用させる呪術に、自分の筋力を上げるものがある。だが何もせずにその効果を発揮させることはできず、何かを差し出さなければならない。これを『代償』という。代償は呪術ごとに決められていて、簡単なものだと味覚の鈍化、重いものになると視力のはく奪などがある」
「ええっ!?」
つまり、目が見えなくなるってこと!?
視力がなくなるのは困る。
そんなことになったら強くなるどころの話ではない。
しかしあたふたする僕を見て、師匠はクスリと笑う。
「心配するな。代償は一時的なものだ。呪術を解除したら元に戻る。そうじゃなければ、今頃私は死んでいる」
た、確かに言われてみればそうだ。
思わず焦ってしまった。
「続きを話すぞ。今のが自分に呪術を使う場合だ。これが他人に使おうと思うとさらに厳しくなる。まず、自分の呪核に入っている呪術を相手に移さなければならない。これは目を合わせることや、せいぜい難しくても接触程度だ。だがそれを発動させようと思うと難しい。発動させたい場合、呪術ごとに決められている条件をクリアしなければならない。これを『制約』と言う。これには自分がクリアするものと相手にさせるものがあり、自分がするものでは相手に傷を負わせるといったものや気絶させるというものがある。一方で相手にクリアさせるものでは、自分の言ったことを破らせるといったことや、逆に順守させるといったことがある。これらを満たして初めて相手に呪術を行使できるんだ」
「そ、それは結構難しいですね……」
「そうだろ? 相手に呪いをかけるということは、そういうことだ。だから、使う際は細心の注意を払い、リスクを背負うのと同時に大きな覚悟を持つ必要がある」
思わず俯いてしまう。
リスクと覚悟。
相手に害をなそうという以上、それは当然のことかもしれない。
でも改めて考えると、怖気づいてしまう。
自分がリスクを背負うことがではない。
相手に害をなすことが、怖い。
こう考えてしまう時点で、僕には覚悟が足りないのかもしれない。
「……師匠」
「何だ?」
「僕は師匠みたいになれるんでしょうか? こんなに弱くて覚悟も持っていないような僕が……」
「心配いらない。君なら大丈夫だ」
柔らかい声。
「私はハルが優しいことを知っている。他人のために頑張れることを知っている。それはどんなことよりも大切なことだ。最初から覚悟を持っている奴などいない。慌てる必要はないんだ。それに、さっきも言っただろ? 私は私にできることなら全力でハルを助けるって。だから、ハルは私を信じて、ついてくればいい」
少しハスキーで優しい声。
その声に言われると、なぜかそのような気がしてくる。
「ありがとうございます。僕、頑張れそうな気が…ってわぁ!!」
師匠は体を目いっぱいテーブルに乗り出し、僕の頭を乱暴に搔き乱す。
「分かればよろしい!」
師匠はそう言うと頭を撫でるのをやめ、立ち上がり腰に手を当てる。
「さて、最低限のことは話した。明日はさっそくハルに呪核をくれるよう森の賢者に会いに行くぞ。今日は早く寝るように!」
「はい!」
「と、その前に、夜ご飯だな。今日はハルと出会えた記念すべき日だ。ここは豪勢にいくか!!」
「本当ですか、師匠!!」
「もちろんだとも!!」
魔樹海に佇む一軒の平屋。
白銀の光に包まれた家は、美味しそうな香りと共に深夜まで楽しそうな笑い声がしているのだった。