第26話 「想いの強さ」
今回の文字数は4000字程度です。
【目覚めの時間だ】
誰のものとも分からないその声に導かれるように、僕は目を覚ます。
目の前には、赤紫の甲殻を光らせる巨大な怪物。
アーミーアントの魔怪。
そいつは今まさに、最大の武器である鋭い牙を振り下ろそうとしている所だった。
「くっ!!」
一瞬にして現状を理解した僕は、瞬時に転がるようにしてその場から退避する。
ドォォォォン!!
体の芯に響くような轟音に、舞い上がる土煙。
衝撃は凄まじく、僕は容易に吹き飛ばされる。
ゴロゴロと転がり体のあちこちを強打するも、そんなことに構っている暇はない。
「あ、危なかった……」
今の一撃を受けていれば、確実に死んでいただろう。
現実世界ではコンマ何秒という時間でも、僕にとっては何十分、何時間とこの場から離れていた感覚だ。
僕の実力で今の動きが出来たのは奇跡だろう。
いや、そうじゃない。
もしかしたら、生まれたその瞬間から、奇跡の連続だったのかもしれない。独りぼっちだった僕にカムルという親友ができ、セレナさんに命を救われ、師匠と出会い、力を貸してくれる仲間に出会い、そしていつ死んでもおかしくなかった状況を何とかして生き延びてきた。
これは奇跡以外の何物でもない。
僕は痛む体を無視して立ち上がる。
左腕は動かず、右足には酷いやけど。全身傷だらけで、文字通りの満身創痍。
それでも、僕はこうして今この場に立てている。
生きている。
偶然という名の奇跡と、みんなの力で、僕は生かされているんだ。
僕はその事実を胸に刻み、目を閉じて一度深呼吸。
そして決意を新たに、僕は目の前の光景を見る。
密集した住宅に、開けた広場。
そして、対面するは絶対的強者であるそいつ。
――もう二度と、現実から目を逸らしたりしない!
半身になりつつ腰を落とし、右手のナイフを構える。
そして、僕は呼んだ。
「来い!」
呪核がまるで生きているかのように蠢いたかと思うと、胸から首、首から顔へと触手を伸ばし、それが目の周りで動きを止めたのと同時に、僕はその名を口にした。
「『呪噤・名高き狩人の双眼』」
呪核が幾度となく脈を打つ。鼓動を刻むたび、触手を通って僕の瞳に熱いものが流れ込んでくる。
まるでズーシャさんの想いが伝わってくるかのような感覚。力強く、そして優しい。
「ギイイイイイイ!!」
つんざくような雄叫びを上げ、アーミーアントが大きな瞳を緩慢な動きで僕へと向ける。
いや、緩慢に見えた。
視界から色が消えていく。
光り輝く太陽も、透き通るような青い空も、毒々しい怪物の体も、この世から色という情報だけが抜け落ちて、全てが白と黒だけで構築される。
そして、時間がゆっくりと流れだす。
敵の動きだけじゃない。
空を舞う木の葉や崩れ落ちる瓦礫、僕を含めた世界の全てが緩慢としていた。
――これが呪噤…………。
古種の人たちから授かることが出来る、魔法とも祈祷とも違う第三の力。その力は控えめに言っても、強力だった。
鱗族のズーシャさんから授かったこの『名高き狩人の双眼』は、色彩を代償にして動体視力と思考速度を著しく向上させる呪噤だ。それらが向上することによって、全ての動きがゆっくりに見える。ただし、自分自身が早く動けるわけではないため見えていても対処できないこともあるし、周りと自分の思考速度の間に差があるため会話をすることが出来ないというデメリットもある。
またそれによって、詠唱系の呪いを発動させる際には、いったんこの呪いをオフにする必要もあった。
しかしそれを考慮しても、この呪噤は強力だ。
まさにガノンの言っていたことを体現しているかのような呪い。
「――――――!!」
アーミーアントが何かを叫んだ素振りを見せたかと思うと、ゆっくりとした動きで一番前の右足を横一線に振り抜いてくる。
しかしそれが僕に当たることはない。ゆっくりに見えるそれを僕は紙一重で躱していた。
――見える!!
右の振り下ろし。左の振り抜き。左の振り下ろし。右の振り抜き。そして体当たり。
僕はその全てを余裕で躱す。
これならいける。
だがそう思ったのもつかの間、僕に当たらないことにイラ立ったのか、そいつの攻撃が次第に激しさを増していく。
段々と攻撃速度が増し、規則性を失っていく。
僕はその全てで何とか致命傷を与えられないよう躱していたが、このままでは流石にもたない。案の定、躱し損ねた攻撃によって僕の体には幾つもの新しい掠り傷が生まれていた。
――このままじゃマズイ。とにかく呪術を使うスキを作らないと……。
次々と繰り出される攻撃を躱しつつ、僕はガノンの助言を忠実に守るように相手を観察しスキを窺う。
そうしてギリギリの攻防を続けていく中、それは来た。
大きく振りかぶられた右前足。今までとは明らかに違う大きなモーション。
それはしびれを切らしたことによる、偶発的なスキだった。
振りかぶれば振りかぶるほど、威力は高くなる。そして、威力が高くなればなるほど、次の動作は遅れる。
――ここしかない!!
振り下ろされ、体横を紙一重で通過する鋭いかぎ爪。
僕は半身になることで無事必殺の攻撃を躱した。
獲物に当たることなかったそれはそのままの勢いで地面に直撃し、聞こえない轟音と共に大量の土煙を舞わせる。
――今だ!!
呪噤を解除。
世界の速さが普通に戻るのと同時に、僕は回れ右をして家に向かって全速力で走り出す。
足が痛いとか、体中が傷だらけとか、そんなものは関係ない。時間を稼ぐためには、これしかなかった。
正直、かなりの賭けだ。もし失敗すれば、僕は間違いなく死ぬ。
一世一代の大勝負だ。
目の前に家の扉が近づいてくる。それでも、僕は足を止めるような事はしない。ただ足を動かし続ける。
そして、それが目前まで来た時、僕は扉のドアノブに足をかけ、跳んだ。
思いっきり高く。
それこそ、頭上に広がる透き通るような青空に手が届くのではというほど、高く。
しかし上昇の速度は次第に落ちていく。
当然だ。人に翼はない。飛ぶことはおろか、空に手が届くはずもない。
それでも、僕はそこに手を伸ばすことをやめない。
――だって…………。
僕は落下が始まるそこで、体を思いっきり反らす。
バク天するような形で、一瞬空中で体が逆さまになる。
目下の光景に、僕は賭けに勝ったことを確信した。
逃げる僕を追いかけるため、己の巨体を加速させたアーミーアント。しかしそいつの目の前に僕はいない。
自分が舞い上げた土煙で視界が効かず、音だけで判断して追いかけてくると信じた僕の作戦勝ちだ。
加速してしまったあいつの巨体では急には止まれない。
つまり……。
ドォォオォォォォンン!!
そいつは減速することなく、目の前の家に頭から突撃した。
僕は空中で体を捻り、アーミーアントの背中に着地すると、そこを駆けて地面に降り立ち、そいつとは真逆の方に走り距離を取る。
セレナさん達がいる通路の前。そこで僕は方向転換して、そいつを視界に収める。
民家に頭から突っ込んだアーミーアント。そいつは抜け出そうともがき暴れるが、家は衝撃によって崩壊し、大量の瓦礫がそいつの頭にのしかかっているため上手くいかない。
「ここからが、本番だ!」
作戦が成功した安堵もそこそこに、一つ息をついて僕は自分の切り札――――それの詠唱を始めた。
「〈我が名は愚者、敗者にして憐れな道化〉」
詠唱と同時に、呪核が騒ぎ出す。うねり、脈動し、震える。呪核から触手が伸びる。
「〈心と体をメッキで覆い、救世主を名乗るその姿は、ハリボテの案山子〉」
絡みついてくるそれは、まるで僕を逃がさないと言っているように腕、足、体、その全てに伸びてくる。一度この力を知ってしまえば、もう逃げることも、手放すことも出来ない。
「〈憧れを抱き、涙を流しながら笑うそれは、まさに道化〉」
この詩は嫌いだ。
まるで自分のことを言っているようで、これを唱えるたび、どうしようもない現実を見せつけられているような気分になる。
それでも、僕はこの詩を捨てることはしないだろう。
もう知ってしまった。全てを失う悲しみを、絶望に抗う怒りを、勝利を手にする喜びを。
これらを知ってしまった今、もうこの力から逃れることは出来ない。
「〈叶わぬと知りながら諦めぬその背中に、人々は嘲笑と共に指を差す〉」
実際笑われ、後ろ指を差されているのだろう。
無謀で馬鹿らしく、子供じみた夢。
まさに道化だ。
笑わない方が可笑しい。
『君は、呪術を使いこなせていない』
あいつはそう言っていた。
『呪術は他の呪噤や呪詛とは違う。あれは君なんだ。他ならぬ、君自身の想いが力となったものなんだ』
『だから、恥も外聞もかなぐり捨てて、全てを込めて詠えばいい』
『ただ力の限り、自分の想いを詩に乗せればいいんだよ』
詩に全てを込める。
恥も外聞も捨てて。
――その通りだ。
僕は何を恥ずかしがっていたんだ?
恥ずかしがることなんて、何もない。
笑われたってかまわない。
今は、僕の想いを分かってくれる人たちがいる。
もう昔とは違う。
「〈傲慢にして強欲の我は――――〉」
強くなりたい。
みんなを守りたい。
もう誰も失いたくない。
だから…………。
だから、全力で詠え!!
「〈今、歩む!!!!〉」
呪核から伸びた触手から熱が伝わってくる。
それは今までの比ではない。
熱い。
まるで体中が、心が燃え盛っているような、それでいて頭の中がぼやけ、熱に浮かされ夢の中にいるような、そんな感覚。
僕はその夢の中で、そいつの名を口にした。
「『呪術・罪深き愚者の敗走!!』」
体が一気にだるくなり、体力がごっそり持っていかれるのを感じる。しかし、それと同時に体中の熱は力へと変換され、今までに感じたことのない万能感が襲ってくる。
――これならいける!!
そう思った瞬間。
ドォォン!!
そいつが瓦礫の中から脱出し、その複眼をこちらへと向けた。
怒りに震える瞳、屈辱に燃える体。
「完全に怒らせちゃったかな……」
僕は一度深呼吸し、顔だけを後ろに向ける。
今のまま戦っても、決定打に欠ける。
倒せればそれでいいが、万が一にでも逃げられれば、被害者はここの比ではなくなる。
だからこそ、
「お願いしたいことがあります、セレナさん」
僕は背後にいる、その人の名を口にした。




