プロローグ 「出会い」
字数は七千字と少し長めです。
早朝にもかかわらず、その森はまるで深夜のように闇が侍り、漆黒が辺り一帯を支配していた。
そこはいくつもの大樹の葉が空を覆い、太陽の恩恵が一切届かない未開の地。
世界唯一の大陸『ウォルス』の四割弱を占める広大な樹海は、昼夜問わず魔獣が蔓延り、普通の人間ならばどんなに腕に覚えのある猛者でも、ここに足を踏み入れるようなことはしない。
しかしそんな森の中を、栗色の髪と瞳を有した一人の少年が走り抜けていた。
魔樹海。
魔獣が闊歩し、真の強者でなければすぐに命を落としてしまう現世の地獄。
王国魔法騎士団のメンバー以外は決して足を踏み入れないこの魔境で、突然眠っていた才能が開花した僕は、次々と魔獣を屠る。
森を走り抜けながらふるう刃には、その速さから魔獣の血液が一滴もついていない。
一人で樹海に入り魔獣を狩っている僕は、人々から尊敬の眼差しを向けられ、いつしか救済者と呼ばれる……。
そうなれば、自分を馬鹿にしていたあいつらを見返すことが出来るし、あの日出会ったセレナさんにまた一歩近づくことが出来る。
そうすれば、彼のような優しい奴を死なせずに済むのだ。
だから僕は、足を動かし腕を振るい続け、魔獣を狩って、狩って、狩りまくる。
はずだった。
僕は懸命に足を動かし腕を振り続ける。
しかしそれは魔獣を狩るためではない。
いつの間にか狩る側から狩られる側に強制ジョブチェンジさせられたからである。
結論から言うと、僕は間違っていた。
眠れる才能などなく、魔獣に掠り傷一つつけることはできない。
故に当然のごとく、僕は死にかけていた。
「ガグワァゥ!」
「ひっ!」
後ろから追いかけてくるクマ型の魔獣の咆哮に、自分でも聞いたことのないような情けない声が喉から漏れる。
このままだと確実に死ぬ。
それはもう無残なまでに殺される。
――死にたくない!
ただその一心で、僕は足を動かし腕を振り続ける。
体はとうに限界で、額からは玉のような汗が滴り、喉からはヒュウヒュウと変な音が鳴る。
それでも、足を動かし続けなければならない。
逃げなければならない。
だって。
「だってこんな所で死ぬわけには……あだっ!!」
物語ならば何かが目覚めるようなこの場面で、僕は盛大に転んだ。
しかもバナナの皮で。
人里離れた魔樹海に当然バナナの皮なんぞ落ちてるはずもないのだが、寄りにもよってこのタイミングで偶然落ちていて、これまた偶然それを踏んでしまうとは、なんという運のなさ。
この時ばかりは、自分の間抜けさを呪いたい。
そして、こんな所にバナナの皮なんぞを捨てた輩を小一時間ほど説教してやりたい!
しかしそんなことをしてる時間は、もう残されていなかった。
「グルァァ!」
「ひっ!」
僕が転んだのを見て、クマ型の魔獣は速度を緩め悠然と近づいてくる。
四足歩行の状態で優に二メトルはあろうかという巨体に、そこら辺の木ならば簡単に切り倒してしまえそうなほど鋭い爪。
その迫力に、僕はなす術なく、お尻を引きずりながら後退る。
恐怖でカチカチと鳴る歯に、震えが止まらない身体。
周りは無駄にでかい草木ばかり。
人どころか動物すら見当たらない。
これは確実に殺される。
なんせ獲物と言えるものは僕しかいないのだから。
どうしてこんなことになってしまったのか。
昔の僕なら、こんなことになる以前に、魔法学院に入学しようとすら思わなかっただろう。
あの日、唯一無二の親友を失い、後に僕の憧れとなる彼女に出会わなければ。
「逃げろハル! お前だけでも生き残れ!!」
六歳の少年が命の危機に瀕したとき、自分よりも他人を優先できる人間はどのくらいいるだろう?
僕の親友で家族だったカムルは、それが出来る子どもだった。
でも世界は非情で、そんな優しい彼は僕の代わりに殺された。
アリのような魔獣。
そいつらはいつもそうしているように、こうするべきだというように、僕の親友を食い殺した。
憎い。
友を殺した魔獣が憎い。
友のような優しい人間が死ななければならない世界が憎い。
そして……。
何もできない自分が憎い。
六歳でまだ子供だった僕は何もできなかった。
ただ親友が目の前で殺されるのを見ていることしかできなかった。
命を捨てる覚悟で仇を討たないなら、命をなげうった友の言葉に従うべきだった。
それがせめてもの、僕の取るべき行動だった。
でもできなかった。
親友を目の前で殺した魔獣の恐ろしさに、ただただへたり込むことしかできなかった。
そして魔獣がそんな僕を次の標的に定め、僕自身が生きることをあきらめたその時、彼女は来た。
どこからともなく現れた、金の瞳に白銀の髪を有する少女。
歳は僕とさほど変わらないはずなのに、纏っているオーラは今まで出会ったどんな大人よりも遥かに力強く暖かかった。
彼女は呼吸をするように魔法を使い、僕を襲おうとしていた数匹の魔獣をたった一人で蹴散らしてしまった。
その姿は本当に美しく、まるでどこかの女神のようだった。
僕もこんな人になりたいと、憧れを抱いた。
守りたい人を守れる強さ、どんな危険にでもそこに飛び込む勇気、絶対に見捨てない覚悟。
このどれか一つでも僕にあったのなら、カムルは死なずに済んだかもしれない。
だから、僕はこの時決めた。
この人、セレナ・オルテンシアのようになると。
そして、もう二度と守りたい人を失わないと。
そこからはあっという間だった。
セレナさんに助けられた僕は、魔法学院に入学するために昼夜問わず働いてお金をため、独学で魔法の練習をした。
王国の歴史などは捨てられていた本を使って勉強した。
そして十五歳になる春、僕は滑り込みではあったが晴れて王立魔法学院に入学することが出来た。
学院に入学してからもある程度は順調だった。
少しでもセレナさんに近づくため魔法を猛勉強し、苦手な座学にも取り組んだ。
成績は中の下とあまりよくはなかったが、これからも人生は続く。
諦めなければ、努力をし続ければ、いつの日かセレナさんのようになれると信じていた。
どんなに周りから馬鹿にされようとも、笑われようとも、諦めさえしなければ、いつかあの背中に追いつくことが出来るのだと信じていた。
でも、世界は残酷だった。
卒業を間近に控えた十七歳の夏、僕は突如として魔法が使えなくなった。
魔法は体の中で作られる魔素を使い、周りの自然に影響を与え発現させる。
しかし、僕の体は魔素を作ることが出来ないらしく、生まれ持った魔素を使い果たした僕は、卒業を目前として魔法を失った。
魔獣が存在する危険なこの世界で、魔法なしではどうあがいても強者にはなれない。
ましてや、国を守る王国騎士団副団長のセレナさんに追いつくことなど絶対にできやしない。
僕は十七歳にして、早くも人生の目標を失った。
そして今日。
魔法が使えなくなった僕は、自主退学するため人生をかけて入学した魔法学院に行き、退学届けを提出した。
しかしその帰り道に、僕は聞いてしまった。
「おい、知ってるか? セレナ様のようになるとか言ってたあいつ、魔法が使えなくなって退学するらしいぞ?」
「マジかよ。あんなに大口叩いてたのにな」
「マジマジ。ホント笑えるよ。あいつなんてセレナ様どころか、騎士団にすら入れねぇだろ」
「それな。強くもないくせして、大それた妄想だよ。てか、どうしてそこまでセレナ様にこだわるんだ? 絶対無理だろ」
「何でも、子どものころに魔樹海で殺されそうだった所を助けてもらったらしいぜ」
「あちゃー。それは夢も見ちゃうわ」
「それでよ、ここからが面白んだけどよ。何でもその時、友達が一緒にいたらしいんだけど、その友達はあいつを助けるために魔獣に食われたらしいんだわ」
「マジかよ。おっかねー」
「そいつも馬鹿だよな。あんな奴を助けるよりも、あいつを餌にして自分が逃げりゃよかったのによ」
「ホントそれな。魔法が使えない奴なんて助ける価値ないっての」
「友だちを犠牲にして生き残ったってことは、あいつが殺したようなもんだろ? よく平然と暮らしていけるよな。俺なら申し訳なくて生きてけねぇよ」
「俺も」
気づいたら、僕はそいつらの笑い声を背に、走り出していた。
悔しかった。
どうしようもなく、憎かった。
あいつらの言葉を否定できないことが悔しかった。
何もできない自分が憎かった。
あいつらの言っていることは正しい。
何も間違っていない。
僕が彼を、カムルを殺したようなものだ。
魔樹海で魔獣に襲われ、僕はカムルを見捨てた。
助ける素振りすらしなかった。
僕は何をした?
あの場で何をしてた?
ただ親友が死ぬところを見てただけだ。
逃げることも、戦うこともせず、ただ見てただけ。
生き残った今ですら、何もしていない。
口ではセレナさんに追いつくため頑張っていると言いつつ、人並みの努力しかしてこなかった。
強さを得るために何かを捨てることも、誰かを守るために命を懸けることもしてこなかった。
結局のところ、僕は自分でやっているつもりになっていただけなのだ。
だから、やってやる。
あいつらを黙らせるほどに。
友の名誉を守れるほどに。
僕が持っている全てを懸けて、強くなってやる。
僕はその覚悟を抱き、魔獣がいる森へとひたすらに走る。
あの人のように強くなるため、そして僕が僕として生きていくために。
なのに……。
なのに、強くなるどころか、今は死にかけている。
「グガァァゥ!!」
一つの咆哮。
振り上げられる黒光りした魔獣の爪。
幾度となく生物の命を奪ってきたであろうその凶器が、今は僕に向けられている。
これが自然の摂理なのかもしれない。
強いものが生き残り、弱いものが死ぬ。
世界はこうやって出来ているのかもしれない。
やはり、僕には無理だったのだろう。
強くなるどころか、一人では生き残る事すらできないほどに弱かった。
でも。
それでも。
――死にたくない!!
僕は爪が振り下ろされるのを想像し、後悔と共に硬く目を瞑った。
だがその時、
「おいおい、やけに騒々しいと思ったら、ガキじゃないか。魔樹海で何をしてる?」
それは不思議なほど静かで、少しハスキーな、聞いていて落ち着くようなそんな声だった。
僕は驚き、声の主を見る。
深海のような青い長髪に、黄昏時を思わせる真紅の瞳を持つ二十代前半ほどの小柄な女性が、そこには立っていた。女性の出で立ちは不思議で、顔の左半分はその長い髪で隠し、纏っているローブは裾が解れているようなボロ布だった。
「……あ、あなた誰ですか? ど、どうしてこんなところに?」
「それはこっちのセリフだ。なぜガキがこんな所にいる?」
「そ、それは……」
「グラガァァ!!」
魔獣の咆哮。
あまりの出来事に忘れかけていたが、ここは魔樹海であり、目の前には魔獣がいる。
しかし魔獣は僕から女性へと興味が移ったらしく、その人の方へと方向転換する。
どうにかしてこの女性を守らなければ。
でなければ殺されてしまう。
そう思った僕は、最後の勇気を振り絞り立ち上がろうとする。
でも、僕の心配は杞憂だった。
女性は面倒そうに右の髪をかき上げると、恐怖もおびえもなく、クマの魔獣に向かって歩いて行く。
それはまさしく晴天の草原を散歩しているかのようだった。
ゆっくりと静かに。
それでいて確実に、巨大な魔獣へと向かっていく。
そして僕を殺そうとしていた魔獣が女性と対峙し、あの鋭い爪を振り上げた瞬間、クマの腕は吹っ飛びクルクルと宙を舞った。
「グラゥァ!?」
「えっ?」
何が起こったのか?
見えなかったわけではない。
理解できなかったのだ。
クマの魔獣が腕を振り上げた瞬間、女性が手刀で魔獣の腕を切り飛ばしたように見えた。
人が手刀で魔獣の腕を切り飛ばすなど聞いたことがない。
見間違えか?
そうでなければ、幻覚でも見ているのだろうか?
しかし、僕の考えはすぐに否定された。
自分の腕が切り飛ばされたことに困惑する魔獣に女性は近づくと、何のためらいもなく、先ほどと同じ手刀でその魔獣の首を切り飛ばした。
宙を舞う獣の頭部。
噴き出す鮮血。
クマの魔獣は何の抵抗もなく絶命した。
あまりに圧倒的な力。
魔法でも剣術でもない、未知の強さ。
この世にこんな強さがあるなんて……。
「おいガキ、大丈夫か?」
あまりの出来事に気づけなかったが、魔獣を手刀で切り飛ばした彼女はいつの間かに僕の目の前に立っていた。
「え、あ……」
「おい、本当に大丈夫か? どこか打ったか?」
そう言って手を差し伸べながら僕の顔を覗き込んだ瞬間、彼女の隻眼が大きく見開いた。
「お前……。まさか…………」
「…………?」
突然フリーズしてしまった彼女に、何が何だか分からない僕は困惑する。
何か気に障ることでもしただろうか?
それともこの魔樹海とは不釣り合いな僕を見て、かける言葉がみつからないのか。
しかしこんな危険な場所にいつまでもいるわけにはいかないし、それにお礼も言いたかったので、僕は意を決して声をかけてみる。
「あ、あの……」
すると、彼女はハッと意識を取り戻し、頭を数度振ると優しい笑みを浮かべた。
「す、すまない。少しぼーっとしてしまった。それよりも、怪我はないか?」
「あ、はい。それは大丈夫です」
「それはよかった」
小さく息を吐き、安心したように笑みを浮かべる彼女に、僕は思わず泣き出しそうになる。
しかしまだ泣くわけにはいかない。
僕は崩れそうになる表情を引き締め正座すると、頭を地面にこすりつけた。
「こ、この度は助けていただきありがとうございました!!」
「えっ!? ええっ!? あ、いや……。そ、そんな大したことは…………」
困惑する彼女の言葉を無視して、僕は言葉を続ける。
「そんなことはありません。あなたが助けてくれなかったら、僕はあのまま死んでいました。あなたのおかげです!」
「き、気にするな。偶然通りかかっただけだ」
「それでも、助けていただいたのは事実です! 迷惑をかけてしまってすみません。 魔樹海の魔獣が強いことも、自分の実力が足りないことも知っていたはずなのに……」
僕の言葉に、彼女は小さくため息を吐くと、その場に胡坐をかく。
「君は馬鹿じゃない。そこまで知っていて、どうしてここに入って来たんだ? 何か理由があるんじゃないのか?」
「そ、それは……」
「いいから話してみろ。人に話したら楽になるかもしれないぞ?」
優しいその声に顔を上げると、そこには僕を真っ直ぐに見つめる黄昏色の綺麗な瞳があった。
その色に勇気づけられ、
「実は……」
僕は正座のまま静かに口を開き言葉を紡ぐ。
子供のころに親友が魔獣に殺されたこと。
自分も殺されかけたこと。
そこをセレナさんに助けられたこと。
彼女に憧れて魔法学院に入学したこと。
自分の体質のせいでやめなければならなくなったこと。
周りには理解されず、笑われたこと。
それでも、強くなりたいということ。
全てを話した。
なぜかその女性には全てを話すことが出来た。
彼女は僕が話している間、ずっと黙って話を聞いてくれて、時折相づちを打ってくれた。
そして全てを話し終わったとき彼女は、
「君は強いと思うぞ?」
そう言った。
まるでそれが世界の真理であるかのように、平然とそう言ってのけた。
「そ、そんなことありません! だって……」
「そうか? さっきは私を守ろうとしてくれたじゃないか。君には優しさと勇気がある。それが強さだと、私は思うぞ?」
そんなことはない。
例え、優しくても、勇気があっても、誰かを守れなければ意味がない。
「僕には、力がないんです。誰かを守れるほどの力がない。これじゃあ、どんなに誰かを守りたいと願っても、それはただの妄想です」
「どうして君は、そこまで力を求める? そのセレナという子に憧れているからか? それとも自分を馬鹿にしていた奴らを見返したいからか?」
確かにそれもある。
セレナさんのようになりたい。
馬鹿にしていたあいつらを見返したい。
でもそれだけじゃない。
「僕は……、僕はもう嫌なんです。何もできなくて後悔するのも、救えるはずだった人が死ぬのも。だから、僕は誰かを守れる力が欲しいんです。世界中の人じゃなくていい。ただ、自分の手の届く範囲の人を守れるだけの力が欲しい。だから、僕は強くなりたいんです」
「ふむ……」
女性は僕の言葉に、思案顔でその形の綺麗な顎に手を添える。
きっと困らせてしまったのだろう。
自分でも馬鹿なことを言っていると分かっている。
体術も剣術もダメ。
唯一の希望だった魔法すら使えなくなってしまった。
そんな奴がどんなに強くなりたいと叫んでも、それはただの戯言だ。
分かっている。
命を助けてくれた人をこれ以上困らせてはいけない。
僕はそう思い、そこら辺の木に手をつき立ち上がる。
「助けていただき、本当にありがとうございました。街に帰ります。身もわきまえず、僕なんかが強くなろうとしたのが間違いだったんです。街に帰って、仕事でも探します。色々ご迷惑をかけてしまってすみませんでした」
僕は一つお辞儀をして、この場から立ち去ろうとする。
しかしそれは他の誰でもない、彼女によって止められた。
「ちょっと待て」
その声に僕は振り返る。
そこには、先ほどと何も変わらない、美しい真紅の瞳があった。
彼女はその瞳で僕を真っ直ぐに見つめたまま、
「私の弟子にならないか?」
突然、そう言った。
「えっ?」
「そこまで力を求めるのなら、私の弟子にならないか? 誰かを守る力も、自分の信念を突き通す力も、私がお前に授けてやろう。だから……」
もう一度。
「私の弟子にならないか?」
彼女はそう言ってくれた。
馬鹿にされることはあれど、誰も相手にしてくれなかった夢。
理解されることのなかった憧れ。
それを彼女は、信じてくれた。
こんな僕に手を差し伸べてくれた。
それが本当に嬉しくて、僕は知らないうちに涙を流していた。
「い、いいんですか? こんな僕で、本当にいいんですか? 僕は弱いです。魔法も使えません。それでも……、それでも、本当にいいんですか?」
涙と鼻水で、今の僕はきっと酷い顔をしているはずだ。
それでも、彼女は笑ってくれる。立ち上がり、僕に手を差し伸べてくれる。
「もちろんいいに決まっている。それに、弟子にする人間が最初から強いとは思ってない。そんなの私の立つ瀬がないからな」
差し伸べられる手。
「私はソフィア。姓はなく、ただのソフィアだ。君は?」
服の袖で涙を拭い、僕は笑顔で彼女の手を取る。
「ハルって言います。ハル・リベルス。これからよろしくお願いします!」
「ハルか。いい名前だな。私のことは好きに呼べ。何でもいい」
「じゃあ……師匠って…………呼んでもいいですか?」
密かに憧れていた呼び名。
なぜかは分からない。
それでもいつの日か、そう呼べる人に出会えたらと思っていた。
想い叶ってつい笑顔になってしまう僕をよそに、師匠は少し恥ずかしそうに苦笑する。
「師匠ってちょっと固くないか?」
「そんなことありません。最高にかっこいいですよ!」
「そ、そうか? まぁハルが言うならいいか」
照れ笑いする師匠は、不覚にも可愛い。
「さて、自己紹介も済んだことだし、行くか」
「どこにです?」
あほ面で聞く僕に、師匠は悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「私の隠れ家であり、これからは君の隠れ家でもある。その場所だよ」
それだけ言うと、師匠は歩き出してしまう。
その背中は先ほど魔物を倒した人とは思えないほど細い。
でも僕は知っている。
彼女は誰よりも強く、そして誰よりも優しいことを。
歩いて行く師匠。
僕は師匠の背中を追いかける。
この人となら頑張れる気がする。
一度は諦めた憧れも、師匠と一緒なら追いかけられる気がする。
僕はその思いを胸に、大きな一歩を踏み出した。