第10話 「呪核というもの」
今回は四千字後半です。
「ハルは、あの夢で出てきたものを何だと思う?」
「あれ……ですか…………?」
もう一人の僕。
顔は一緒だったが、話し方も雰囲気も全く違う自分とは別の『何か』。
正直見当もつかない。
師匠は考える僕の胸にトンと指を突く。
「あれは、呪核だよ」
「えっ!?」
――あれが呪核?
確かに師匠が呪術を使った時には動いていたが、自分の意識を持っているようには見えなかった。
「呪核って生きてるんですか?」
師匠は僕の質問に小さく唸ると、腕を組む。
「難しいな。そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える」
「どういうことですか?」
「呪核とは本来、獲得した呪いをしまっておくためのものだ。だから、そこに意識や自我、命といったものは存在しない。だが、それが対象者、つまりは呪術師となる者に移されると、その者の心を借りて姿を持ち、自我を持つようになるんだ。ハルが会ったのは、その自我を持った呪核ということになるだろうな」
僕の心を借りて自我を持った呪核。
だからあれは僕の姿をしていたのだろうか。
「そういうことだな。私の時も、私の姿をしていた。呪術師が最初に通る試練みたいなものだ。そいつに色々聞かれたんじゃないか?」
「はい。呪術に求めるものとか、それで何をしたいのかとか幾つか聞かれました」
「そうだろ? 呪核はあの質問で、今のお前に合った呪術と紡呪を選び授けてくれる」
確かにあの質問のあと、彼は僕にその力の名を告げて、使い方や効果まで教えてくれた。
彼が告げた力は僕の望んだ通りのものだったけど、呪核はそんな自由に呪術を作ることが出来るのだろうか。
「厳密に言えば、出来ない。だが、昨日も言った通り、呪術とは想いだ。古種や魔獣の想いを汲み取り形にする、それが呪術師本来の力であり、呪核本来の力だ。だから、呪核は呪術師本人の想いを汲み取り、それを力にすることも出来るのかもしれない。今後、新しい呪いを獲得するたび、君の呪核が効果や代償を教えてくれる」
師匠にそう言われ、なるほどと思う。
呪いは古種と契約したり、同じ魔獣を多く倒すことによって手に入れることが出来る。だが、その効果や代償はどうやって知るのかずっと疑問だった。
呪術の教科書があるわけではないし、ましてや目に見えるわけでもない。
一つ一つ実践で確かめるには、呪術はリスクが大きいと思っていたが、呪核から教えてもらえると聞いて納得する。
「長い付き合いになりそうですね」
「そうだぞ。仲良くしておけよ?」
師匠はそう茶化すと、「さて」と仕切りなおして立ち上がる。
「もうそろそろいい頃合いだろう」
「何がですか?」
「実はな、今この集落では宴をやってるんだよ」
「宴?」
宴ってあの宴?
何かいいことでもあったのだろうか。
不思議そうにする僕に、師匠はにっこりと微笑む。
「呪術師が生まれたときには宴を開く。それがこの集落の習わしなんだ。つまり、ハルのための宴だよ」
「え、ええっ!!」
僕のための宴!?
なんてことだ。
そうとは知らずに、呑気に寝てしまっていた。
これでは、わざわざ宴を開いてくれている人達に申し訳ない。
というか、それならそうと師匠も教えてくれればいいのに。
「それがな、長尾族は皆いい奴なんだが、酒癖だけは悪いんだ。そりゃもう大変さ。あることないこと聞かれるうえに、もみくちゃにされる。しまいには、そこら辺の台に登らされて、ダンスまで踊らされるんだぞ? 信じられるか?」
げんなりしてそう言う師匠に、僕は思わず青ざめる。
お、恐ろしい。
自分のために開いてくれているとはいえ、流石にそれは御免だ。
「そうだろ? だから待ってたんだよ。今頃は、酒の飲み過ぎでみんな眠ってるいはずだ。これなら、ゆっくり夕食を食べることが出来る」
師匠はニヤリと笑うと、さあ行くぞと言って歩き出す。
「あ、ちょっと待ってくださいよ!」
僕は急いでベッドから出ると、師匠の背中を追った。
集落は喧騒の残り香を感じさせつつ、比較的静かだった。
それもそのはず、道のあちこちには酔い潰れたのであろう古種の人たちがそのままの姿で寝転がっていた。
残っているのは出店を出している人か、酔いつぶれた人を介抱している人ぐらいしかいない。
現状を見る限り、相当なお祭り騒ぎだったのだろう。
長尾族の人たちには悪いが、この騒ぎに巻き込まれなくて本当に良かった。
「さてと。私は何か食べ物でも貰ってくるかな。ハルはどうする? 一緒に行くか?」
「そうですね……。お礼も言いたいですし、僕は一先ずザザムさんを探そうと思います。――酔いつぶれてなければですけど」
「それなら大丈夫だと思うぞ。あのじいさんはチビチビ飲むのが好きだからな。探すんだったら、集落の北に行くといい。そこに小さな広場があるんだが、じいさんのお気に入りなんだ」
「分かりました。まずはそこに行ってみます」
「ああ。適当に食べ物を見繕ったら、私も後で追いかける」
食べ物を貰いに行った師匠の背中を見送って、僕はゆっくりと広場に向かって歩き出す。
その道中、色々な人に声をかけられた。
それはほとんどが励ましや祝福の言葉で、僕はそれに照れつつも一つ一つ丁寧にお礼を返す。
王都の貧民街出身の僕は、こうやって人に言葉をかけてもらったことがない。
魔法学院に入学したときでさえ、周りからは煙たがられていた。
だからこそ、こうして声をかけてもらうことが恥ずかしく思いつつも、嬉しい。
僕にこんな人生が待っているとは、あの日、魔法学院を退学した時には想像もできなかった。
それもこれも、全て師匠のおかげだ。
あの時、師匠に出会っていなければ、僕はこんな幸せな時間を送ることは出来なかった。いや、それ以前に生きていられなかった。
師匠には感謝してもしきれない。
そしてそう思うのと同時に、そんな師匠とこれからも一緒に居れることが、僕にとっては何よりも嬉しいことだった。
彼女と一緒にいられるのなら、僕はどんなことでも頑張れる。
そんなことを思いながら歩いていると、そこは見えてきた。
人気のない、ベンチが一つ置いているだけの小さな広場。
師匠の言う通り、広場にその人はいた。
「ザザムさん?」
「おお、ハル君。起きたのかね?」
「はい」
彼はベンチには腰かけず、茣蓙のようなものを敷いて地べたに座り、コップに並々注いだ酒を飲んでいた。
「せっかく宴を開いていただいたのに、起きるのが遅くてすみません」
僕の謝罪に、ザザムさんは笑顔で首を振る。
「気にせんでいい。ハル君が謝ることではないからのう。あいつらはただ酒が飲みたいだけじゃ。それに、あいつらは酔うと面倒じゃからな」
「師匠も同じことを言ってました」
「そうじゃろ?」
僕とザザムさんは同時に笑う。
この時初めて、僕はザザムさんが師匠の師匠だということを実感する。
なんというか、暖かい。
子供を見守る親のような、そんな暖かさを言動の端々から感じる。
昨日はあんなことを言っていたが、きっとザザムさんは師弟関係以上に、師匠を可愛がっているのだろう。
「師匠はザザムさんのお弟子さんなんですよね?」
「そうじゃよ」
「いつからのお付き合いなんですか?」
ザザムさんは記憶を手繰り寄せるように考える。
「うーん。だいたい三百年くらい前からかのう」
「さ、三百年!?」
その数字に、僕は思わず目を見開く。
師匠の見た目は二十代前半ぐらいだ。
紡呪の力で老いないとしても、せいぜい五十年くらいだと思っていた。
――まさかそこまでとは……。
「ソフィアがわしの所に来たのは、ちょうどハル君と同じくらいの歳の時じゃったのう。あの時は、こんな小娘が呪術師になるなんぞ無理だと思っとったが、まさかここまで長い付き合いになるとはのう」
その時を思い出しているのだろう。
ザザムさんは遠くに目を向けながらしみじみとそう言った。
自分の弟子が自分よりも先に死なないことは嬉しいことだろう。僕は弟子を持ったことはないが、やっぱり自分の可愛い弟子が死んでしまうのが、どれだけ悲しく寂しいことかは想像に難くない。
でも、それが永遠に生き続けるとなるとまた話は別だろう。周りの人間が次々と死んでいき、自分の弟子だけがこの世界に取り残されていく。もちろん死んで欲しいわけではないだろうが、それでも他の誰よりも多くの者を失い、悲しみを背負い続ける弟子を見続けるのは辛いことだと思う。
その点で言えば、僕もまた他の人たちと同じだ。
確実に、師匠よりも早く死んでしまう。
僕がどんなに長く生きられても、せいぜいあと四、五十年くらいだ。
それが過ぎれば、師匠はまた一人で生きていくことになる。
見当違いだとは思いつつも、僕はそんな自分の無力さを恨まずにはいられない。
「僕が師匠の傍にずっといるためには、どうすればいいんでしょうか……?」
「ん? 突然どうしたんじゃ?」
「……思ったんです。僕は確実に師匠よりも先に死んでしまう。師匠を置いて、この世界から先に居なくなってしまうです。今までの人たちがそうだったように。――だから僕だけでも、ずっと師匠の傍に居てあげられたら……。そう思ってしまうんです」
ザザムさんは優しく微笑むと、腕を組んで木々に覆われた夜空を見上げる。
魔樹海では見えないはずの空星。
しかし、ザザムさんは確かに星空を眺めていた。
「難しい所じゃのう。――師匠と弟子の関係は、親子に似ている。親は子に自分よりも早くは死んで欲しくないと願っておる。じゃがその反面、子をこの世に残すことを不安にも思っておるんじゃ。弟子を持ち師匠になった時点で、その者はこの矛盾を一生背負うこととなる。……じゃがな、ハル君」
遥か彼方の星空から、僕へと目を移すザザムさん。
その瞳は、師匠に似た優しいそれだった。
「わしは、ソフィアよりも遥かに長い時間を生きてきた。そして気づいたことがあるんじゃ」
「気づいたこと……?」
「普通、人は愛する者と共に老い、必ずその者を残して死んでいく。そして、残された者がどんなに乞い願おうとも、愛する者は二度と戻らん。――ハル君、わしはこの自然の摂理に逆らうべきではないと思うんじゃ。老いることは辛かろう。愛する者を失うことは悲しかろう。じゃがそれを受け入れ、歩み続けること。それが人のあるべき姿なんじゃ」
共に歩み、老い、死んでいく。
それが自然。
生き物の本来あるべき姿。
確かにそうかもしれない。
「じゃからな、ハル君。今を精一杯生きるのじゃ。限られていると知っているからこそ、後悔しないよう精一杯。そしてその限られた時間の中で、それでもなお傍に居てくれるというのなら、これほど師匠にとって嬉しいことはない。例え、自分より弟子が早く居なくなってしまうとしても」
そうか……。
確かにその通りだ。
僕は先を心配し過ぎて、今を見ていなかったのかもしれない。
今を生き、今できることを全力でやる。
それが一番大事だと、僕は他の誰よりも分かっていたはずなのに……。
あまりにも今が幸せ過ぎて、この時間を失いたくなくて、忘れてしまっていた。
僕が生きているのは今だ。
過去でも、未来でもない。
今なんだ。
「そう……ですね。そうですよね。僕は僕が今できることをすればいい。後悔の無いよう全力で」
「そういうことじゃな」
僕とザザムさんはお互いに笑い合う。
和やかな雰囲気。
僕におじいちゃんがいたらこんな感じなのかもしれないなどと、ついつい妄想してしまう。
それぐらいザザムさんとの時間は、勉強になるのと同時に楽しかった。
――ザザムさんが本当のおじいちゃんだったら良かったのになぁ。
そんなくだらないことを考えていると、晩ご飯を両手いっぱいに抱えた師匠が広場に現れた。




