第9話 「呪術の申し子」
今回は六千字程度です。
「行ったのう」
「ああ……」
ソフィアは自分の膝の上で眠るハルの栗色の髪を優しく梳くと、前に座るザザムを見る。
「……さて、説明してもらおうか」
「何がじゃ?」
「ハルのことだ。――試練内容が嘘、あれこそが嘘なんだろ?」
核心を突くソフィアの言葉に、ザザムはニヤリと笑う。
「よく分かったのう」
「舐めるな、ジジイ。授印の試練が身内を殺すことなんて聞いたこともないのに、試練の内容自体が嘘なんてあるわけないだろ。――何を考えてる?」
ザザムはじっとソフィアを見たかと思うと、一つため息を吐く。
「お前には言っておいた方がいいじゃろうな。――ソフィア、昨日言ったことを覚えておるか?」
『あの子、あれには深入りするでない』
「ああ、もちろん覚えてる。意味が分からなかったからな」
「あれは、何もハル君が嫌いで言ったのではない」
ザザムは長い顎髭を一撫ですると、疲れ切った表情で口を開く。
「ハル君は……あの子は呪術に愛されとる。――言わば、呪術の申し子なのじゃ」
「呪術の申し子? そんなの聞いたことがないぞ?」
「当り前じゃ。長い歴史の中で、まだ三人しか存在を確認されとらんからな。最初は千年前、次が九百年前、最近でも六百年も昔じゃ。呪術師になる者がいなくなったというのもあるが、元々が稀有な存在なんじゃ」
「……珍しいっていうのは分かったが、それの何がいけない? 言うなれば、呪術の天才だろ? 何かまずいことでもあるのか?」
怪訝な表情を浮かべるソフィアに、彼はゆっくりと頷く。
「呪術に愛され、それ故過剰に呪術とシンクロしてしまう者。それが、呪術の申し子じゃ。ソフィアも分かっているじゃろ? 呪術に必要以上に干渉すれば、通常よりも強大な力を扱うことが出来るようになる反面、その力はいつしか呪術師本人をも飲み込む」
「確かにそうだが、呪術のコントロールは訓練でどうとでもなるだろ?」
「問題の本質はそこではない」
ザザムの言葉に、ソフィアは一層表情を曇らせる。
「変革じゃよ。呪術師本人の変革。それが危険なんじゃ。歴代の呪術の申し子が、その後何と呼ばれているか知っておるか? ――破壊者じゃよ。人を、動物を、生き物を、街を、国を、世界を、歴史を、歴代の申し子たちは破壊してきた。そのたびに、世界規模の戦争を起こしてきたのじゃよ。故に、彼らは破壊者と呼ばれるのじゃ。呪術の申し子はこの世に存在する全てを破壊し、混乱と混沌を招く。そういう星の下に生まれた者なのじゃ」
「だ、だが、ハルが申し子と決まったわけでは……」
「いや、ハル君は確実に呪術の申し子じゃよ。お前も心当たりがあるのではないか?」
ザザムにそう言われ、ソフィアはここに来る道中のことを思い出す。
『暗闇谷の誠眼』を発動させたとき。
あの時、ハルは異常なほど痛がっていた。
本来、誠眼はあそこまで痛みが出るような呪いではない。
出たとしてもほんの一瞬、少しのはずだった。
あれも、呪術との相性がいい故の暴走だと考えれば、納得がいく。
「まさか……」
「お前がかけた呪い。あれのシンクロ率は常軌を逸していた。あの子が呪術の申し子だと、一目で分かったよ。じゃが、わしにはこの子が破壊者と呼ばれる未来が想像できなかったんじゃ。故に、この子の正義を試してみようと思った」
「正義?」
「そうじゃ。正義とは、刃と同じじゃ。振るう理由を間違えれば、それは凶器となる。彼は迷っていた。自分の中には確かな正義があるのに、それを誰に対して、どんな基準で振るうかを迷っていたのじゃ。だからこそ、確かめねばならなかった。そうでなければ、彼はいつしかその正義という名の凶器で、周りの全てを破壊する可能性すらあったからじゃ」
ソフィアはもう一度、自分の膝の上で眠るハルの顔を見る。
その寝顔は穏やかで、ここだけを見れば今の話が彼のことだとは思えない。
しかし、目の前で見せられたあの出来事は無視できなかった。
本当にハルが呪術の申し子だというのなら、自分がこの子を助けなければ。
道を踏み外さないよう、師匠として出来る限りのことをしなければ。
ソフィアは、そう決意する。
「それでも、ハルは私の弟子だ。私は、私の出来ることを全力でやるだけだよ」
ソフィアのその言葉に、ザザムは呆れたようにため息を吐く。
「お前なら、そう言うと思ったわい。――まぁ安心せい。呪術師にしたわしも、もう無関係という訳にはいかん。これからは、わしも全力でサポートしていくわい」
つくづく自分は甘いと、ザザムは思う。
本来ならば、ここでこの子を殺しておくべきだ。
彼が何かをしたわけではないが、これからすると歴史が証明している。そんな危険人物を生かしておくどころか、呪術師にしてしまった。
それもこれも、自分の弟子であるソフィアの悲しむ顔を見たくないがため。
我儘にも似たそれに、ザザムは苦笑する。
――ハル君にとやかく言う資格は、わしにはないのう。
ザザムはそう内心呟くと、立ち上がりソフィアに背を向ける。
その時だった。
「……ありがとう、師匠」
背後から聞こえてきたその言葉。
ハルから顔を上げず言った、独白にも似た小さなそれに、ザザムは聞こえなかったふりをしつつも彼女にバレないよう優しく微笑んだ。
闇。
そこは何もない、黒一色で塗りつぶされた空間だった。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も触れない。
何も感じない。
こう考えている自分は確かにいるはずなのに、その自分自身すら、存在しているのか分からない。
そう思えてしまうほど、その闇には何もなかった。
僕はどれくらいこうして闇の中を漂っているのだろう。
数時間か数日か。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。
少なくとも、自分が誰なのかを忘れてしまえるほどには、ここにいるような気がする。
自分という存在が、闇に溶けていくのが分かる。
怖くはない。ただ寂しさがあるだけ。
静かに、ただ静かに闇に溶けていき、僕の中から何かが流れ出ていく。
大切な何か。
失くしてはいけない何か。
しかしそれが何だったのかすら、もう思い出せない。
そして、僕が完全に闇に溶け込んだ時、それは現れた。
黄色く輝く二つの光。
闇に浮かぶその光が人の目だと気づいたのは、最初にそれが現れてから大分時間が経ってからだった。
ゆっくりと二つの光が近づいて来て、瞳の人物の輪郭がうっすらと浮かび上がる。
(誰?)
瞳の光以外は、全身が黒い。
しかし周りの闇とは少し違う。
それは闇に溶け込むことなく、その輪郭を浮かび上がらせていた。
(誰なの?)
自分の声。
その声で、闇に溶けていたはずの自分が、いつの間にか己の姿を取り戻していることに気がついた。
(戻ってる?)
(戻ったわけじゃない。だって、最初から何一つ失っちゃいないんだからな)
目の前の人物が僕に話しかけてくる。
(ここは君の中だ。最初から失う訳なんてないんだよ、ハル)
(ハル?)
(そうだ。君の名前だろ? 自分の名前も忘れちゃったのか?)
(そうか……。僕の名前は、ハルだ)
その人物は笑う。
口なんかないのに、何故か笑っていると分かった。
(思い出してくれて何よりだよ。そうじゃないと、俺がここに居られなくなる)
その言葉で、そいつが誰なのか分かった。
僕だ。
目の前に、僕がいる。
瞳以外は黒いのに、なぜか僕は目の前の人物が自分だと分かった。
(やっと気づいてくれたのか。世話が焼けるね)
(ごめん)
(まあいいさ。これで本題に入れる)
(本題?)
(そう、本題だ)
目の前にいる僕は、また笑う。
(俺は、君の全てを知りたいんだ)
(どういうこと?)
(そのままの意味さ。君にとって呪術とは何なのか。呪術にどんな力を求めているのか。その力でどんなことをしたいのか。そして、君はどうなりたいのか。僕はその全てが知りたいんだ)
(それって……)
(今はまだ分からなくていい。さあ、目を瞑って。深呼吸してごらん)
僕は訳が分からないまま、空気があるのかすら定かではないこの空間で言われた通りにする。
(君にとって呪術とは何?)
僕にとっての呪術。
なんだろう。
(深く考える必要はないんだよ。心に浮かんだままを教えて)
僕にとっての呪術は、きっと絆であり、背負うものだ。
僕はカムルと成長し、師匠に救われ、ザザムさんに教えられた。
これら出会いのどれか一つでも欠けていれば、僕が今こうやって呪術に出会うこともなかった。
だから、僕にとって呪術とは絆だ。
でもそれだけじゃない。
僕にはこの人たちの想いを背負う責任がある。
辛くなっても、逃げることは許されない。
だから、僕にとって呪術は絆であるのと同時に、背負うものでもある。
(じゃあ、呪術にどんな力を求める?)
師匠のような圧倒的な力。
目の前に立ちふさがる悪しき者全てを打ち払う、絶対的な力。
誰よりも早く駆けつけ、誰よりも強くあれる力。
どんなに絶望的な状況も打開できる、そんな力が欲しい。
(その力で何がしたいの?)
守りたい。
僕の周りに居てくれる人、居てくれた人、その全員を守りたい。
どんなに代償を払っても、どんなに自分が傷ついても、彼ら彼女らを守りたい。
僕は、僕が失ったものを他の人たちには失ってほしくない。
だから、周りの人たちが持っている全てを、僕は守りたい。
(これで最後だ。君はその力でどうなりたい?)
強く。
誰よりも強くなりたい。
手の届く範囲の人を守れるほど、自分の信念を貫けるほどに、強くなりたい。
僕はずっと弱かった。
誰よりも弱かった。
力が、じゃない
心が、誰よりも弱かった。
だから。
だから、少しでいい。
一歩踏み出すだけの勇気が欲しい。
(それだけでいいの?)
うん。
ザザムさんと話してて分かったんだ。
僕に必要なのは力だけど、それだけじゃダメなんだって。
その力を使うための勇気。
僕にはそれが何よりも必要なんだって。
(そっか。それが君の決めた事なんだね)
うん。
(分かったよ。それじゃあ、目を開けて)
そう言われ、目を開ける。
するとそこには、僕が立っていた。
さっきは瞳以外が真っ黒だったそれは、ちゃんと顔を持っていた。
僕の顔。
(君は自分がどうしたいのか、どうなりたいのかをハッキリと意識した。だから俺もちゃんと顔を持つことが出来たんだ。そして……)
目の前の僕は、今度はちゃんと口角を上げて笑う。
(君に授ける呪術と紡呪も決めた。君にぴったりなやつをね)
(あなたは一体……)
(君に授ける力は……)
彼はそう言って楽しそうにその名を口にした。
「くっ……」
僕は酷い頭痛で目を覚ます。
「ここは……」
最初に僕の視界に飛び込んできたのは天井だった。
見覚えのある天井。
それもそのはず、そこは僕が今朝目覚めた部屋だった。
一つ違うのは、床ではなくちゃんとベッドで目覚めたということ。
「寝てた……?」
夢を見た。
暗闇で僕が僕自身と向き合う、そんな夢。
何か言葉を交わしたような気がするが、原因不明のこの頭痛のせいで、よく思い出せない。
――あれは一体……。
痛む頭を顧みず思考を巡らそうとしたとき、彼女は部屋に入ってきた。
「やっと目を覚ましたか」
「師匠……」
僕はその居心地のいいベッドから、半ば無理やり体を起こす。
「こらこら、寝てた方がいいぞ。まだ頭痛もしてるだろ?」
「あ、はい。……って、どうしてわかったんですか?」
驚く僕に師匠は悪戯っぽく笑うと、ベッドに腰かけて手に持っていたコップを渡してくれる。
「話しは後だ。まずはこれを飲むといい」
僕はお礼を言ってそれを受け取ると、一口飲む。
――おいしい……。
それは水に薬草を浸して作る、薬草水と呼ばれるものだった。
こうすることによって、弱っている人でも、体に負担をかけずに薬草の恩恵を受けることが出来るらしい。
でも、昔に一回だけ飲んだ薬草水は、もっと薬草っぽい味がしたような気がする。でもこれはどちらかというと飲みやすくて少し甘い。
不思議そうにする僕の顔を見て、師匠は悪戯が成功した子どものように嬉しそうに笑う。
「おいしいだろ? 昔、あのクソジジイから教えてもらったんだ。普通、薬草水を作るときは、薬草を水に浸すだけだが、これは切った果物も一緒に入れてるんだ。そうすると、こうやって飲みやすくなる。まあ、薬草の効能を邪魔しないよう、入れる果物は選ばないといけないけどな」
へぇー。
そんな作り方があるなんて初めて知った。
これなら僕でも飲める。
僕はその美味しさから、コップに残っていた薬草水を一気に飲み干してしまう。
「プハッ……」
コップから口を離すのと同時に、思わず息が漏れてしまった。
本当に美味しい。
これは薬草水というより、甘いお茶だ。
これなら何杯でも飲める。
というか飲みたい。
でも、あまり飲むと薬草水にしている意味がなくなってしまう。
成分を水に移しているとはいえ、薬草水は薬草と同じとまではいかないまでも効能がある。だから、飲み過ぎは体に良くないのだ。
僕はまだ飲みたい気持ちを我慢して、名残惜しくもコップを師匠に返す。
心なしか、頭痛がさっきよりもマシになった気がする。
絶対気のせいだけど。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま。美味しかっただろ?」
「はい、とっても。これなら毎日でも飲みたいです!」
僕のその感想に、師匠は声を上げて笑う。
「毎日か。毎日はやめといた方がいいな。――昔、まだ私が子どもだった頃、今のハルと同じことを思ってやったことがあるんだ。その時は、嘔吐に発熱と酷い目にあった」
こわっ!
どんなに美味しくても、流石にそれは御免だ。
師匠のその話に、僕は絶対にやめようと心に誓う。
「そんなに美味しかったなら、今度は薬草抜きの果物水を作ってあげよう」
「ほ、本当ですか!?」
「もちろん」
思わず前のめりになってしまう僕に、師匠は楽しそうに笑う。
王都ではバナナ以外の果物は高級品だ。店先に並ぶことすら珍しい。
その果物を、そのまま食べるのではなく果物水にしてくれるのだ。これほどの贅沢はない。
それもこれも、木々が多く茂る魔樹海ならではなのだろう。
でも、果物水を作った後に残った果実はどうするのだろう。
捨ててしまうとしたら、もったいないような気もする。
「安心しろ。捨てたりなんかしない。残った果実は火にかけて水分を飛ばし、ジャムにするんだ。そのジャムは甘さ控えめで、料理にもお菓子にも使える」
おおっ。
果物水も興味があったけど、その果実を使ったジャムの料理にも興味が湧く。
食べれる日が楽しみだ。
「ふふ、元気になったみたいだな」
「えっ……?」
ポカンとする僕に、師匠は優しく微笑みかけてくれる。
「頭痛はなくなったみたいでよかったよ」
「あっ……」
そう言われてみれば、確かに頭痛は消えていた。
でもいくら薬草水が強力と言っても、あまりにも効果が表れるのが早すぎる。
――どういうこと?
困惑する僕に、師匠はあの悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「あれは普通の頭痛じゃない。君が呪術師になった反動みたいなものなんだ。私も呪術師になったときにあった。だから会った時に分かったんだよ」
確かに開口一番、師匠は僕に頭痛があることを見抜いていた。
あれも自分が経験したことだったと考えると納得がいく。
「そういうことだ。そして、その頭痛がしたということは、会ったんだろ? 自分の姿をした『何か』に」
自分の姿をした何か。
その言葉で、僕は寝ていた間に見たもの全てを思い出す。
真っ暗で何もない空間。
怪しく光る二つの瞳。
僕の顔をした『何か』。
僕はその『何か』と話しをした。
呪術のこと、これからのこと、自分自身のこと。
彼はそれを聞いて、僕に告げた。
僕の呪術の名を。
「師匠、あれは一体……」
師匠は小さく笑うと僕から目線を外し、天井を見上げる。
師匠にとっては見慣れているはずのその天井を。
「そうだな。ハルも、もう呪術師だ。知っておくべきだろう。幸い、まだ時間はある。のんびりと話そう」
師匠はそう切り出し、ゆっくりと語り始めた。




