ウィルフレド
この学園には、現在イングラムの王子殿下2人が在籍している。
ウィルフレドと、その弟ジェラルド・イングラムだ。ジェラルドは虹の世代に生まれたこともあり、その存在は常に注目されていた。
そう、ルーナリアと同じ、虹の世代。同じ学年に王子殿下がいたため、王族というものに多少免疫がついてしまっていた。ウィルフレドが在籍していることは当然知っていたから、当人を目の前にしても、ルーナリアがひどく動揺することはなかったのだ。
「顔をあげてよ。ここは魔法学園だ。身分関係なく学園生活を謳歌せよとは、創立者の言葉だよ」
「………」
ほんのわずかルーナリアの頭が震えた。ウィルフレドの言葉を真に受けて顔を上げるべきかどうか、悩んでいた。
他でもないこの帝国の王子殿下の言葉であるが、貴族の言葉を素直に信じていいわけではないと、ルーナリアは知っていた。貴族が庶民に温情をかけることなどない。貴族は庶民を人間だとも思っていない。庶民に優しい言葉を掛け、庶民が貴族に言葉を返したところで無礼だと切り捨てようとしたことがある。目が合っただけで言いがかりをつけられるなんて日常茶飯事だ。さすがに魔法での攻撃は禁止されているため、突然攻撃魔法を繰り出されることはないが、貴族は武器を持っている。実際に切りつけられている場面を見たことも数度ではない。
庶民は、この学園で魔法を学ぶだけではなく、己の身を守る方法も同時に学ばねばならない。
家名を名乗ることは禁じられているはずなのに、この学園でそれは守られない。家名を名乗ることで、家の事情や身分を知られることを防ぎ、身分の垣根を払い、平等に学園生活を送るためのルールは、結局無意味だ。
貴族は入学前から家同士の付き合いや教養として、自分に必要な貴族の名と顔を覚えている。家名を名乗らずとも、誰が格上で格下か、分かっている。誰に媚びへつらうべきか、誰とつるむべきか、教育されているのだから。
そんなルールを何も疑わずに信じて痛い目を見るのは、いつも庶民だ。期待に胸躍らせて入学した春が終わる前に、庶民は暗黙のルールを覚える。
貴族と関わってはいけないと。
しかしこの場合、顔を上げなければ、顔をあげよとの命令に背くことにもなってしまう。貴族は気まぐれに庶民を傷つけようとする。言葉に従っても、背いても、どちらも不興を買い、切られる。そんな場面を目にしたことも、幾度かあった。
貴族の問いに正解はない。どちらがより軽い傷で済むのか、軽いほうを選択できたらそれが正解と言えるだろう。
ルーナリアは、くだらないと思いながら思案した。
今までのやりとりでまだ抜刀さえされていない。であれば、ウィルフレドの言葉通りに顔をあげて見るべきか。
ほんの少し、ちらりと視線をあげると、右手を額に当て、天を仰ぐウィルフレドが目に映った。
何してんの、この人。ルーナリアがうっすら眉を顰めかけたところで、ウィルフレドが声をあげた。
「あ、あーー、すまない。この学園の根強い貴族至上主義を分かっていないわけじゃなかったのに。王家の者として、二言はない……と言っても、信憑性に欠けるか。んー」
ウィルフレドの王子らしくない物言いと態度に、ルーナリアは思わずしっかりと顔をあげ、ぽかんと口を開けた。
「あ、これを彼に預けよう。これで僕は丸腰だ。これで…僕のさっきの言葉を信じてはもらえないだろうか」
「え」
ウィルフレドは帯剣していた王家に伝わる宝剣を、鞘ごと後ろに控えていた茶色い髪をした青年に渡した。いくら学園の安全が保障されているとはいえ、王家に伝わる宝剣を手放すなど、考えられないことだ。さすがにルーナリアも驚きを隠せず、固まった。茶色い髪の毛も、何故何も言わずに受け取るか!とこっそり悪態をつくことも忘れずに。
茶色い髪の青年はルーナリアに視線を合わせず、ウィルフレドを見ていた。ウィルフレドの行動を頭から否定するつもりはないものの、視線で諌めているようだ。
当のウィルフレドは、特に気にした様子もなく、茶色い髪の青年と一瞬視線を絡め、すぐにルーナリアを見た。
「赤は、庶民が多いから…だけではないけれど、他よりも酷いと聞いている。知っていながら、何もできないことを申し訳なく思っている」
「…………」
また謝った!王族ともあろうものがこの短時間で2度も!信じられない出来事が目の前で次々に起こっていくわ。
ルーナリアは驚愕の事態にもう言葉も出なかった。
「ははっ。君は存外顔に出やすいんだね」
笑った!王子殿下が笑った!そろそろ気を失いそう。…そこまで繊細じゃないけど。
「僕だって、一応人間だからね。笑うくらいするよ」
私の心の声が筒抜け!魔法で読まれてる!?いや、そんな魔法ないし、あったとしても絶対禁術だから!もしや王家にだけ伝わる秘術があるとか!?
「いや、だからね…。顔に全部出てるんだよ。君の考えていることを読む魔法なんて使えないからね」
なんてこと!ルーナリアはパンっと音が立つくらいの勢いで、両手を頬に当てた。
「この学園でここまで表情豊かな人は珍しいね。僕も久しぶりに笑ったよ」
ウィルフレドは微笑んだ。甘いマスクとでもいうのだろうか。物語からそのまま抜け出してきましたとでもいうような、王子様そのものな整った顔立ちで微笑まれると、ゆるゆるになっていたルーナリアの警戒心も解けていく。
他のご令嬢がこの微笑みを見たら失神だろうな、などと考えることのできるくらいまでに。
「…感情のコントロールは、無になることだけではない…と、教えられましたから」
ウィルフレドと目線を合わせたまま、ルーナリアは口を開いた。わずかに残った警戒心で、言葉の合間に相手の反応を伺いながら。
「えぇと…」
「私の師は、父です」
「なるほど。フォルマなら納得だ」
学園に入る前、ルーナリアは父親から魔法を習っていた。父親は庶民ながら、そこそこ名の知れた魔法使いなのだ。だから、教師からの覚えもめでたい。実際めでたいことは何もなく、名前のおかげで貴族からは余計に罵られるのだが。
「あの、お話中大変申し訳ないのですが、午後の授業が迫っています。庶民の分際で遅刻するわけにはいかないので、お暇したいのですが」
「あぁ、もうそんな時間か」
ウィルフレドが後ろをむけば、茶色い髪の青年が頷いてそれを認めた。
ただでさえやる気がないと思われているルーナリアが授業に遅刻すると、もれなく全員から蔑む視線を浴びる羽目になる。無断欠席など目も当てられないことになろう。最悪、教師という本来ならば平等であるべき立場の人間の前で、あっさりと貴族に切り捨てられそうだ。
「では、放課後時間をもらえないだろうか」
「え?」
これをもってお役御免だと思っていたルーナリアは、ウィルフレドの言葉にまた固まった。
「君はなかなか面白い。もっと話をして見たい。それに…聞いておきたいこともあるからね」
では、放課後にまたここで。そう言ってウィルフレドは去って行った。なんだかんだで、最後は王子殿下としての笑みを浮かべ、ルーナリアに返事をさせなかった。了以外の受け答えはない、ということだ。
ふぅ、とため息をつき、ルーナリアは教室へと向かう。
いくつかの結界が消えていくのを感じながら。
今度は長すぎ・・・?
区切りよく書くのは難しいです