秘密の部屋
マルクランの本気なのか冗談なのか分からない言葉にルーナリアが戸惑っていると、「行けばわかるよ。危険なところじゃないから安心して」と、警戒心を削がれる笑顔で言われ、ただただついて行くしかなかったのである。
そしてしばらく歩いて着いたのは、学園の校舎の最上階三階の、一番奥の部屋の前だった。
「入るよ」
おまけ程度にドアをノックし、マルクランは中の声を待つことなくドアを開けた。そして、躊躇することなく中に入っていく。
「来たか」
ルーナリアが部屋に入るより先に、中から聞き慣れた人の声がした。
「お前ねぇ、一応ノックをするつもりがあるなら、返事を聞いてからドアを開けたらどうなんだ」
「ノックくらいしろというからしてやったんだよ。しないよりましだろ」
「したらいいっていうものでもないんだけどね…。まぁ、いいや。今更だ」
「そうそう、今更でしょ。僕にそういうのを求めるのが間違っているんだよ」
「はぁ…。あー、そうだな…。あぁ、リア、よく来てくれたね」
聞き慣れた声の人、ウィルフレドとマルクランの親密さが伺える会話を聞きながら、立ち尽くしたままどうしたものかと思っていたルーナリアがそっと部屋の中を覗くと、ウィルフレドがそれに気づいて微笑んだ。
「リア、そんなところではなく、中に入っておいで。マル、お前は連れてきたのなら最後までちゃんとエスコートをしろ」
マルクランを軽く睨みながら、ウィルフレドは素早くルーナリアに近づき、肩を抱いて部屋の中へと誘導した。その距離感に戸惑いつつ、ルーナリアは部屋の中へと足を進める。
部屋の中は執務に使えそうな机と椅子がワンセットに、その反対側にはテーブルを挟んで二人掛けソファが二つ並べられ、ひとりがけソファも一つ置かれていた。シンプルな部屋には花や装飾品はほとんどなく、絵画が2つほど飾られているだけ。応接室というには侘しいし、雑然としていて、一体なんのための部屋なのかルーナリアには予想もつかなかった。
奥にある二人掛けソファにマルクランは座って口を尖らせており、未だ口を開いていないレイアードは机のそばに立っていた。
「僕は頼まれた通りちゃんとその子を連れてきたよ。ドアを開けたら中に入ってくると思ったのにその子が入ってこなかっただけじゃないか。レイ、僕にもお茶ちょうだい」
「普通の人間は何も言われなかったら中に入ってこないんだよ。それと俺はマルの従者じゃないぞ」
「いいじゃん。どうせその子のためにお茶を淹れるんでしょ。ついでにちょうだい」
不貞腐れたように口を尖らせ続けるマルクランにため息をつきながら、レイアードはお茶の準備を始める。ウィルフレドはそのやり取りに苦笑しながら、ルーナリアをマルクランの向かいのソファに案内した。
「さぁリア座って。突然呼び出したりして悪かったね」
「いえ、あの、お貴族様と同じテーブルにつくなんて、とんでもないです…」
今の状況が飲み込めず、ルーナリアは取り敢えず一般的と思われる反応をした。いつもの三人だけだとしても、どこなのかわからない部屋で、しかもソファに座るなどは考えられない。それに加えて今は誰なのか分からないマルクランもいるのだ。遠慮をしてしまうのは当然だと思われる。
「マルのことなら気にしなくていいよ。彼は昔からよく知っている。気ままなやつだから、僕達と一緒にいることは少なかったけれど、これからは増えると思う」
「そーそー、僕は貴族とか庶民とかそんなに気にしないから、遠慮なく座って。そうしないとレイがお茶を出してくれなそうだしさ」
さぁさぁと言わんばかりにマルクランは手をヒラヒラと振り、ソファを指して座るように促し、ウィルフレドはルーナリアの肩を軽く押してソファに座らせた。
見ただけでも分かったが、実際に座ってみるとソファの生地の上質さや、座り心地の良さに、それが如何に高級な品であるかを思い知らされ恐れ慄く。思わずソファの隅で縮こまってしまった。
「そんなに緊張することはない。いつも通りで大丈夫だ」
流れるような動作で全員分のお茶と茶菓子を配り、レイアードはルーナリアの向かいに座った。
「僕やレイが動くよりはいいと思ってマルに迎えに行ってもらったんだけど、緊張させてしまったね」
申し訳なさそうに言いながら、ウィルフレドはルーナリアの隣に座る。
「ここは他の生徒たちにはあまり知られていない、僕の秘密部屋のようなところでね。ここなら落ち着けるかと思ったんだよ」
「そう…なんですね…。ていうか、なんで隣に座るんですか?」
この部屋が王子殿下に与えられたのであろう特権なのだなと思いつつ、ルーナリアは気にしていたことを口にする。ウィルフレドは当たり前のようにルーナリアの隣に座ったが、親戚でもない男女が同じソファに座るなど、親密な仲でない限りあり得ない。
「四人集まったら大体こういう席にならない?」
「そうかもしれませんが、確かマナーとしては…」
「他に誰が来るわけでもないんだから大丈夫だよ。友人四人が集まればこう座るのはおかしくはないと思うな」
「……」
正論を言ったところでそれに倣うつもりはなさそうだと判断し、ルーナリアは口を閉じた。それを見てウィルフレドはにっこり笑い、ルーナリアは軽くため息をついた。
「へぇ、君がウィルのお気に入りっていうのは本当なんだね。なかなか面白そう」
マルクランはレイアードの淹れたお茶を飲んで、「おいしい」と満面の笑みを浮かべながら、ルーナリアを見た。
「面白い…でしょうか…」
思わずルーナリアに疲労感が漂う。
「あれは面白くないよね。君の学年は雰囲気が悪すぎる。赤は飛び級も出来ないし、逃げ場がないっていうのに、あれはどうかと思うよ。よく君はあの教室を抜け出さないね」
ルーナリアの思い浮かべたことを的確に読み取り、マルクランは肩を竦めてみせた。
気だるそうで、どこか子供っぽさを感じさせるマルクランの鋭い洞察力に、ルーナリアは目を丸くした。本当に貴族とか庶民という身分を気にしていなそうだと、こっそり思った。
「あぁ、だからウィルは君をここに連れて来るように言ったのか。逃げ場所なんてなさそうだし、逃げたところでどうにもならなそうだもんね」
一人納得し、マルクランは紅茶を飲み、茶菓子に手を出した。
全くもってマルクランの言う通りだった。
ルーナリアの逃げ場所は裏庭のいつものところくらいだが、あそこは二度の魔物襲来により目立つようになってしまった。二度も襲来があった所にまた行くのは危険とみなされる。それに、授業をサボってあんな所に行くのは余計に目立つ。
授業をサボること自体、庶民としてあってはならないことなのだ。勉強をさせて貰っている身でサボったりすれば、後からどやされる。
マルクランが呼び出しに来なければ、あのままずっと教室で肩身を狭くしているしかなかったのだ。
「連れ出して頂き、ありがとうございます」
「僕は頼まれたことをしただけだからね。お礼なら依頼者のウィルに言えば?」
頭を下げたルーナリアを制止し、顎でウィルフレドを示す。やはり貴族らしからぬ動作である。
「えぇと、殿下?ありがとうございます。疲れていたので助かりました」
「礼には及ばないよ。結局また目立たせてしまったわけだしね。その場しのぎでしかなくて申し訳ない」
「殿下のせいではないのですから、謝らないでください。私ではどうしようもなかったので、やはり良かったと思います」
隣で困ったような顔をしている人を見て、ルーナリアはやはり困ったように笑った。
マルクランという貴族が呼び出しに来たことで、ルーナリアがさらに目立ったのは事実だ。けれど、ウィルフレドと共にいたという事実ほど騒がれはしないだろう。だから、嫌だとか、そういう気持ちはなかった。
胃腸炎らしきものになりました…。
ゆっくり更新&どこで切ろうか迷って不思議なところで話が終わってしまっていることをお詫びします…




