お戯れ
何が…起きている…?私の掌に触れているものは…何?
ルーナリアは右手首を引っ張られ、膝たちになりやや前傾姿勢になっていた。引っ張られた掌に押し付けられているのは、ウィルフレドの唇。
唇…。くち…びる…!?何故!?何故私の手に殿下が口づけを!?
ルーナリアは混乱したまま手のその先を見た。開かれた手の指の間から、ウィルフレドの輝く黄金色の瞳が見えた。口を開けたまま、目を見開いたルーナリアを確認したウィルフレドは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべ、ペロリとルーナリアの掌を舐めた。
「ひゃあっ!!」
ひときわ高い声を出しながら、ルーナリアは勢い良く右手を引き抜いた。ウィルフレドと距離を取るべく立ち上がり、数歩後ずさる。
「な、なななな、何をするんですかっ!?」
あまりに想定外の出来事に、ルーナリアの目は少し潤んでさえいた。今までの人生において、異性にこんなことをされたことはないし、今現在こんなことをされる謂れはない。先ほどより激しく動揺し、頬は紅潮し、手はふるふると震えている。
「ごめんごめん、ははっ。いや、でもその反応、やっぱりいいね」
「何がですかっ!」
「こんなふうに感情を向けられるのは本当にに久しぶりだ。戯れっていうのは冗談だよ。君と話したら楽しいだろうなと思ったんだ」
「わ…、私をからかって遊ばないでくださいっ!庶民がお貴族様とは違う反応をするなんて当たり前じゃないですかっ」
「すまない。そういう意味じゃないんだ。やり過ぎたことは反省している。信じられないかもしれないが、僕は本当に君と話がしたかっただけなんだよ」
「信じられませんっ」
ウィルフレドが何度も謝罪をしていることにも気付かないくらい興奮しているルーナリアは、普段なら絶対にしないであろう王族に対する態度とは真逆の態度を取り続ける。庶民の同級生相手にもこんな風に大声で会話をしたことなどなかったのに。
「私っ…、帰ります!」
自分の身に起きたことが信じられな過ぎて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。思考がぐるぐる回り、正常な判断ができない。
クールダウンすべく、ルーナリアはこの場から去ることにした。すでに立ち上がっていたから、去ることを告げた後はウィルフレドとレイアードの横を通り、寮への道を進む。
もう、マナーも何もあったものではない。こんな事をされても平常心を保つのが貴族だというのなら、一体どんな精神修行をつんでいるのかと問い詰めたいくらいだ。
「あれはさすがにやりすぎだろ」
「分かっている。そう睨むな」
背中からレイアードとウィルフレドの声が聞こえた。そんなことを気にすることもなく、ルーナリアはとにかくこの場を離れることに集中した。一刻も早く、精神を立て直したかった。
「!」
歩きながら、空気が淀んだ感じがして、足が止まった。淀みの気配を探り、視線を巡らせる。その背後で、レイアードも立ち上がった。
気配を感じとり、その方向を見つめると、禍々しいものが近づいてくるのが視認できた。それと共に、ルーナリアはさっきまでいた場所に走った。幸い、たいして距離は離れていなく、すぐにたどり着いた。
レイアードがそうしているように、ルーナリアもウィルフレドを背中に隠すようにその前に立ち、禍々しい気配を撒き散らすものを睨みつける。それは、空から確実にこちらへと近づいていた。
「こちらに…来ますね」
「あぁ」
ルーナリアが聞けば、隣に立つレイアードは緊張感を漂わせた声を返した。
「魔物…か」
その存在を断定するウィルフレドのつぶやきに、レイアードは剣の柄に添えていた手に、力を入れた。




